川中島合戦評判
【 NDLJP:242】川中島合戦評判
北越の勇将謙信、兵一万三千を擁して、深く信州川中島に到る。甲府の別堺・海津の城を観ひ、近地の高陽を占めて、厳しく西条山に拠る。海津の兵望み見て、羽檄を飛して、之を甲陽に告ぐ。信玄速に兵を発して、此に
問うて曰、謙信、西条山を去れども、甲陽の先鋒、曽て之を知らず。川中島に出づれども、信玄の麾下、聊之を察せず。日出で霧霽れて、漸く之を知り、遽に驚いて、浦野をして見せしむといふ。故に世挙つて曰、此の役の失する所、晴信遠候なきを以て、大なる誤とし、十将覘衅怠るを以て、至つて闇しとす。宜なるかな。覘衅能く観察し、遠候能く覆索【 NDLJP:244】せば、越兵潜に西条山を去るを知り、敵謀既に川中島に麾く事を察せん。然らば則ち幄幬の決勝、節短き事を得て前軀後隊挟み撃つべし。猶ほ獺の魚を殴り、鶴の爵を殴る如くならん。是に於て窃に疑ふ。晴信其智なきに非ず、十将其才に乏しからず。而して此の如くなるは何ぞや。対へて曰く、内を知るは、間に如くはなく、疑を決するは、候に如くはなし。既に知り、既に決する時は、間・候施す所なし。晴信既に知決すと思へり。然れども輝虎の奇計、其上に出づ。故に知決大に違ふ。其兵一万三千は寡きに非ず。而るに今潜行の知り難き事陰の如し。誰か下計とせん。所謂形㆑人而我無㆑形ものなり。之に依つて之を論ずる時は、晴信、間・候なきを以て、誤とすべからず。未だ勝を知らずして知れりと思へるを以て誤とす。能く勝を知る時は、千里にして会戦すべし。豈に間・候を以て偏に恃まんや。敢て問ふ。能く勝を知るものは、間・候用ふるに足らざるか。対へて曰、用ひずといふには非ず。只偏に恃とする事なし。吾子
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