後光厳院御百首

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二十首[編集]

立春

九重に八重のかすみもたちそひて雲のうへにや春は來ぬらむ

見しまゝのゆきだに消󠄁えぬ山の端に春をおそしと立つ霞かな

おりはへて野にも山にも立ちきつゝ霞ぞ春のころもなりける

鶯のものうかる音󠄁󠄁󠄁󠄁もなきかへてわが身さかゆく春にあふらし

若菜󠄁

蹈分けて野澤の若菜󠄁今日つまむ雪󠄁間をまたば日かずへぬべし

春雪󠄁

あやなくも花の名だてに淡雪󠄁の梅が枝にしも散りまがふらし

まださかぬ木末もしばしにほふなり梅が香さそふよその嵐に

咲󠄁きにほふ軒端の梅の花ざかりさそはぬほどの風はいとはじ

吹く風のこゝろもしらでひとかたになびきなはてそ靑柳の絲

春雨

ふるとしもさだかに見えぬ春雨に花のしづえの露ぞおちそふ

歸鴈

ゆくすゑは霞にきえてはると聲のみかへる鴈のひとつら

春月

いくたびか朧月夜とうらみましかすみを春にならはざりせば

うたてわが心なるべき宿にさく花しもなどかつれなかるらむ

永き日のくるゝも知らずわけきつる山のかひある花の夕ばえ

あぢきなくうき世の春の色見えてうつろふ物と花やちるらむ

さそはるゝうきもわすれて見つるかな花ふきみだす春の夕風

庭にだにとはぬ嵐をかこたばや散るをば花のとがになすとも

欵冬

よしさらば花をもめでじ山吹の咲󠄁きては暮るゝ春しうければ

藤󠄁

十かへりの松の花ともおもはましみどりを見せてかゝる藤󠄁波

暮春󠄁

ちりはつる花の跡さへ淋しきにいかにせよとて春のゆくらむ

十五首[編集]

更衣

たちかふるそではひとへにうすくとも花の香のこせ蟬の羽衣

郭公

村雨の雲間の月をしるべにていとゞ待たるゝほとゝぎすかな

人もまたかくや聞くらむ時鳥わが待ちえたる夜半󠄁のひとこゑ

あかずなほしばしかたらへ郭公いかに待たれし初音󠄁󠄁󠄁󠄁とかしる

早苗

あらたまの年もゆたかに早苗とる田のもおしなみ賑ひにけり

盧橘

うつしうゑし昔をかけてかたらなむ代々のみはしににほふ橘

五月雨

さみだれはあやめの草のしづくよりなほ落ちまさる軒の玉水

あやにくに見るべき月のよごろしも晴間まれなる五月雨の空

夏月

月影の入るをも待たであくる夜のをしむにつらき山の端の空

夏草

夏草の道あるかたは知りながらことしげき世を猶󠄁まよふらむ

鵜川

夕やみのゆくへしられて鵜飼舟たえ見ゆるかゞり火の影

しげりあふ夏野の草をふく風に露もほたるも散りまがひつゝ

夕立

見るまゝに外山のみねは雲はれて夕立すぐるかぜぞすゞしき

納󠄁凉

名にしおへば淸く凉しきすまひして我宿からは夏もいとはじ

夏祓

みそぎする河瀨に秋やかよふらむ麻の葉ながす風ぞすゞしき

二十首[編集]

早秋

秋とだにしられぬ桐の一葉にもきゝしにかはる風のおとかな

七夕

ゆくすゑの秋をもてらせ七夕にこよひたむくる庭のともし火

わきてなど荻の葉にのみのこるらむほどなくすぐる庭の秋風

秋をへて古枝に咲󠄁ける萩の戶の花もむかしのいろやかはらぬ

へだつとは見えてまぢかく聞ゆなり霧のうへゆく初鴈のこゑ

鹿

妻戀の道やまどへる小男鹿の野はらしのはら過󠄁ぎがてに鳴く

秋夕

何となくわが身ひとつの秋ならぬ夕のそらもかなしかるらむ

秋田

おのづからひかぬなるこも音󠄁󠄁󠄁󠄁たてゝ田の面の庵に風ぞもりくる

さしのぼる月のためとや晴れぬらむ秋かぜまたぬ山の端の雲

ゆくへなくたゞよふ雲を吹きかけて風にもしばし曇る月かな

あまの川雲のみをゆくほどよりはふけざりけりな秋の夜の月

たれもしれをばすてならぬ月をみてなぐさむやとの秋の心を

すみなれし世々の昔のこととはむしばしやすらへ雲の上の月

うらがるゝ淺茅がすゑの秋かぜに露をよすがと蟲や鳴くらむ

里人のあさけのけぶりたちそひて霧はれやらぬをちの一むら

擣衣

きくからに民の心もあはれなり夜さむを時ところもうつこゑ

うつし植うる雲居の庭のしらぎくは九重にこそ花も咲󠄁くらめ

紅葉

たつた山しぐれもまたで色づくやこゝろづからの梢󠄁なるらむ

秋の色にそむる時雨やたてもなくぬきもさだめぬ錦なるらむ

九月盡

今日のみと秋を慕はぬゆふべだになほざりにおく袖の露かは

十五首[編集]

時雨

したひこし秋のわかれのなみだより袖ほしあへぬ初時雨かな

落葉

さそはれし木々の紅葉はちりはてゝ尾上の松にのこる山かぜ

いとゞしく枯間の尾花しろたへの袖にまがへとおける霜かな

寒草

かぎりあれば秋もかくやはきゝわびし嵐もさむき霜のした荻

人しれぬ木の葉のしたの埋水こほればいとゞありとしもなし

冬月

ちりはてし杜のこずゑはさびしくて松の雪󠄁かと見ゆる月かげ

千鳥

あつめこし代々のあとゝて濱千鳥わが名もかくる和歌の浦波

水鳥

霜はらふをしの羽風のさゆる夜は我さへとけて夢もむすばず

かきくれてふるや霰のたまざゝにしばしもとめずはらふ山風

雪󠄁

もろ人のあしたをいそぐほど見えてはやあとつくる九重の雪󠄁

道しあれば我世もなどか白雪󠄁のふりにし跡にかへらざるべき

消󠄁えあへぬ昨日の雪󠄁のそのまゝに凍るまでとやまた積るらむ

鷹狩

きゞす鳴く野邊の落草ふみわけてたなれの鷹を合せつるかな

炭竈

たちのぼる煙󠄁の末をしるべにて道にまよはぬ小野のすみがま

歳暮

つながれぬ月日ながらも今更にくれゆく年ぞおどろかれぬる

二十首[編集]

寄風戀

吹きはらふ風にはいかゞことづてむうはの空なる思なりとも

寄雲戀

我方にへだてゝつらき天雲のよそにうき名のいかでたつらむ

寄煙󠄁戀

たく火にもいかゞ思はむ富士のねの煙󠄁はたえぬ名にたてれども

寄杜戀

くちはてむ後ぞかなしき思ふともつひにいはでの杜のした草

寄關戀

たちわかれ又いつとだに白河の關路はるかに名をやへだてむ

寄橋戀

我中はをだえの橋のたえにまたもあふよを待ち渡りつゝ

寄藻戀

いかにせむ我に心をおきつ藻のなびきもはてずつらき契りは

寄篠戀

うきふしもげに忘られでをざゝ原一夜の夢をあはれとぞ見る

寄杉戀

あはれとやさすがうけゝむ祈りこししるしは今ぞ三輪の神杉

寄鳰戀

心だにかよはゞなどかにほ鳥のあしまをわくる道もなからむ

寄猪戀

よひにふすゐの床のかるもかき思ひ亂れてあかす比かな

寄蛛戀

今こむと契りし暮をさゝがにのいと苦しくも身にたのむかな

寄鏡戀

うつりゆくつらさばかりのます鏡かたみばかりの影も殘らず

寄筵戀

いたづらにいくよの塵のつもるらむうちもはらはぬ床の狹筵

寄衣戀

よそにのみへだつる中の唐衣きつゝなれにしうつりがもなし

寄劍戀

おのづからめぐりあひても下紐のとけてぬる夜ぞ少かりける

寄弓戀

今ぞうきかはるちぎりのしらま弓なびきそめてし心よわさは

寄舟戀

かずならぬ身はうき舟のいつまでかよるべ渚に思ひくだけて

寄鐘戀

忘れてはまた歎かるゝゆふべかな聞きしにもあらぬ入相の鐘

十首[編集]

曉鷄

事しげきわがならはしにおきなれて聞けば夜深き鳥の聲かな

夜燈

うたゝねの夢はさめゆく窓のうちに猶󠄁ともし火の夜を殘すらむ

浦松

志賀の浦や浪路はるかに見渡せば夕日にのこるからさきの松

庭竹

昔たれうつしそめけむこゝのへに世々をかさぬる庭のくれ竹

山家

かれずとふ松のあらしの吹かぬまや猶󠄁山里のさびしかるらむ

田家

小山田のいなばの秋はときすぎてもる人もなき柴のかりいほ

羇旅

かぎりなく遠く來にけり隅田川こととふ鳥の名をしたひつゝ

眺望󠄂

まつらがたもろこしかけて見渡せば浪路も八重のすゑの白雲

述󠄁懷

なほざりに思ふゆゑかとたちかへり治まらぬ世を心にぞとふ

祝言

代を治め民をあはれむまことあらば天津日嗣の末もかぎらじ

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。