アシュクロフト対表現の自由連合裁判の判決文
ケネディ判事は法廷意見を言い渡した。
この事件では、1996年の児童ポルノ禁止法(CPPA)が、表現の自由を妨げるか否かが焦点となっている。CPPAは、現実の子供を用いずに作成された、未成年者を描写したように見える性的に露骨な画像を児童ポルノ禁止法の対象としている。この法律では、未成年者のように見える成人や、コンピュータ技術を使用して作成された画像の所持または配布を禁じている。議会によると、新しい技術を使うと、実在しない子供で現実的な画像を作成することができる。
現実の子供を描写しない児童ポルノの禁止は、その作成の過程によって虐待された子供を保護するために、児童ポルノを他のポルノと区別したニューヨーク州対ファーバー事件の判例を逸脱している。一般的に、ポルノは猥褻な場合のみ禁止されるが、ファーバー判決の下では、ミラー対カリフォルニア州事件(1973年)が定義した猥褻の基準を満たすかどうかにかかわらず、未成年者を写したポルノは禁じられている。ファーバー事件は、「ミラー基準は一般的な定義で猥褻なものとして禁止しているものと同じように児童ポルノを扱っており、国家が子供の性的搾取を行う人々を訴追することに特別かつ強い利益を抱いていることを反映していない」ことを認めた。
我々はこの問題を検討する機会を持っていないが、性的行為を行う人の描写が、その見た目の年齢によって、コミュニティの基準に反しているかどうかに関係していると考えられる。一定の行為を行う幼い子供の画像は、大人の、またはより年上の青少年の同様の描写の猥褻さと同じではないかもしれない。しかし、CPPAは、猥褻な表現を禁止対象とする法律ではなく、議会は猥褻な素材を別の法律で禁止している。ファーバー事件による法と同様に、CPPAは猥褻を超越した規制基準を設けることを目的としており、ミラー基準に準拠しようとはしていない。例えば、社会的価値が認められているとしても、法律は映画などの視覚的描写も規制対象とするだろう。
解決するべき主な問題は、CPPAがミラー事件の下で猥褻でも、ファーバー事件の下で児童ポルノでもない重要な表現を禁じる法律であるか否かである。
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[編集]1996年より前に、議会は、ファーバー事件が示した実在する未成年者を使用して作成された画像を児童ポルノと定義した。CPPAは従来の児童ポルノの定義を§2256(8)(A)で引き継ぐと共に、§ 2256(8)(B)と§2256(8)(D)で禁じる表現を更に追加した。2256(8)(B)の節では、「写真、映画、ビデオ、絵、またはコンピュータもしくはコンピュータで作成された画像もしくは絵を含む何らかの視覚的描写」のうち、「性的に明白な行為を行っている未成年者または未成年者のように見える描写」を禁じている。「何らかの視覚的描写」の禁止は、その画像の作成方法を一切問うていない。この節では、「バーチャル児童ポルノ」と呼ばれることもある、コンピュータが生成した画像やより伝統的な方法で作成された画像を含む様々な描写を扱っている。例えば、法律の字義に則ると、古くからの神話の場面を描いたルネサンスの絵画も「性的に明白な行為を行っている未成年者のように見える描写」の「絵」に含まれる。この法律はまた、未成年者「のように見える」俳優が実際の性行為、または模擬的な性行為を行っていると陪審員が考える場合、子供の俳優なしで撮影されたハリウッド映画を禁止することができる。
これらの画像は、生産過程の全てにおいて子供を犠牲にすることはないが、議会は素材が他の直接的ではない方法で子供を脅かすことになると判断している。小児性愛者は、子供が性的な行為に参加するよう促すためにこの素材を利用するかもしれない。「成人との性行為に参加したり、性的に露骨な写真を撮りたいと思っていない子供は、そのような活動に参加している他の子供たちの"楽しそうな"写真を見ることによって時には納得することがある」。議会所見§2251に続く注(3)。更に、小児性愛者は、ポルノ画像を使って「自分の性欲を満足させる」ことができ、それによって「児童ポルノを作成し流通させ、実在する子供の性的虐待と搾取を増加させる」かもしれない。(4)、(10)(B)を参照。これらの論拠の下に、生産手段ではなく、画像の内容による有害さが述べられている。さらに議会は、コンピュータで作成された画像によって引き起こされる別の問題を提示した。そのような画像の存在は、実際の未成年者を使用するポルノグラフィー作成者を訴追することを困難にする可能性がある。注(6)(A)を参照。議会は画像技術が向上するにつれて、実在する子供を使ってある画像が作成されたことを証明することがより困難になることを見出した。実在する未成年者を使った児童ポルノを保有している被告が起訴を免れることができないようにするために、議会はバーチャル児童ポルノに禁止の適用を拡大した。
2256(8)(C)節は、コンピュータモーフィングとして知られる、より一般的で低い技術を用いたバーチャル画像作成方法を禁止している。ポルノグラフィ作成者は、画像を一から作成するのではなく、実在する子供の無邪気な写真を改変して、子供が性行為を行っているかのように見せることができる。モーフィングされた画像はバーチャル児童ポルノの定義に含まれるかもしれないが、実在する子供を素材としており、その意味ではファーバー事件の定義に近いものである。被上告人はこの規定には異議申し立てを行っておらず、我々はこの問題は扱わない。
被上告人は§2256(8)(D)には異議申し立てを行っている。「未成年者のように見える」規定の条文と同様に、この規定の対象範囲は相当に広範である。2256(8)(D)節は、「未成年者が性的に明白な行為を行っているという印象を抱かせるように広告、宣伝、提示、描写、または配布された」性的に明白な画像を児童ポルノに含むと定義している。ある委員会の報告書は、児童ポルノとして関心を引く性的に明白な画像を対象とした規定であると確認した。S. Rep. No. 104—358, p. 22 (1996年)(「この規定は、児童ポルノとして故意に関心を持たせるように作られた性的行為を扱うポルノの素材の制作と流通を禁じることによって、児童ポルノ作成者や小児性愛者が子どものセクシュアリティに興味を抱くことを防止する」)を参照。法律はそのような範囲に限定されるものではないが、流通に関与していない所持者も同様に処罰される。ある作品が児童ポルノと類型化されると、その表現を所有したことによる汚名は残り続け、またはそのコンテンツが不快感を呼び起こさないとしても、一律に非合法化される。
CPPAが成員の活動を阻害することを懸念し、被上告人の表現の自由連合らは、カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所に法律に異議を唱えた。アダルト娯楽業界のカリフォルニア州における商業団体である表現の自由連合は、成員が性的に明白な作品で未成年者を使っていないが、これらの素材のいくつかがCPPAによって拡大された児童ポルノの定義に入ると考えた。それ以外の被上告人には、ヌーディスト・ライフスタイルを提唱する本の出版社であるボルドタイプ・インクや、 ヌード画家ジム・ギングリッチ、エロティックな画像を専門とする写真家のロン・ラファエリがいる。被上告人は、「未成年者のように見える」と「印象を与える」とする条文は過大で曖昧であると指摘し、合衆国憲法修正第1条によって保護されている作品の制作を委縮させると主張した。地方裁判所は訴えに同意せず、政府を支持する判決を下した。裁判所は、「"ロミオとジュリエットのような作品"が"違法禁制品"として扱われること」は「非常に考えにくい」とし、過大な規制であるという主張を棄却した。App. to Pet. for Cert. 62a—63a。
第9巡回区控訴裁判所は逆の判決を示した。198 F.3d 1083(1999年)を参照。裁判所は、視聴者に知らない間に違法行為をさせる傾向が認められるため、政府は表現を禁止できないと述べた。裁判所は、CPPAの示す範囲が実質的に過大であると判示した。これは、猥褻ではない素材や、ニューヨーク州対ファーバー事件458 U.S. 747(1982)が指す児童ポルノのように、実在する子供の搾取によって生産されていない素材も禁止しているからである。一方、ファーガソン判事は、猥褻や実在する児童ポルノのようなバーチャル画像は、合衆国憲法修正第1条によって保護されていない範疇の表現として扱われるべきだと主張した。198 F.3d, at 1097。控訴裁判所は、3人の判事の反対の上、再審請求を却下することを決定した。220 F.3d 1113(2000)を参照。
第9巡回区裁判所はCPPAが無効であると判断したが、他の4つの控訴裁判所はそれを支持した。アメリカ合衆国対フォックス事件 248 F.3d 394(CA5 2001)、アメリカ合衆国対メント事件 231 F.3d 912(CA4 2000)、アメリカ合衆国対アチソン事件 195 F.3d 645(CA11 1999)、アメリカ合衆国対ヒルトン事件 167 F.3d 61 (CA1), cert. denied, 528 U.S. 844 (1999)を参照。我々は移送命令書を交付した 531 U.S. 1124 (2001)。
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[編集]合衆国憲法修正第1条は、「議会は表現の自由を奪う法律を制定すべきでない」と規定している。政府は、この要請に様々な形で背く可能性がある。例えば、ローゼンバーガー対バージニア大学評議員会事件 515 U.S. 819 (1995)、ケラー対カリフォルニア州弁護士会事件 496 U.S. 1 (1990)がある。しかし、保護された表現に刑事罰を科す法制は、表現の抑圧の重要な例である。CPPAの罰則は実に厳しいものである。初犯は15年間投獄される可能性がある。§2252A(b)(1)。常習犯は5年以上30年以下の刑期を言い渡される。同節。軽い刑罰でさえ保護された表現を委縮させる。ウーリー対メイナード事件 430 U.S. 705(1977)を参照。この事件は、なぜ表現に負荷をかける法律に対する法令違憲審査を許可するのかという問いに対する教科書的事例を提供している。このような厳しい罰則が課せられているため、ほとんどの正当な映画製作者や本の出版社、または他の表現者は、この法律が示す不明確な範囲内またはその近接範囲で画像を配布することに危険性が伴う。憲法は、修正第1条が示す広大かつ特権的な範囲内での表現を委縮させる、広範すぎる抑圧法から重要な保護を与えている。この原理の下で、CPPAは保護された表現の相当な量を禁止するならば、その条項は違憲である。ブロードリック対オクラホマ州事件 413 U.S. 601, 612 (1973)を参照。
子供の性的虐待は、最も重大な犯罪であり、正常な人の道徳的本能に反する行為である。法律の所見によると、議会は子供に対する不法な欲望を抱き、衝動を満たすために犯罪行為を行う人のサブカルチャーがあると認識した。議会所見§2251に続く注記を参照。アメリカ合衆国保健福祉省、児童・青少年・家族に対する管理組織、児童虐待1999(1999年に93,000人の子供が性的虐待の被害者であったと推定)を参照。議会はまた、深刻な犯罪者は、周囲で子供との性行為を描く絵や文を交換し、これらの衝動を楽しませていたことを見出した。
議会は、子供を虐待から守るために効果的な法律を制定するかもしれないし、そのような法も存在する。 例えば、18 U.S.C.§2241 2251である。しかし、犯罪が起きる可能性があること自体は、保護された表現を抑圧する法律を正当化するものではない。キングズリー・インターナショナル・ピクチャーズ・コーポレーション対ニューヨーク州大学理事会事件 360 U.S. 684, 689 (1959)("自由人において、一般的に、犯罪を防止するために適用される抑止力は、表現の自由の権利の抑制ではなく、法律違反に対する教育と罰である"(引用省略))を参照。また、その表現に接した人が感情を不快にさせるために、表現が禁止されないことも十分に実証されている。FCC対パシフィカ財団事件 438 U.S. 726, 745 (1978)(社会が表現を侮辱的なものだと感じるかもしれないという事実は、それを抑圧するために十分な理由ではない)を参照。レノ対アメリカ自由人権協会事件 521 U.S. 844, 874 (1997)(成人の表現の自由を評価するにあたっては、「下品ではあるが猥褻ではない性的表現は憲法修正第1条によって保護されている」と完全に明確にしている)を参照。引用(セーブル・コミュニケーションズ・オブ・カリフォルニア対FCC事件 492 U.S. 115, 126 (1989)、キャリー対ポピュレーションサービス・インターナショナル事件 431 U.S. 678, 701 (1977)(保護された表現が侮辱的であるかもしれないという事実は、その抑制を正当化するものではない)。
一般原則として、憲法修正第1条は、政府が我々が見たり書いたり話したり聞いたりすることについて指図することを禁じている、表現の自由には限界がある。それは、名誉毀損、扇動、猥褻、実在の子供を使って作られたポルノで、これらのカテゴリは受け入れられていない。サイモン&シュスター対ニューヨーク州犯罪被害者の会事件 502 U.S. 105, 127 (1991) (J・ケネディ同意意見)を参照。これらのカテゴリに属す表現は憲法修正第1条に違反することなく禁止されているかもしれないが、その中にはCPPAが禁止する表現は含まれていない。控訴裁判所のファーガソン判事による異議意見では、法として認め、バーチャル児童ポルノは保護されない表現のカテゴリに追加されるものと見做されるべきであると提案した。198 F.3d, at 1101を参照。法律を支持するためには、この手順を踏む必要がある。
我々が指摘したように、CPPAは、連邦における既存の禁止された猥褻の基準を逸脱したものを禁止している。ミラー対カリフォルニア州事件 413 US 15(1973)の下で、政府は、作品が全体的に好色的な興味に訴えており、コミュニティ基準において明らかに不快で、真面目な文学的、芸術的、政治的、または科学的価値を欠いていることを証明しなければならない。Id., at 24。しかし、CPPAは、ミラー基準と関係なく、性的に明白な行為を行っている未成年者を描写したように見える画像も対象としている。素材は、好色的な興味に訴えていることを要件とされない。どのような方法で提示されていたとしても、性的に明白な行為の描写は禁止される。CPPAは、心理学の入門書の画像や、性的虐待の恐怖を描いた映画にも適用される。更に、画像が明らかに不快である必要もない。性的に明白な行為を行う17歳と思われる人物の絵は、全ての場合においてコミュニティ基準に反するものではない。
CPPAは、真面目な文学的、芸術的、政治的、または科学的価値を持っている表現も禁止している。この法律は、現代社会の事実であり、時代を問わず芸術と文学の主題にもなっている、性的な行為を行うティーンエイジャーの若者の像の視覚的描写を禁じている。CPPAの下では、18歳未満のように見える限り、画像は禁止される。18 U.S.C. § 2256(1)。これは、多くの州の結婚可能年齢や性的同意年齢よりも高い。§2243(a)(連邦海事区域および土地管轄区域における同意年齢は16)を参照。 アメリカ合衆国州法の全国調査384-388 (R. ライター ed., 3d ed. 1999) (48州が16歳が親の同意を得て結婚することが認められる)。 W. エスクリッジ&N. ハンター、セクシュアリティ、ジェンダーと法律1021-1022(1997)(39州およびコロンビア特別区では、同意年齢は16歳以下)。言うまでもなく、若者の中には法定年齢の前に性的行為を行っている者もいれば、性的虐待の被害者であることもある。
ティーンエイジャーの性的行為と子供の性的虐待の主題は、両方が無数の文学作品に影響を与えてきた。ウィリアム・シェイクスピアは、最も有名なティーンエイジャーの恋人同士を作り、その一人は13歳だった。ロミオとジュリエット act I, sc. 2, l. 9 (彼女は14歳への変化を見ていない)を参照。 演劇では、シェイクスピアはその関係を光り輝くあどけないものとして描いているが、ジュヴナイルではない。この作品は40以上の映画を触発させており、その内のいくつかはティーンエイジャーの彼らが関係を完全なものにすることが示唆されている。例えば、『ロミオ+ジュリエット』(バズ・ラーマン監督、1996年)。シェイクスピアはエリザベス朝の観客にとっては性的に明白な場面を書いていないかもしれないが、現代の監督は従来型ではないアプローチを採用しており、その事実をもって、その作品が猥褻であるという結論には至らない。
現代映画は同様の主題を追求している。昨年のアカデミー賞は、これを特集した『トラフィック』を作品賞にノミネートした。「より少ない予測されるアカデミー賞候補者, N. Y. Times, Feb. 14, 2001, p. E11.」を参照。この映画は薬物中毒となった16歳のティーンエイジャーを描いている。観客は彼女の中毒が悪化し、最終的に彼女が薬と引き換えにのセックスをするために不潔な部屋に招かれる様子を見る。その1年前、『アメリカン・ビューティー』がアカデミー賞作品賞を受賞した。「『アメリカン・ビューティー』がオスカー頂点に」N. Y. Times, Mar. 27, 2000, p. E1.を参照。映画の中で、ティーンエイジャーの少女がティーエイジャーのボーイフレンドと性的関係を持ち、他の場面では別の少女が中年男性の欲望に応じる。この映画には、実際には行為が起こっていないことを観客が理解しているものの、登場人物の一人はティーンエイジャーの少年が年上の男に性的行為を行っている所を見たと思っている。
我々の社会は、他の文化と同様に、若者の人生や宿命に共感し、不朽の強い興味を持っている。芸術や文学は、我々全員がいつかの成長期に経験した傷、深い失望、悲劇的な選択肢の間違いを想起させるが、道徳的行いや自己実現に到達させることができる。我々が言及した映画がCPPAに違反しているかどうかに関わらず、彼らは法律が禁止した広い範囲の中で主題を探求する。これらの映画、またはそれ以外の同じ主題を探求した多くの作品の中に、法律が定義する性的な行為の視覚的描写が一つ含まれる場合、映画の所有者は作品に欠点を補う価値があるかどうかを問わずに厳しい処罰を受けることになる。これは、合衆国憲法修正第1条の本質的な規則に反する。作品の芸術的利益は、単一の明白な場面の存在に依存しない。書籍名『ジョン・クレランドによる夫人の官能的な悦びの回想』対マサチューセッツ州検事総長事件 383 U.S. 413, 419 (1966)(相対多数意見)(本の社会的価値は、その好色への訴えかけや不快さによって量られることはなく、失効もしない)。ミラー基準の下で、修正第1条の保護された表現かどうかを判断する場合、作品を全体として見て欠点を補う価値があるかどうかを判断することが求められている。物語の一部の場面が侮辱的であったとしても、作品そのものがこの理由のために猥褻とはならない。コイス対ウィスコンシン州事件 408 U.S. 229, 231 (1972)(全員一致意見)。以上の理由と、我々が指摘した他の理由により、CPPAが禁止している表現は、禁止される猥褻の定義であるコミュニティ基準で明らかに不快にさせる表現との間に必要な相関性がないため、猥褻を禁止していると考えることができない。
政府は、児童ポルノと事実上区別が出来ないものがCPPAによって禁止されるため、それは価値のある作品であるかどうかにかかわらず禁止されると主張し、この問題を解決しようとしている。ニューヨーク州対ファーバー事件 458 U.S., at 761.参照。ファーバー事件は、画像が子供の性的虐待の結果による産物である場合、その内容にかかわらず、州はそれを禁止する利益を持つと判示した。Id., at 761, n. 12; see also id., at 775 (オコナー同意意見)(起草されている通り、ニューヨーク州の法律は、特定の考えの伝達を抑制しようとはしていない)。法律が対象としているのは、その内容ではなく、生産方法である。子供の参加者にもたらした害は、作品が真面目な文学的、芸術的、またはその他の価値を含んでいたという事実によって弁明されなかった。単純に「性的関連素材に対するコミュニティの許容範囲を、性的搾取から子供を守ることを目的とした法律の許容範囲と同一視することは非現実的である」 Id., at 761, n. 12. 。
ファーバー事件は、これらの行為が2つの理由で子供の性的虐待と「本質的に関連」していたため、児童ポルノの販売と生産の禁止を支持した。Id., at 759.。第1に、児童虐待の恒久的に残存する記録が、継続して流通すること自体が、参加した子供に対する危害を及ぼすことである。名誉毀損的言説のように、素材が新しく流通する度に、その子供の名誉と感情的な幸福に対して新たに危害が加えられることになる。id., at 759, and n. 10. 参照。第2に、児童ポルノの売買はその生産の経済的動機であるため、州はその流通ネットワークを遮断することに利益を持つことである。「法の執行における唯一の実用的な方法ではないとしても、最も迅速なことは、製品の販売、広告、その他の宣伝や生産を行う者に対して、重い刑罰を科すことによって、この素材の市場を枯渇させることである」。Id., at 760.。それらの理論的根拠に基づき、裁判所はこれらの行為が犯罪と近似していると判断した。
その後、オズボーン対オハイオ州事件 495 U.S. 103 (1990)において、裁判所は、これらと同じ利益に基づき、子供を参加させて作られたポルノの所有の禁止が正当化できると判決した。「児童ポルノの被害者を保護することの州の利益の重要性を考えると」、「流通網の全てのレベルでこの害悪を打ち切ろうとするのは」理にかなっている。Id., at 110.。オズボーン事件はまた、児童ポルノが未成年者の勧誘の道具として使用されるのを防ぐことの州の利益を指摘した。Id., at 111.。しかし、裁判所は、この判決が参加者、すなわち「児童ポルノの犠牲者」と呼ばれる者への配慮である点を堅持した。Id., at 110. 。この配慮がなければ、その他の政府の利益で正当化できることは示唆されていない。infra, at 13—15.を参照。
ファーバー事件で禁止された、そのものが性的虐待の記録である表現とは違って、CPPAは犯罪の記録ではなく、その生産過程で犠牲者が発生していない表現を禁止している。バーチャル児童ポルノは、ファーバー事件で禁止された素材とは違って、子供の性的虐待に「本質的に関連」するものではない。458 U.S., at 759.。政府は画像が実際の児童虐待の事件に繋がるかもしれないと主張しているが、infra, at 13—16を参照、因果関係は偶発的かつ間接的である。ここで主張される害は、必ずしも表現に伴うものではなく、その後に発生するかもしれない曖昧な犯罪行為の可能性に依存している。
政府は、ファーバー事件が判示したように、児童ポルノは価値のある表現になることはほとんどないため、これらの間接的な害で禁止するには十分であると主張する。458 U.S., at 762(猥褻な性的振る舞いを行っている子供の実演動画と写真の複製を許可する価値は、僅少ではないにしても非常に小さい)参照。しかし、この主張には2つの欠陥がある。1つ目は、ファーバー事件の児童ポルノに関する判示は、それが伝達されたということではなく、その作成方法に基づいていたことである。ファーバー事件は、表現が猥褻でなかったり、性的虐待の産物でなかった場合、合衆国憲法修正第1条の保護の対象外とはならないことを再確認した。id., at 764—765(性的行為や性的描写で、猥褻ではなく、実演動画や写真やその他の実演された視覚的素材ではない表現は、修正第1条の保護を受ける)を参照。
政府の主張の2つ目の欠陥は、ファーバー事件は児童ポルノを価値がないものとは定義していないことである。逆に、裁判所は、このカテゴリのいくつかの作品が重要な価値を持つと認識しており、id., at 761を参照、CPPAの禁止対象となるようなバーチャルな画像を代替的に用いることを、許容できる表現手段として認識している。「文学的価値や芸術的価値に資する場合は、法定年齢よりも若く見える人物を用いることができる。シミュレーションが法律で禁止されている場合は、別の代替手段を用いることができる」。Id., at 763.。ファーバー事件は、実際の児童ポルノとバーチャル児童ポルノを区別しただけではなく、後者を代替物として用いることを認めた。ファーバー事件は、この区別を否定し、代替物を犯罪とする法律を支持していない。
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[編集]我々が述べた理由により、CPPAはミラー基準に反しており、ファーバー事件でも支持されていない。政府は、その他の理由で禁止を正当化しようとしている。小児愛者は子供を勾引かすためにバーチャル児童ポルノを利用する可能性があるため、CPPAが必要であると主張している。しかし、漫画、ビデオゲーム、キャンディーなど、不道徳な目的のために利用される可能性のある無害な物は多くあるが、悪用される可能性があるからといってそれが禁止されることはない。当然、政府は子供に不適切な素材を提供する成人を処罰することがあり(ギンズバーグ対ニューヨーク州事件、390 U.S. 629(1968)参照)、違法の教唆に対して刑事罰を科す可能性がある。しかし、判例は、成人が享受することができる権利の内にある表現が、子供をその表現から守るために完全に無くす必要はないとしている。セーブル・コミュニケーションズ・オブ・カリフォルニア対FCC事件 492 U.S. 115 (1989)参照。バトラー対ミシガン州事件 352 U.S. 380, 381 (1957)において、裁判所は、未成年者を「暴力的または不良な、または不道徳な行為を行うよう煽動させる」傾向があることを理由に、卑猥な出版物の配布を禁止する法律を無効にした。裁判所は全会一致で、国家が「成人の人口を無視し、国民に子供に適したものだけを読ませること」は出来ないという重要な合衆国憲法修正第1条の原則に合意している。Id., at 383.。我々はこの原則を再確認した。アメリカ合衆国対プレイボーイ・エンターテインメント・グループ・インク事件 529 U.S. 803, 814 (2000) (表現の保護をより限定的ではない方法で達成できる場合、子供を保護する目的は表現の全面的な禁止を支持するには不十分である)、レノ対アメリカ自由人権協会事件 521 U.S., at 875(子供を有害な素材から保護する政府の目的は、成人向け表現の不必要に広範な禁止を正当化するものではない)、セーブル・コミュニケーションズ対FCC事件 上記130—131 (「成人の電話での会話の内容を子供が聞くのに適したものに限定する」結果をもたらす「ダイアルポルノ」メッセージの禁止を無効とした)を参照。
政府は、子供が犯罪を行わないようにするために表現から保護したいと考えている。しかし、原則は変わらず、政府は子供がその表現に触れる可能性があるからといって成人を対象とした表現を禁止することはできない。問題の害悪は、出演者が違法行為を行っているかどうかに依存する。これは、表現の禁止が狭く設定されていないことを立証している。この目的は、違法行為を禁止することだが、この制限は、法を遵守している大人に保護された表現を制限することであり、害悪が利益を遥かに上回る。
政府また、バーチャル児童ポルノが小児性愛者の欲望を刺激し、違法行為を行うよう促すと主張している。この主張は、問題となっている条項を支持する根拠にならない。表現が違法行為を促進する傾向があるというだけでは、それを禁止する十分な理由とはならない。政府は「個人の内心を望ましいものに制限する法律を憲法上制定することは出来ない」。スタンリー対ジョージア州事件 394 U.S. 557, 566 (1969)。修正第1条の自由は、政府が内心を制限しようとしたり、許されない目的のために法律を正当化しようとするとき、最も危機的な状態となる。思考する権利は自由の始まりで、表現は思考の始まりとなるため、表現は政府から保護されなければならない。
これらの自由を保護し、自由のための表現を保護するために、憲法修正第1条の判例は、言葉と行為の間と、思想と行為の間に重要な区別を設定してきた。キングズリー・インターナショナル・ピクチャーズ・コーポレーション事件 360 U.S., at 689。バートニッキー対ヴォッパー事件 532 U.S. 514, 529 (2001)(違法行為を抑止する一般の方法は、それを行う人物に適切な刑を科すことである)を参照。政府は違法行為が「将来の不確定なある時分に」行われる可能性を増加させるからといって、表現を禁止することはできない。ヘス対インディアナ州事件 414 U.S. 105, 108 (1973)(全会一致)。政府は、「そのような主張が、差し迫った違法行為を誘発する可能性が明白な」場合に限り、暴力または違法行為を唱導するための表現を禁止する余地がある。ブランデンバーグ対オハイオ州事件 395 U.S. 444, 447 (1969) (全会一致)。この件においては、企て、扇動、教唆、または陰謀はない。政府は、思考や衝動を促す表現と結果として生じる児童虐待との間に遠い関連性を示すだけでは足りない。著しく強固で直接的な関連性がなければ、小児性愛者が違法行為を行うよう促す可能性があるという理由で、政府は表現を禁止することはできない。
次に、政府は実在の子供を用いて作られたポルノの市場を排除するという目的には、バーチャル画像の禁止も必要であると主張している。政府が主張しているバーチャル画像は、実写の画像と区別がつかず、それらは同じ市場にあり、頻繁に取引されるという。故に、バーチャル画像は、現実の子供の搾取を通じて生産された物の売買を促進すると主張される。この仮説はいささか信じられない。バーチャル画像が違法な児童ポルノと同一ならば、違法な画像は市場から代用品によって駆逐されるであろう。コンピュータで作られた架空の画像で十分ならば、訴追を受けるリスクを負ってまで、ポルノ制作者が現実の子供を虐待する必要はないからである。
ファーバー事件の対象となる素材の場合、表現の作成自体が児童虐待の犯罪となる。これを禁止することは、利益の動機を除去することであり、犯罪を抑止することとなる。オズボーン事件 495 U.S., at 109—110を参照。例えばバートニッキー事件上記 529 (市場の抑止は、ラジオのコメンテーターが違法に妨害された発言を流布することを禁止する法律を正当化しない)。ここには、根本的な犯罪は一切行われておらず、この場合にバランスを取る余地を検討する必要はない。仮に政府の市場抑止論がいくつかの文脈で説得力があったとしても、それはこの法律を正当化するものではない。
最後に、政府は、コンピュータで生成された画像を作成することを認めることは、実在の子供を使ってポルノを作成する人物を起訴することを非常に困難にすると主張している。専門家は、画像が実在の子供を用いて作られたものであるのか、コンピューターで作られたものなのかを判断するのが難しいかもしれないと述べている。このことに必要とされる解決策は、両方の種類の画像を禁止することだという。この主張は、本質的に、保護されていない表現を禁止する手段として、保護された表現が禁止される可能性があるという問題が生じることとなる。これは、修正第1条の原理に根底から反する。
政府は、違法な表現を禁止する手段として、合法な表現を禁止することはできない。保護された表現は、保護されていない表現に似ているからといって、保護されなくならない。憲法はその反対を要求している。「保護されていない表現が処罰されないようになることで社会に及ぼす可能性のある害よりも、他者の保護された表現が無くなってしまう可能性がある害の方が上回る」。ブロードリック対オクラホマ州事件 413 U.S., at 612。相当量の保護された表現がその過程で禁止または委縮する場合、過度に広範な条文によって政府が保護されていない表現を禁止することは禁じられる。
この反論を回避するために、政府は表現を禁止する尺度をCPPAに求めるのではなく、被告人が裁判で自らの表現が合法であると証明すればいいと主張した。政府は被告の積極的抗弁に依存している。これは、被告が、素材が成人のみを使用して製造され、実在の子供を描写したかのような印象を与える方法で配布されていないことを証明することによって、非所有犯罪に対する有罪判決を回避することを可能にすると主張している。18 U.S.C. § 2252A(c)を参照。
政府は、被告の表現が違法でないことを証明する責任を被告に負担させることによって、深刻な憲法上の問題を生じさせている。積極的抗弁は、起訴が開始された後にのみ適用されるため、表現者は、重罪で告発された苦痛の中、自身の行動が積極的抗弁の範囲内にあることを証明しなければならない。CPPAの場合、証拠提出責任を果たすことは容易ではない。被告が作品の制作者でない場合、彼は出演者のアイデンティティや出自を確認する方法を持たないかもしれない。証拠問題が政府にとって重要な問題である場合、それは少なくとも無実の所有者には困難である。更に、法律は1996年以前に作成された作品にも適用され、生産者自身が証拠提出責任を果たすために必要な記録を保存していない可能性がある。抗弁の確立に失敗した場合、重罪の判決が下される可能性がある。
しかし、政府がこの負担を表現者に課すことができるかどうかを判断する必要はない。例え積極的抗弁が憲法修正第1条に違反している可能性から法を守ることが出来るとしても、この違憲性に対抗することは抗弁の可能性だけでは不完全であり、不十分である。配布者とは別に、作品を所有していることを問われた被告は、映画が成人の俳優だけを描写しているという理由で抗弁できないかもしれない。同節参照。そのため、積極的抗弁が映画制作者を配布行為に対する訴追から守ることができる一方で、それ以外の流通網やその他の全ての関係者も禁止された作品を所有した責任を問われることとなる。更に、積極的抗弁は、コンピュータで生成された画像の使用や、未成年者のように見える成人の出演者の使用を伴わない他の手段によって、表現を行う者に対して保護を提供しない。同節参照。このような場合、被告は、画像を作成する際に子供が傷ついていないことを立証することができるが、積極的抗弁は訴追を抑止しない。このような理由から、実在の子供を用いて作られた画像とバーチャルの画像を区別する政府の利益に結び付かない多くの表現が、保護されないままとなり、積極的抗弁は法律の違憲性に対抗することができない。
要約すると、§ 2256(8)(B)は、ファーバー事件とミラー事件で禁止が認められているカテゴリを超えた素材を対象としており、表現の自由を制限するために政府が主張している理由は、憲法修正第1条の法や判例において正当性がない。この規定は、多くの量の合法的な表現を行う自由を侵害しており、過度に広範のため違憲である。
4
[編集]被上告人は§ 2256(8)(D) も争点としている。この条項は、「未成年者が性的に明白な行為を行っているという印象を抱かせるように広告、宣伝、提示、描写、または配布された」性的に明白な行為の描写を禁止している。当事者は、この節を、児童ポルノのように見える素材を禁止する条項とほぼ同じものとして扱う。政府の見解では、両者の違いは「"印象を抱かせる"条項は、陪審員が、それが宣伝された方法に照らして問題の素材を評価することを要求する」ということである。原告の弁論趣意書18, n. 3。しかし政府の前提は、依然として禁止される作品の内容に主に依拠しているということに置かれている。
我々はこの見解に同意しない。CPPAは、未成年者を描写する「印象を抱かせる」性的に明白な素材を禁止している。その条文は、§ 2256(8)(B)の「のように見える」と同じように聞こえるかもしれないが、画像の内容についてほとんど判断を必要としていない。例え映画に未成年者が関係する性的に明白なシーンが含まれていなくても、タイトルと予告編に映画内にそのシーンがあるという印象を抱いたとすれば、児童ポルノとして扱うことができる。判決は、描かれているものではなく表現がどのように提示されているかだけが考慮される。法律上の所見は、児童ポルノのように見える素材によって引き起こされる問題の対処を意図しているが、迎合によって生産される画像によって引き起こされる罪悪に対しては効果がない。
政府はこの条項を真剣に守ろうとしておらず、CPPAを擁護する他の主張は§ 2256(8)(D) に言及していない。素材は、例えば刑事裁判で児童ポルノと混同される可能性は低い。裁判所は、特定の素材が猥褻であるかどうかという問題に対して、迎合があった可能性が証拠として重要であると認識している。ギンズバーグ対アメリカ合衆国事件 383 U.S. 463, 474 (1966)(問題の素材の[猥褻]性の判定において、迎合があった証拠が有力となる)を参照。被告が「訴求力を高めるためにのみ、エロティカを商業的に販売すること」を行っている場合には、id., at 466、彼または彼女が作成を行う文脈そのものが、その素材の評価に関係する可能性がある。
しかし、§ 2256(8)(D) の条項は、ギンズバーグ事件の根拠に反した多くの表現を禁じている。禁止された素材は、それを手にした全ての人を違法とするが、販売、売却、または記述された方法については一切責任を負わない。更に、法律は文脈が「商業利用」の一部であることを要求しない。同節。結果的に、CPPAは迎合を禁止する以上の禁止範囲を設定している。これは、流通経路の初期で、何者かが児童ポルノとして記述したり、または斡旋された素材の所有を禁じている。この規定は、禁止された映画であることを仄めかす箱に入れられていることを理由に、未成年の出演者を含まない性的に露骨な映画を禁止している。所有者は映画が誤ってラベル付けされていることを知っていたとしても罪に問われる。憲法修正第1条の下では、より精密な制限が必要となる。よって、§ 2256(8)(D) の条項は過度に広範であり、憲法修正第1条に違反している。
5
[編集]我々が述べた理由により、§2256(8)(B)と§2256(8)(D)の禁止規定は過大であり、違憲であると判決する。上記の結論に達したため、我々は、曖昧な法律の条文のために規定が違憲であるとの被上告人の主張を棄却する必要はない。 控訴裁判所の判決を支持する。
以上の通り命令する。
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