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殿中御掟

オープンアクセス NDLJP:A380殿中御掟 永祿12年(1569年)

 

     義昭
   御袖判

     殿中御掟

不斷可召仕御部屋衆、定詰衆、同朋以下前々

公家衆、御供衆、申次、御用次第可參勤

惣番衆、面々可祇候

各召仕者︀、御緣へ罷上儀、爲當番衆罷下旨、堅可申付、若於用捨之輩者︀、可越度

公事篇內奏、御停止之事

奉行衆、被意見上者︀、不是非之御沙汰

公事可聞召式目可前々

申次之當番衆、每事別人不披露

オープンアクセス NDLJP:A381諸︀門跡、坊官、山門衆、從醫陰輩以下、猥不祗候。付、御足輕、猿樂隨召可參事

永祿十二年正月十四日            彈正忠 

                       (仁和寺文書)

 

 

殿中御掟追加 永祿12年(1569年)

 

     追加

寺社︀本所領、當知行之地、無謂押領之儀堅停止事

請取沙汰停止事

喧𠵅口論之儀被停止訖。若有違亂之輩者︀、任法度旨御成敗事。付、合力人同罪

理不盡入催促儀、堅停止事

直訴訟停止事

訴訟之輩在之者︀、以奉行人言上

當知行之地者︀以請文上御下知

永祿十二年正月十六日            彈正忠 

                       (仁和寺文書)

 

オープンアクセス NDLJP:B8
 

足利義昭織田信長誓約書 永祿13年(1570年)  原寸縱〇・二五八橫〇・七七六

 東京市 德富猪︀一郞氏所藏

 
オープンアクセス NDLJP:B9 義昭

 條々

諸︀國へ以 御內書、被仰出子細有之者︀、信長に被 仰聞、書狀を可添申事、

御下知之儀、皆以有御弃破、其上被御思案、可相定事、

 公儀、忠節︀之輩に、雖御恩賞御褒美度候、領中等於之は、信長分領之內を以ても、 上意次第に可申付事、

天下之儀、何樣にも、信長に被任置候上者︀、不誰々、不 上意、分別次第可成敗候事、

天下御靜謐之條、 禁中之儀、每事不御油斷之事、

 巳上

  永祿十參

    正月廿三日                 天下布武

     日乘上人

     明智十兵衞尉殿

 

 

御異見十七ケ條 元龜3年(1572年)

 

オープンアクセス NDLJP:上39

御參內之儀光源院殿御無沙汰に付て果而無御冥加次第事舊く依之當御代之儀年々無僻怠樣にと御入洛の刻より申上候處早被思食忘近年御退轉無勿躰存候事

諸︀國へ御內書を被遣馬其外御所望の躰外聞如何に候の間被加御遠慮尤存候伹被仰遣候はて不叶子細者︀信長に被仰聞添狀可仕の旨兼て申上被成其心得の由候つれ共今はさも無修座遠國へ被成御內書御用被仰之儀最前首尾相違候何方にも可然馬なと御耳に入候はゝ信長馳走申進上可仕の山申奮候キさ樣には候はて以密々直に被仰遣義不可然存候事

諸︀侯の衆方々御屆申忠節︀無踈略輩には似相の御恩賞不被宛行今々の指者︀にもあらさるには被加御扶持候さ樣に候ては忠不忠も不入に罷成候諸︀人のおもはく不可然事

今度雜說に付て御物をのけさせられ候都︀鄙無其隱候其京都︀以外忩意そういたる由驚存候御搆に普請以下オープンアクセス NDLJP:上40苦勞造作を仕候て御安座の儀候處御物を被退候て再何方へ可被移御座候の哉無念の子細候さ候時は信長辛勞も徒に罷成候事

賀茂の儀岩成に被仰付百性前堅御糺明の由表向御沙汰候て內儀は御用捨の樣に申觸し候物別か樣の寺社︀方御欠落如何にと存候へとも岩成堪忍不届とゝかす令難︀饑の由候間先此分にも被仰付御耳をも被休又一方の御用にも被立候樣にと存候處御內儀如此候へは不可然存候事

信長に對し無等閑輩女房衆以下まても思食あたらるゝ由候令迷惑候我等に無疎略者︀と被聞食候はゝ一入被懸御目候樣に御座候てこそ忝可存候をかひさまに御意得こゝろへなされ候如何の子細候哉の事

無恙致奉公何の科も御座候はね共不被加御扶助京都︀の堪忍不届者︀共信長にたより歎申候定て私言上候はゝ何とそ御憐も可在之かと存候ての事候間且は不便に存知且は 公儀御爲と存候て御扶持の義申上候へ共一人も無御許容候餘文緊なる御諚共候間其身に對しても無面目存候勸世與左衞門古田可兵衞上野紀伊守類︀の事

若州安賀庄御代官の事栗屋孫八郞訴訟申上候間難︀去存種々執申參らせ候も御意得不斷過來候事

小泉女家預ケ置雜物再質物に置候腰刀脇指等まて被召置の由候小泉何とそ謀叛をも仕造意曲事の子細も候はゝ根を斷葉を枯しても勿論候是者︀不計喧嘩にて果候間一且被守法度は尤候是程まて被仰付候儀は御欲德の儀によりたると世間に可存候事

元龜の年號不吉候間改元可然の由天下之沙汰に付て申上候 禁中にも御催の由候處聊の雜用不被仰付千今延々候是は天下の御爲候處御油断不可然存候事

烏丸事被蒙勘氣の由候息の儀は御憤も無余儀候處誰哉覽內儀の御使を申候て金子を被召置出頭させられ候由候歎敷候人により罪に依て過怠として被仰付候趣も可在之候是はしやう性之仁候當時公家には此仁の樣の處如此次第外聞咲止に存候つる事

他國より御禮申上金銀を進上歴然候處御隱密候てをかせられ御用にも不被立候段何の御爲候哉之事

明智地子銭を納置買物のかはりに渡遣候を山門領之由被仰懸預ケ置候者︀の御押の事

去夏御城米被出金銀に御賣買の由候 公方樣御商買の儀古今不及承候今の時分候間御倉に兵粮在之躰こそ外聞尤存候如此の次第驚存候事

御宿直に被召寄候若衆に御扶持を被加度思食候はゝ當座何成共可有御座事候處或御代官職被仰付或非分の公事を申につかせられ候事天下褒貶沙汰限候事

諸︀侯の衆武具兵粮以下の嗜はなく金銀を專に藷之由候牢人之支度と存候是も上樣金銀を被取置雜說砌者︀御搆を被出候に付て下々迄もさては京都︀を捨させらるへき趣と見及申候て之儀たるへく上一人を守候段不珍候事

諸︀事に付て御欲かましき儀理非も外聞にも不被立入由其聞候然間不思儀の土民百姓に至迄も惡御所と申成由候 普光院殿をさ樣に申たると傳承候其は各別の儀候何故如此御影事を申候哉爰を以て御分別參るへき歟の事 以上



この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。