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和気清麻呂伝

 
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和気清麻呂伝
 
贈正三位行民部卿兼中宮大夫美作備前国造和気朝臣清麻呂、本姓磐梨別公、右京人也、後改姓藤野和気真人、清麻呂為人高直、有匪躬之節、与姉広虫、共事高野天皇、並蒙愛信、任右兵衛少尉、神護初、授従五位下、遷近衛将監、時賜封五十戸、姉広虫及笄年、許嫁従五位下葛井宿禰戸主、既而天皇落餝、随出家為御弟子、法名法均、授進守大夫尼位、委以腹心、賜四位封并位禄位田、宝字八年、大保恵美忍勝、叛逆伏誅、連及当斬者三百七十五人、法均切諫、天皇納之、减死刑以処流徒、乱止之後、民苦飢疫、棄子草間、遣人収養、得八十三児、同名養子、賜葛木首、此時僧道鏡、得幸於天皇、出入警蹕、一擬乗興、号曰法王、太宰主神習宜阿蘇麻呂、媚事道鏡、矯八幡神教言、令道鏡即帝位、天下泰(太イ)平、道鏡聞之、情喜自負、天皇召清麻呂於床下曰、夢有人来、八幡神使云、為奏事尼法均、朕答曰、法均軟弱、難遠路、其代遣清麻呂、宜聴神之教、道鏡復喚清麻呂、募以大臣之位、先是路真人豊永、為道鏡之師、語清麻呂云、道鏡若登天位、吾以何面目其臣、吾与二三子、共為今日之伯夷耳、清麻呂深然其言、常懐致命之志、往詣神宮、神託宣云々、清麻呂祈曰、今大神所教、是国家之大事也、託宣難信、願示神異、即忽然現形、其長三丈許也、相如満月、清麻呂消魂失度、不仰見、於是神託宣、我国家君臣分定、而道鏡懐逆無道、輙望神器、是以神霊震怒、不其祈、汝帰如吾言之、天之日嗣、必続皇緒、汝勿道鏡之怨、吾必相済、清麻呂帰来、奏如神教、天皇不誅、為因幡員外介、改姓名別部穢麻呂、流于大隅国、尼法均還俗為別部狭虫、流于備後国、道鏡又追将清麻呂於道、雷雨晦暝、未行刑、俄而勅使来僅得免、于時参参議右大弁藤原朝臣百川、愍其忠烈、便割備後国封郷二十戸、送充於配処、宝亀元年、聖帝践祚、有勅入京、賜姓和気朝臣、復本位名、姉広虫又掌吐納、叙従四位下、任典蔵、累至正四位下、帝従容勅曰、諸傅従臣、毀誉紛紜、未甞聞法均語_他、遇友乎天至、姉弟同財、孔懐之義見称、当時天応二年、天皇追思旧績、賜正三位之告身、延暦十七年戊寅正月十九日薨、与弟卿約期云、諸七及服闋之日、勿追福、唯与二三行者静室、事礼懺耳、後世子孫、仰吾二人以為法、弟清麻呂、脚痿不起立、為八幡神、輿病即絡、及豊前国宇佐郡楉田村、有野猪三百許、夾路而列、除歩前駆十許里、走入山中、見人共異之、拝社之日、始得起歩、神託宣賜神劔雌雄壱双并綿八万余屯、即頒給官司以下国中百姓、駕輿而往、騎馬而還、累跡見人莫嘆異、清麻呂之先、出埀仁天皇子鐸石別命三世孫弟彦王、従神功皇后、征新羅凱旋、明年、忍熊別皇子有逆謀、皇后遣弟彦王於針間吉備堺山之、以従軍功藤原県、因家焉、今分為美作備前両国也、高祖父佐波良、曽祖伎波豆、祖宿奈、父平麻呂、墳墓在本郷者、拱樹成林、清麻呂被竄之日、為人所伐除、帰来上疏陳状、詔以佐波良等四人并清麻呂、為美作備前両国国造、天応元年、授従四位下、拝民部大輔、為摂津大夫、累遷中宮大夫民部卿、授従三位、延暦十七年、上表請骸骨、優詔不許、仍賜功田廿町、以伝其子孫、清麻呂練於庶務、尤明古事、撰民部省例二十巻、于今伝焉、奉中宮教、撰和氏譜之、帝甚善之、長岡新都、経十載功、費不計、清麻呂潜奏、令上託遊猟葛野地更遷上都、清麻呂為摂津大夫、鑿河内川、直通西海、擬水害、所費巨多、功遂不オープンアクセス NDLJP:14成、私墾田一百町、在備前国、永為賑給田、郷民恵之、薨時贈正三位、年六十七、有六男三女、長子広世、起家補文章生、延暦四年、坐事被禁錮、特降恩詔、除少判事、俄授従五位下、為式部少輔、便為大学別当、墾田廿町、入寮為勧学料、請裁闡明経四科之第、大学会諸儒、講論陰陽書、新機薬経太素等、大学南辺、以私宅弘文院、蔵内外経書数千巻、墾田四十町、永充学料、以終父志焉、

 明治三十四年十月校了              近藤圭造

 
 

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