『和気清麻呂伝』(わけのきよまろでん)は和気清麻呂の伝記である。
【 NDLJP:13】
和気清麻呂伝
贈正三位行民部卿兼中宮大夫美作備前国造和気朝臣清麻呂、本姓磐梨別公、右京人也、後改
㆓姓藤野和気真人
㆒、清麻呂為
㆑人高直、有
㆓匪躬之節
㆒、与
㆓姉広虫
㆒、共事
㆓高野天皇
㆒、並蒙
㆓愛信
㆒、任
㆓右兵衛少尉
㆒、神護初、授
㆓従五位下
㆒、遷
㆓近衛将監
㆒、時賜
㆓封五十戸
㆒、姉広虫及
㆓笄年
㆒、許
㆓嫁従五位下葛井宿禰戸主
㆒、既而天皇落餝、随出家為
㆓御弟子
㆒、法名法均、授
㆓進守大夫尼位
㆒、委
㆓以腹心
㆒、賜
㆓四位封并位禄位田
㆒、宝字八年、大保恵美忍勝、叛逆伏
㆑誅、連及当斬者三百七十五人、法均切諫、天皇納
㆑之、减
㆓死刑
㆒以処
㆓流徒
㆒、乱止之後、民苦
㆓飢疫
㆒、棄
㆓子草間
㆒、遣
㆓㆑人収養
㆒、得
㆓八十三児
㆒、同名
㆓養子
㆒、賜
㆓葛木首
㆒、此時僧道鏡、得
㆓幸於天皇
㆒、出入警蹕、一擬
㆓乗興
㆒、号曰
㆓法王
㆒、太宰主神習宜阿蘇麻呂、媚
㆓事道鏡
㆒、矯
㆓八幡神教
㆒言、令
㆓道鏡即
㆒帝位、天下泰
(太イ)平、道鏡聞
㆑之、情喜自負、天皇召
㆓清麻呂於床下
㆒曰、夢有
㆑人来、八幡神使云、為
㆓奏事
㆒請
㆓尼法均
㆒、朕答曰、法均軟弱、難
㆑堪
㆓遠路
㆒、其代遣
㆓清麻呂
㆒、宜
㆑参
㆓聴神之教
㆒、道鏡復喚
㆓清麻呂
㆒、募以
㆓大臣之位
㆒、先
㆑是路真人豊永、為
㆓道鏡之師
㆒、語
㆓清麻呂
㆒云、道鏡若登
㆓天位
㆒、吾以
㆓何面目
㆒可
㆑為
㆓其臣
㆒、吾与
㆓二三子
㆒、共為
㆓今日之伯夷
㆒耳、清麻呂深然
㆓其言
㆒、常懐
㆓致命之志
㆒、往詣
㆓神宮
㆒、神託宣云々、清麻呂祈曰、今大神所
㆑教、是国家之大事也、託宣難
㆑信、願示
㆓神異
㆒、即忽然現
㆑形、其長三丈許也、相如
㆓満月
㆒、清麻呂消
㆑魂失
㆑度、不
㆑能
㆓仰見
㆒、於
㆑是神託宣、我国家君臣分定、而道鏡懐
㆑逆無道、輙望
㆓神器
㆒、是以神霊震怒、不
㆑聴
㆓其祈
㆒、汝帰如
㆓吾言
㆒奏
㆑之、天之日嗣、必続
㆓皇緒
㆒、汝勿
㆑懼
㆓道鏡之怨
㆒、吾必相済、清麻呂帰来、奏如
㆓神教
㆒、天皇不
㆑忍
㆑誅、為
㆓因幡員外介
㆒、改
㆓姓名
㆒為
㆓別部穢麻呂
㆒、流
㆓于大隅国
㆒、尼法均還俗
㆓為別部狭虫
㆒、流
㆓于備後国
㆒、道鏡又追将
㆑殺
㆓清麻呂於道
㆒、雷雨晦暝、未
㆑即
㆓行刑
㆒、俄而勅使来僅得
㆑免、于
㆑時参参議右大弁藤原朝臣百川、愍
㆓其忠烈
㆒、便割
㆓備後国封郷二十戸
㆒、送
㆓充於配処
㆒、宝亀元年、聖帝践祚、有
㆑勅入
㆑京、賜
㆓姓和気朝臣
㆒、復
㆓本位名
㆒、姉広虫又掌
㆓吐納
㆒、叙
㆓従四位下
㆒、任
㆓典蔵
㆒、累至
㆓正四位下
㆒、帝従容勅曰、諸傅従臣、毀誉紛紜、未
㆔甞聞
㆓法均語
_㆑他、遇友乎天至、姉弟同財、孔懐之義見
㆑称、当時天応二年、天皇追
㆓思旧績
㆒、賜
㆓正三位之告身
㆒、延暦十七年戊寅正月十九日薨、与
㆓弟卿
㆒約期云、諸七及服闋之日、勿
㆑労
㆓追福
㆒、唯与
㆓二三行者
㆒坐
㆓静室
㆒、事
㆓礼懺
㆒耳、後世子孫、仰
㆓吾二人
㆒以為
㆑法、弟清麻呂、脚痿不
㆑能
㆓起立
㆒、為
㆑拝
㆓八幡神
㆒、輿
㆑病即絡、及
㆑至
㆓豊前国宇佐郡楉田村
㆒、有
㆓野猪三百許
㆒、夾
㆑路而列、除歩前駆十許里、走入
㆓山中
㆒、見人共異
㆑之、拝社之日、始得
㆓起歩
㆒、神託宣賜
㆓神劔雌雄壱双并綿八万余屯
㆒、即頒
㆓給官司以下国中百姓
㆒、駕
㆑輿而往、騎
㆑馬而還、累跡見人莫
㆑不
㆓嘆異
㆒、清麻呂之先、出
㆑自
㆓埀仁天皇子鐸石別命三世孫弟彦王
㆒、従
㆓神功皇后
㆒、征
㆓新羅
㆒凱旋、明年、忍熊別皇子有
㆓逆謀
㆒、皇后遣
㆓弟彦王於針間吉備堺山
㆒誅
㆑之、以
㆓従軍功
㆒封
㆓藤原県
㆒、因家焉、今分為
㆓美作備前両国
㆒也、高祖父佐波良、曽祖伎波豆、祖宿奈、父平麻呂、墳墓在
㆓本郷
㆒者、拱樹成
㆑林、清麻呂被
㆑竄之日、為
㆔人所
㆓伐除
㆒、帰来上疏陳状、詔以
㆓佐波良等四人并清麻呂
㆒、為
㆓美作備前両国国造
㆒、天応元年、授
㆓従四位下
㆒、拝
㆓民部大輔
㆒、為
㆓摂津大夫
㆒、累
㆓遷中宮大夫民部卿
㆒、授
㆓従三位
㆒、延暦十七年、上表請
㆓骸骨
㆒、優詔不
㆑許、仍賜
㆓功田廿町
㆒、以伝
㆓其子孫
㆒、清麻呂練
㆓於庶務
㆒、尤明
㆓古事
㆒、撰
㆓民部省例二十巻
㆒、于
㆑今伝焉、奉
㆓中宮教
㆒、撰
㆓和氏譜
㆒奏
㆑之、帝甚善
㆑之、長岡新都、経
㆓十載
㆒未
㆑成
㆑功、費不
㆑可
㆑勝
㆑計、清麻呂潜奏、令
㆘上託
㆓遊猟
㆒相
㆓葛野地
㆒更遷
㆗上都
㆖、清麻呂為
㆓摂津大夫
㆒、鑿
㆓河内川
㆒、直通
㆓西海
㆒、擬
㆑除
㆓水害
㆒、所
㆑費巨多、功遂不
㆑【 NDLJP:14】成、私墾田一百町、在
㆓備前国
㆒、永為
㆓賑給田
㆒、郷民恵
㆑之、薨時贈
㆓正三位
㆒、年六十七、有
㆓六男三女
㆒、長子広世、起
㆑家補
㆓文章生
㆒、延暦四年、坐
㆑事被
㆓禁錮
㆒、特降
㆓恩詔
㆒、除
㆓少判事
㆒、俄授
㆓従五位下
㆒、為
㆓式部少輔
㆒、便為
㆓大学別当
㆒、墾田廿町、入
㆑寮為
㆓勧学料
㆒、請
㆓裁闡明経四科之第
㆒、大学会
㆓諸儒
㆒、講
㆓論陰陽書、新機薬経太素等
㆒、大学南辺、以
㆓私宅
㆒置
㆓弘文院
㆒、蔵
㆓内外経書数千巻
㆒、墾田四十町、永充
㆓学料
㆒、以終
㆓父志
㆒焉、
明治三十四年十月校了 近藤圭造
この著作物は、1901年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。
Public domainPublic domainfalsefalse