命期集
命期集 目次
【 NDLJP:117】命期集序文治五己酉の年、花山院兵衛、山蔭中納言政朝の御子藤原の朝宗公、陸奥伊達郡に御下向なされ、夫より御当家始まり、今十七代に及ばせられ給ふ、名将の御代に至りて、絶えて久しき御官位蒙らせ給ひ、御位三位行権中納言兼陸奥守藤原朝臣政宗公と申し奉り、御先祖迄の御名を揚げさせ給ふ、武道は四方に隠なく、敵攻むるに降り、向ふに靡き、近国の城郭悉く攻随へさせ給ひて、其後、太閤へ御出仕遊ばされ、御心の儘に栄え給ふ、御一世の其間、万づ御言葉の末、常々の御容体、折節には拝し奉ると雖も、賤しき身の数ならぬ心なれば、連々取失ふ事も、口惜しく候を思ひ出し、折柄又人伝に聞きし事など少々、一書とはなしぬ、本より鄙の住居にて、言葉の賤しき、理ふつゝかに、文字の続き、終始慥ならず、秋の月の暁の雲に隠るゝ如く、あらまほしきは昔の代、恋しきまゝに筆を染めぬ、之を人に見せんにこそ、言葉を玉にもなしたからん、深く隠して、古の我と親しき人もあらば、かくありといはん、夜語の媒ともなりなん為め計りに、書集め侍りぬ、 【 NDLJP:118】命期集
【政宗の武名国外に及ぶ】一、或時、皇寛と申す唐人の咄に曰く、某国にありし時、
【若年以来不覚の戦争は行わず】一、或時、貞山様御咄に、若き年より方々合戦に、心懸けたる所へ押寄せ、存分叶はず、引取りたる事、大方覚なし、無理なる所へも、其時の見合により押寄せ、人数を討たせ、或は敵を出し、降参するもあり、様々筋能き事多し、尤も自身乗廻し、采配の切落つる程、かせぐ所もありと雖も、何として御身計りにて、なる事でなし、歴々親類衆、其家中々々能き者多くあれば、我等旗本の如く、万事を教へらるゝ故、是一つの頼なり、尤も諸侍衆の事は申すに及ばず、家中に纒立つる程の衆下々も、我等が下知なくて、一つの様に常々申含め、教ふる故なり、さるに付きて、高下共に、其心ばせを励まぬ者、一人もなし、されども能き者稀なり、惜しき者次第に失するは、我命一つ宛取除くに同じ、鉄の鎖にても、繋ぎ留めたきは、能き武士の命なり、せめて若き者共に、昔の者の名計りも附けて遣りたきかなとて、はら〳〵と御落涙なされ候、其上仰には、人数を心の儘に遣ふ事、言葉に述べ難し、併し善悪に構はず、我馬次第に押し廻し、懸開する様に、遺ひ教ふること肝要なり、唯人は何事に寄らず、常々の心持に高下あり、先づ第一は二六時中、油断の二字を用心強く仕たるがよしと、御咄なされ候事、
【愚鈍の者も亦遣ふべし】一、或時の御咄には、世上にて人々の召仕に、是は利根者、是は愚なる者とて分けて、譬へば当座の牢人者たりといふとも、物事其主人の気に入れば、是は利根者とて遣ひ、代々の譜代たりと雖も、是は鈍なる者とて、退けて遣はず、尤も召仕と雖も、品々多し、仮初の口上を言付くるにも、長き事なりとも、右の利根なる者には、一通り言聞かせ遣す、愚なりとて、短き事をも繰返して、間を取り教へ遣【 NDLJP:119】ふ、実にも尤も是は面白く聞ゆれども、能く分別して見るに、一国をも持つ大将に有る心には能き事か、下中の為めよからんや、当座気に合はぬ、見苦しきとて、代代の者、品もなきに、押除くる事、是れ謂なし、人多くば、其身々々似合はしき心付こそならずとも、親しき言葉をも懸け、秘蔵せぬは勿体なし、或は当座の事たりといふとも、其主人命に対する程の儀あるに、利根なる者計り用立ち、愚なりと目利する者、用に立つまじくや、如何に愚なりとて、代々替らぬ侍が、さうまでも愚なりと目利せんや、利根と秘蔵せらるゝ者、臆しれて詰りては、愚になるは、疑あるまじくと思ひ候、身の厚くなる程、心持替るべし、能々ためして見よ、愚なりとて、目利知らるゝ者は、代々を思ひなば、義理にてするも有るべし、当世にても、何とも分り難きは、人によつて、日頃の意地出づるあるべし、斯様の事、我等は下手なり、刀・脇差、其外諸道具の目利とは格別なり、人を分けての目利は、無類の事かな、如何に当座働すとも、代々の侍は、働く所別に有るべし、縦ひ押掠めて置くとも、揚る所は多からん、磯に住む千鳥、浪荒しとて、山に住む事なし、如何に手当悪しきとて、代々の侍が、主を脇にはなすまじきなり、先づ人を鈍・利根と言ひて、分くべき者一人もなし、勝れたる利根者・勝れたる愚なる迚、今此年まで一人も見ず、譬へば利根者を遣ひ付けて、其者なき時は、愚なりとて、遣はであるべきか、人に余るといふ事、あるまじき事なり、只人は其身々々の得物を能く見分けて、言付けて見よ、何もゑしよくは、こざかしく致さん、然れば一人として、恨する者あるまじきなれば、主人の為め、大きなる徳なり、徳あれば主も名を取りたる者ぞ、只人を捨つるは悪しきなり、尤も是非叶はぬ事は、格別の事なり、我等などは、心には、当座の口上云付くるにも、我等が言葉の言ひ果てぬに、返事心ある者には、二度も三度も閑に返事する者には、一言づゝ云付くる様に、一通り申付くる、是にも品々多し、譬へば言葉の下より返事する者は、方々へ心を通はして、或は余さぬ様にと思ひ、彼方此方とはづみ廻る故に、先へ計り行き、長き短きには寄らず、早跡を取失ふ、さる程に二度も三度も言付くる、閑に聞く者は、とくと合点する様に言付け遣し候へば、永き事を二度申付けても、合点能くする故、其身の分程、取廻すなり、まして外様の衆など、余り此方を恐れ過ぎ候故、形の如く言付けたりと思へども、猶以て床しきまゝ、其人へ伝へ侍らん者を以て、今の品々【 NDLJP:120】は此の如きなりと、又言聞かせる、我身当座六ケしきとも、麁相に事を云ひ聞かせては、其身うか〳〵しき故、先にて用も働かず、第一は其身の為めなり、其言付に聞きわづらひか、又其身不合点なる事あらば、幾度も押返して、能く聞きて合点せよ、押返し聞く程、此方は嬉しきぞ、夫を気遣するは、此方を敬ふにもなきぞ、恐れて悪しきなり、只人に怪我なき様に、用も叶ふ様に計りと、御咄なされ候、
一、或時の御咄に、人は只慇懃を絶さず、弛みなき様に、拍子ぬけぬ様に、何事によらず、信にとすれば、見たる所よし、何と引出し能くとも、がさつで浅き振舞、物事無拍子なるは、中々言葉に言ひ難し、若き者などは、火に入り水に入ると【若き者の分別立】云ふに、其儘受けて走り懸るを、先にて止めさする程のかんは、気味能きぞ、若き者などが分別立して、物事に佞人を遣ひ、軽き事嫌ふは、沙汰の限りなり、分別も工夫も、用ひて所定りて有るぞ、譬へば行先に仕合など有るに、軽き者は其儘走り懸るに、分別する者が、死所へ分別して行くべくや、それなれば主の用にも立たず、若き者などは殊の外なり、或は朝夕友附合にも、一二度はよからん、三度とならば、厭がる者多かるべし、只何事に寄らず、主人の好く者には成り難くとも、心を附けよ、第一は其身の為めなり、我等七十に及ぶけれども、何事も若き者に負けじと思ふ、又年かさの入る事は別にあり、朝夕真中計り行きては、ものぞ、我若年の時の心、未だに失せず、人さへ許さば、今にも出たけれども、其押は年なり、只若き者などは、何ぞ人に替りたる事せんと、心を持つ尤なり、若き時は、悪事しても、許す事多し、夫故召仕小姓などに、前髪早く落したがるなど云ふは、譬へば召仕ふにも、年行きたれども、前髪まだありと思へば、忰よりの心地離れずして気遣なし、同じ心にても、前髪なければ、おとなしやかに思ふにより、早や其心持違ふぞ、第一には其身の為めよきことには、年行きても前髪あれば、如何なる悪事をも、若輩故ぞと許す所多し、尤もよきことすれば、未だ若輩なるが、奇特なりと、人も誉め、取成多し、前髪なければ、夫もなし、何事に付けても、能き事には、入り兼ぬるものなりと、御咄なされ候事、
【武士は性質に似合はしき風儀をすべし】一、或時の御咄には、当世とて、老若共に髪をふた〳〵と伊達に結ひ、帯を引下げて、身にも合はぬ
【奉公人は手を清むべし】一、奉公人は上下共に、手を清むるといふ心持肝要なり、近き事には、不断召仕ふ小姓共、我前へ出づる時、手を清め出づれば、髭を抜け髪を撫でよ、肩を持てといふに、あやぶまず、心安く用立つべし、手水を遣はざれば行当り、譬ひ為ると雖も、気遣多し、何事によらず、是れ万事に渡る儀なり、手を清むる如くに、常に心懸せば、何事も行当る事あるまじく、諸人に此心持絶えず持たせたしと、仰せられ候事、
【帰宅する時の心得】一、或時の御咄には、人は只高下共に、万事気を附くる事、第一の儀なり、譬へ主若しくは自身の用にても、外より宿へ帰る時は、供の者一人もあらば、屋敷前より先に遺し、只今帰ると言はせよ、供なくば表に立ちて、声にて聞かしむる様に、音をして入るべし、子細は、何としても、召仕ふ者は、其主人留守の間に、油断して不行儀もあり、色々様々多かるべき、音をして入らば、皆油断なし、油断なければ、内に怪我なきぞ、如何に身の上叶はぬ者なりとも、音なしに入りて、悪しき事度々重りし時は如何、先づ一通りは、身の上叶はぬと聞きたる人、口にも許すべ【 NDLJP:122】し、猶ほ重る時は、曲事言はでは叶はず、さあれば我身迷惑ながらも、制せでは叶はず、少しの事の重るに、人を失はん事、何より以て迷惑なり、我身少しの心持に、大きなる損出づるぞ、斯様の品々、彼方の科にてはなし、此方の仕懸にあるぞ、此方のさするにあらずや、能く心得よと、御意なされ候事、
【脇差の長短】常に仰には、脇差は是非下緒を帯に挟みたる事よきなり、昔より数度覚え候、下緒挟まぬは、鞘まゝ脱けて、怪我したる事、幾度もあり、鞘留め能々して、下緒帯に挟むべし、常には小脇差・中脇差の外、差すべからず、大脇差は野山にてはよし、兎角大きなる脇差は、立廻り候に、戸や柱に打当りて候へば、第一其身無骨に見えて悪し、尤も何ぞ用の時も、脇差の長き短きに、不便はなきぞ、只心を永く大きく持ち、脇差は短くして、常に見て能き様にしたるがまし、尤も刀も其身恰好に過ぎて、覚なくば無用、但し面々諸道具は、得物次第なりと、仰せられし、
【男の命は脇差なり】一、或時の仰には、男の命は脇差なる間、鞘を能くして、ねた刃を附け、刃のひけぬ様に、鞘留めをして差すべきなり、主の為めにも、我為めにも、油断勿体なし、さいさい手折などする時も常に念を入れ、能くして差せども、兎角其時は、
一、或時の仰には、総別刀・脇差は昼夜に限らず、まして天気などの悪しき時は、幾度も拭ひなど、手に当てなどして、差したるが筋能きなり、人の刀に役の能しと聞きては羨み、我刀・脇差の内、役の能き物は、身を離し難くして、差すべきなり、【 NDLJP:123】男の命なれば、秘蔵する事尤なり、常に嗜みなきは油断なり、【奉公人の脇差を見る】扨又諸奉公人の刀・脇差、善悪の心懸、常に見たき物なれども、序なきにはと思ひ、外より帰る時などは、酒心をかづけにして、諸人の刀・脇差見るは、嗜・無嗜を改めんなり、下々にては、酒の上には、例の曲事と申すべけれども、さはなきぞ、尤も似合の身上などありし衆は、其役々にも拵へ差すべきが、無足なる衆・歩の者などは道理なり、さあれば第一我為めなり、夫々に拵へ取らせ、又人により褒美するが、過ぎたるは猶以てなり、譬ひ上向は見苦しくとも、刃を嗜み持ちたるは、志深く頼もしきなり、身に似合はぬ嗜は、曲事いふに及ばず、身近き者、又歩者などは、我差刀と同前なり、斯様に節々見る事、我為めと云ひながら、第一其身々々の為めなり、嗜む者につれては、自ら嗜みなき者も、結句嗜めば、底は臆病にても、上へは見えず、一様なり、其心懸朝夕あれば、人もすねて、彼方此方一段と能き事多し、万事仕懸に有りて、只々威し掠めするは、物の仕置にてはなし、主なれば無理に恐れよ、法度を破るな〳〵と、押掠めする人は、後には下々癖になり、結句主なき家中の様になるぞ、【恐れらるるも主人の心懸次第】恐れらるゝも法度を聞かするも、此方の仕懸にあり、第一手の内詰りては、十に九つ聞くまじくと仰せられし、
一、或時の御意には、仮初にも能などは、安からざる儀なり、太夫翁を懸け、総役者は烏帽子著る事、只常の事になし、第一は我祈祷なれば、身を清め行儀よくして、桟敷中高声をせぬ様に、三番・四番めまでも、能く閑にして見物せよ、其後は気退屈せぬやうにせよ、見る内は面白きに懸り、身の草臥も知らぬなり、能過ぎては、何事にても云ひ笑ひして、又草臥を忘るゝやうにせよ、総別見物可事も、草臥直さぬ故に、重ねてある能を望まぬ心、下手なりと仰せられし、
【饗応招請の客の心得】一、或時の仰には、総別人の所へ振舞などに行く事、慰と云ひながら気遣多し、其品様々有り、他の人は知らず、家中にて色々有り、譬へば親類衆、其外一通りの者の所にては、能・乱舞、其外種々慰の事多し、物事行儀正しくて、自ら座敷も終日暮す、寺方抔にては、或は詩・連句・仏法沙汰させて聞くか、又垂示・舌戦に御しつ論議・法文文字・梵字、其外寺の宗旨々々により、終日の慰、又 者などの所にては、能・乱舞などは恰好せぬなれば、我は其日の慰を企て、心安くして遊び、或は亭主上戸ならば、早く沈酔させ、其後、一座どつと云ひて立つか、又下戸ならば、【 NDLJP:124】相伴衆の者、さては供の内にて、早く酔はせ、座興を持たせ、終日暮し、又別して取立の者などの所にては、相伴衆・供の衆まて、心安さ者ども召連れ、打解けて内外の気遣はぬ為めなり、下よりも上を進め、其日の暮るゝも知らぬ様に、我心次第に慰む事、誠に以ての儀なり、所詮人の所にて、座敷の仕舞はぬ間の苦労、中々譬ふべき事なし、兎角人に約束しては、三日は気遣あり、先づ前の日は、明日の振舞には、如何様の事あらん、座敷は何としてかよからんや、亭主心懸の心底聞届け、其如くにせんと思ひ、其日になれば、右の品々に気遣多し、尤も座敷計りになきぞ、供の諸侍、下々小者までも、亭主の方にも、怪我なきやうにと思ひ、節々心を附け、一日を暮し、上下滞なく、我も機嫌能くして城へ帰りたる時こそ、目出たしと思へ、されども其夜より次の日迄は、此程打続き、亭主方皆々草臥れ候に、隙明くとて油断して、火事などもあやうく気遣はし、尤も油断なきやうにと、人を遣し、又其人に伝へ遣す者を以て申付け、三日は色々気遣多し、三日過ぎて心安堵すと、仰せられしなり、
【鷹狩を行ふ趣意】一、或時の御意に、我等在国の時、鷹野・川狩に節々出で候事、定めて下々にては、色々取沙汰能く申すまじく、去り乍ら分別して見よ、左様に申す人を引詰め召仕ひ、其上休息の為め、暇取らせ、心のまゝにせよと云はゞ、朝夕内に居、寝て計りあるべきか、随身の慰はせん、其如く、我等も上より大国を拝領申し、国の主人と仰がれても、憂き事は多し、されども世上にある習なれば、在江戸して狭き屋敷に気詰して一年を暮し、重ねて国へ下りては、一日も内に居まじくと思へども、夫は叶はぬ事、又節々出づるに品々多し、国の仕置抔する程の者が、城に計り居るならば、諸奉公人高下共に、奉公の善悪も知れまじく、結句迷惑する者多かるべし、直に出でゝ、人の善悪、其所々の習はし、民百姓の様子見ん為め、又明日にも何事ともいはんには、我馬の廻り侍中、少しは習はしにも聊かならん、我が出度しと云はゞ、一年江戸京の年詰の所を思ひ出し、こはしとも供をもせよ、次には、早や我七十に及びぬれば先近し、彼是能く思合せて、奉公も能くし、時々の供をもして、慰めて呉れよ、我年寄なれば、明日をも知らず、亡き跡にて思ひ出でゝ、斯くはあるまじきものを、斯うはすまじきものと、語り出しても、用に立たぬぞかし、心を我年に早く引合せ思へと、仰せられしなり、【 NDLJP:125】【具足小旗に対する昔年の追想】一、二月初卯、御具足御飾なされ御覧じて、御咄には、我等若きより、具足に取育てられしが、今頃日は弓を袋に、劒を箱に納むる御代なれば、たま〳〵斯様に見るに、一入珍しく、其面影は昔恋しきなり、願はくは馬にも未だ捧げ乗せぬ時、之を肩に懸け、老の思出に一軍望むなり、未だ君も御若く候へば、甲斐々々しくはなくとも、君をも取替へ奉り、我子をも取替へ見たき事、是のみ願なり、徒に年月の積る事口惜しけり、最早此具足も、此儘にてこそと仰せられ、はら〳〵と御涙を流させ給ふ、暫しありて、御小旗を御覧じ、仰せられしは、此日の丸に付いて物語あり、昔さる所にて合戦の折節に、敵は西の方に夥しき人数にて陣を備へ、大将の小旗も日の丸なり、我等は俄の儀なれば、方々押に人数を遣す、僅か旗本計りにて向ひ、東の原に馬を休めけるに、家老ども我等が馬を取廻し申しけるは、今日は敵の人数に御味方を見合せ申すに、誠に十人・一人も、猶ほ足り申すまじく候、あの松原に見え申す谷、夥しく御座候、況や山の蔭・森の内には、如何程人数の御座候も、計り難く存じ候間、先づ今日は、此近所の然るべき所へ、御馬を入れられ、御味方の隙明き次第、駈付け申す御人数を以て、勝軍なされ候方と、口を揃へ申す時、我等挨拶には、尤なり、去乍ら、我れ今日まで馬を出して、敵大勢とて恐れて引きたる事なし、されば小勢を侮らざれと云へり、俄の儀なれば、旗本計りにて出でたるなり、されば爰を
【物数寄の本意】一、或時の仰に、総別人毎に皆々物数寄をする事多し、其物数寄を見るに、さのみ恨むる事なし、人に勝れたしとするにより、当座は能き様にして、頓て主も飽【 NDLJP:126】き、人も二度と見ず、只人のする中にて、面白くするぞ、物数寄の本意なり、所詮人に勝れたしと致すは、心下手故と、仰せられし、
【諸人料理の心得あるを要す】一、或時の仰には、人は只朝夕高下に寄らず、献立は是非好みたる事よし、心にも時にも相違の食物して、よかるべきか、不断の養生心懸なきは、沙汰の限りなり、少し又料理の心なきは、高下に寄らず、賤しき者と御笑ひなされ候、総じて客を呼ぶに、何ぞ一色、成程念を入るれば、今日の振舞、是れ計り御馳走にて御座候と申すは、亭主第一の料理の心得なり、名物珍らしき物にても、沙汰もなく出せば、出す物なりと、ひた出しに出したるにてもなきぞ、是は高下共に、此心持去れば不料理、又詰り取合悪しくして、時により、客虫とも言はゞ、気遣如何せんと、仰せられし、
【伏見城数寄屋の饗応】一、或時の仰に、太閤伏見に御座なされ候時、御城の内に、御学文所と御名附、御座敷相建てられ、其御殿の四方の角々に、御数寄屋を御附け、東西の諸大名衆へ御茶下され候時、亭主四人、所謂太閤・家康公・加賀利家・我等なり、太閤も、尤も残る三人も、能き葛籠一つ宛持たせて、手づから床など取り、四人枕を並べ、夜もすがら種々様々昔物語などなされ慰み申す、扨四つの御数寄をも、四人図取になされ請取々々の所、掃除以下、尤も勝手料理の間も、其所々々に相附けられし故、料理なども互に隠し合ひ候て、様々に仕り候、客は誰々とも、一円知り申さず候所に、其あした俄に佐竹義信・浅野弾正・加藤故肥後・上杉弾正大夫にて、中違の衆中計り、客に仰付けられし間、何とか手替りなる事致し度くと思ひ候へども、俄なれば成り兼ね候、折節摘菜の時分にて候間、御汁摘菜計り仕り、成程々々沸し返し沸し返し、熱くして出し候故、暫し置きて汁冷めず、迷惑する所へ、早く御汁を替に出し候故、何れも中々一口もならで出し候を、又右の如くして相出す、間もなく盃酒出し候故、始より終まで、迷惑致され候、扨四箇所の角過ぎて、御学文所へ四人の亭主寄合ひ申し、面々其日の亭主の仕方、段々咄し候に、我等が咄に、今日の客、皆々一段の日頃の知音故、何をがな馳走申し候はむと存じ候へども、罷成らず、折節摘菜御汁に致し、成程熱く仕出し候へば、初口に怪我仕り候哉、暫しは箸唇を抱へ、舌打を仕り罷在り候と、御物語申上げ候へば、太閤、扨も〳〵したり〳〵と、[〈其ノ一字脱カ〉]日の亭主の内、是れ古参なりとて、二三度躍上り、御腹を抱へさせ候故、伺候の諸【 NDLJP:127】人、御座敷に居兼ね、腹を抱へ、共に大笑申し候、扨其末に、明日の客の御相談申し候、斯様に太閤の遊したる事、天下の諸大名、組合せ〳〵相加へられしは、中絶の者を、自ら御直し候はむとの奥意とは、後に存じ知られしと、仰せられし、
【政宗家康互に鷹場を犯す】一、或時の仰には、家康公天下の御時、上の御鷹場と、我等鷹場の境まで、鷹遣ひ廻し出で候へども、勝負思ふ様になく、上の御鷹場へ皆々逃げ行き候間、御鷹場へ暮に入りて、鳥三つ・四つ合せて、其上、鶴を合せ取飼ひ候時、我等鷹場の方より、大勢にて鷹遣見え候間、不審に思ひ候所に、上様にて御座候間、あわて驚き、鷹の鳥を隠し、逃げ候へども、家康公も御馬を早め、から堀の中へ召入り、馬人共に御下知にて、皆々堀の中へ御呼入れなされ、堀にかゞまり、急ぎて除かせられし、我等思ふは、御出の先に、鳥こそ有りて、御隠れあるらん、弥〻竹林にかゞまり、隠れ逃げて、其後江戸へ御帰の上、出仕申し候へば、家康公御咄には、貴所の鷹場へ、去る頃、盗に入り候へども、貴所の姿を見付け、一代になきから堀にかゞまり逃げ候、斯く降参の上は、許し給へと、御咄なされ候間、我等申上げ候は、扨は左様に御座候や、早く見付け申し候はゞ捕へ申し、是非々々曲事に申上ぐべきものを、去り乍ら其日は、拙者も御鷹場へ盗に入り申し候て、御通りを見付け申し、あわて逃げ除き申し候へば、家康公大きに御笑なされ、扨は左様の事ありしや、今思ひ候へば、貴所も竹林の蔭に隠れ居られし間、気を附けてこそ隠れたるらんと思ひ、猶々急ぎ息をもつき合せず、逃げたり、其時、互に知合ひたらば、逃げながらも息をばつかんものをとて、此事両方に科ありとて、どつと御笑ひなされ候故、御前伺候の衆、皆々腹を抱へ申し候と仰せられし、
【長命の術】一、或時の仰には、昔長命なるもの二人ありしを召出し、何事も覚あるやと尋ねければ、一人が云ひしは、某是かと存ずる儀は、先づ朝に似合はしき飯を、心の儘に下され、其上に湯を呑加減に仕り、沢山給はり、晩までも何をも給べ申さず居り候へば、心一段と能く御座候、尤も晩も右の如くに致し、臥し候へば、長夜も弁へず、以してよく御座候由申す、又一人は、別して覚御座なく候、されども食物には昼夜に限らず、幾度も下され度しと存じ候時、少し宛も下され、いやと存じ候時は、取向き候ても下されず差置き、心の儘に食仕り候て、長命にも候やと申し候由、御咄申上げ候、【 NDLJP:128】一、或時の仰には、我れ野山川狩、下々へ振舞、万事に寄らず、他へ出で候時、自身暦にて其日を定め、供の衆をば日記にて点懸け、四五日前より触れさする事、夫に至らぬ者共は、何ぞ六つかしき事するや、番に定めて連れぬと、申しはんべらん、其儀にあらず、同じ召連れらるゝにも、番とあれば子細なし、点など懸け、其時々に召連れてこそ、諸人への情なれ、召連れらるゝ者共も、番にして供するよりは嬉しからん、四五日前より触さする事、是れ以て心附あり、似合々々に用のなき事はなきものなれば、触の日内に居合せずとも、居たるやうにもてなし、其日間に合ひ、供の日用立つ者は、其前後にするなれば、一人として怪我なし、尤も煩の者など多ければ、差替るに日前あればよし、万事に怪我なき様に、我も事の闕けぬ様にと計り、朝夕の心持なりと仰せられし、
【言葉の使ひ様】一、或時の仰に、人は仮初にも高下分くる事なかれ、一座の内に二人あらば、能き人をば其通りに、さがりの者をもてなせ、是れ万事に渡る心持なり、次に又人人の口癖に、面白き言葉仕ふ、此以前、跡に斯様の事御座候などと言ふ事、右に斯様の事御座候などといふ事、是れ以て謂なし、右と云ふ事は、譬へば札其外書物などに、何々と書立て、其末に右条々と書くものなり、言葉に右といふ事、謂なし、所詮人は申すとも、我下中にて、右といふ言葉と、冥加もなきと、御念の御使といふ事は、益なき事なり、冥加なくんば能からんや、御念の御使と云ふ事、御念を入れられたるがよし、唯御念の御使とは、聞えぬ言葉なり、此通りの言葉、申すに於ては、誰によらず、曲事申付けんと仰せられ、御腹立ち遊ばされ候事、
【目付横目の無用】一、或時の仰には、今の世上にて、目付・横目と名附け、諸侍に迷惑させ、然も能き事は少く、悪しきは多し、我れ若年より、目付・横目といふ事、今に附くべしとも思はず、物事の仕置、目付・横目を附けて威し、法度を聞かせんとする、きたなき心なり、目付・横目を附くる事は、能き事・悪しき事も聞きて、法度せん為めなるべし、能き事見立て聞立て、いはん〳〵とするに、悪しき事多し、告ぐる程にては、沙汰なしにはあらず、悪しき者も、左様にする所にては、其者の前をば凌ぎ、蔭々にては、如何程悪事する者なり、能き事は百に一つも取上ぐまじく、さあらば悪しき者失する事なし、如何に目付・横目附け候ても、思寄らざる者、夫にて思寄る事あるまじく、法度聞け〳〵と云ふとも、無理には聞くまじく、目付・横目も【 NDLJP:129】皆々此方の心にあり、代々限らぬ者共は、何よりも秘蔵なるに、左様に心を置いて、無慈悲なる事、我等はいやなり、横目をば附けねど、今まで事を闕きたる事なし、見事に善悪も知りて、能く居ると仰せられし、
一、或時、若林の御城南の方川欠、御普請過ぎて、御咄に、此程年月の水に橋を痛め、無益の所に思ひ、普請せばやと思へども、人民の費と思ひ煩ひありしに、さる事ありと思ひ、総侍を頼むべし、尤も我普請場へ、小人の者少々差置き、先づ一日出て、総侍にも精を出させよと申付け、致させ見候へども、頃は八月末、世の中一入寒くして、若き者共暫くも居る事成り兼ね候程、水冷え候折節なれば、普請、中中五日・十日の内に出来すべしとも見えず候まゝ、次の日普請と相定め、其日は日高に各宿所へ帰し、明日は思々に出立ち罷出てよと云ひければ、皆々其意に任せて、其日朝より人を附けて、普請は如何と問へば、大川の水先を廻す事なれば、中々成り兼ね候様申し候間、則ち出でゝ、普請場にて貝を吹かせ、諸人を勇め候へども、寒さは寒し、水は堰き留むるに随ひ騒ぐ、中々諸人勇み兼ね候間、詮ずる所、爰にありと思ひ出し、南次郎吉と云ふ小姓を相手にして、いかにも、むさと
【奉公人に対する態度】一、第一諸人に御慈悲深く渡らせられ、物事に怪我致さぬ様に、御奉公も自ら進み候様にと計りの御仕懸に御座候、他家などにては、鬼神抔の如く存ずる様に候へども、終に御面体悪しき事も御座なく、幼き者の如く、面々を不便に思召せば、昼夜御奉公申すにも、露計りも退屈申す事もなく、御用足し申すにも、恐しきと存知候事、聊かもなし、如何様にがなと、御奉公仕らんと、諸人の心一つにして、父母につるゝ如く、心緩かに勇しく候、御前に何れも詰め居り候へども、面々夫夫に御座仰せられ、興を催し遊され、又は夫々の奉公人善悪を御沙汰おはしまし【 NDLJP:130】て、知行・御扶持方・御切米・金銀・諸道具によらず、分限似合に、其時々に下され、御褒美なされ候へば、我も〳〵と勇み進み申す事限なし、或は御前に、人より久しく詰め候へども、最早気詰り候はむ間、次へ立ち心慰め、又参りて詰めよと仰せらる、又多き中に、一人も御奉公如在申し、御前を遠かる者をば、其親類方へ其身品々仰下され、異見をも云ひて、奉公致させよ、其身々々の為めなるぞ、我は人に事闕くことなしと仰せらる、又当座の煩はしき体にて詰め候へば、養生致せとか、休息致せとか、殊に役人抔は、弥〻気詰るものなればとて、夫々に煩はぬやうに、気をも取延ぶるやうにと、鳥類・畜類に限らず、時々に仰下され、前廉に養生致せと仰せらる、何としても、奉公人の煩は、其身の為めに大きなる敵なりと、御労り至つて強く遊され、若しくは強く煩ふ体なれば、則ち医師衆仰付けられ、其煩の品々、何者にても、直々聞召届けられ、如何様にも〳〵と、末々の者まで御念を入れさせられ候故、如何なる御用がなと、火の中・水の底にもと、各一心に存じ入り、御奉公仕り、御意にも入り、外様は御近くも成らんと、朝夕小者までも、勇み悦ぶ事計りなり、されば其如く能き者はよく、悪しき者をも御引立て、万人を御直に御沙汰なし下され候、聊かも下より贔屓無理なる取立を聞召入れられず、賤しき賤山がつにも、扨々と存じ候程の有難き御言葉下され、高きを以て、よしとなされず、賤しきを捨て給はず、人を以て御目利なされ候へば、諸人の心二つなく仰ぎ奉る事少からず、扨又何ぞ御心に障り、御気色など悪しき時は、殿中庭上の者迄も、手に汗を握り、息も荒くつき得ず、震ひわなゝき、寒中の如し、御前なる人は弥〻恐れ、畳の内へも入りたき思ひ、上下手足も身に附かず、誰知らすともなく、諸奉公人衆の宿へも、其儘聞かす、其引き〳〵に見舞床しくとて、宿所の妻子より使立つ、斯様の御機嫌の時、何ぞ御用に寄らず、御前の立廻りする人、自らうろつき申し候へば、其にて御諚には、我れ機嫌悪しきとて、科なきに、何とて腹を立てやせん、恐しとてうろつき候へば、自ら仕損じ出づるぞ、さあらば汝等も叱られ、我腹立もやむ事なし、心を静め、科なきと思ひ、心安く怪我せぬやうに、奉公致させよと有りて、何にても、やゝ暫し人の心も静まる程、昔今の御物語遊され、自ら御機嫌も直り、諸人も又心を直し、御身と御身の御機嫌御直しなされ候故、又新しき諸人御奉公仕り、右の御叱受け申す者、兼ねて油断なく御奉公【 NDLJP:131】仕る者なれば、日頃の御奉公仕り候、依りて此度の違は御免なされ候ぞ、以後は嗜み候へと、仰付けられ候か、又其身、左程御奉公仕らざる者に候へば、親兄弟
一、御座の間へは、御身近き衆外参らず、諸人の申唱には、奥方へ召出され候は、十二三四の子供、善し悪しき、御目利なされ、召仕はれ候、如何なる六かしき事、之あり候とも、色々穿鑿仕り、首尾を合せ申し候、或時御意には、昔より今に至るまで、忰を絶えず取立て召仕ひ候が、初めは六かしけれども、心附いては能き者なり、第一正直を秘蔵するなり、尤もわやく者は殊の外なり、総じて忰の方は、罪なるは、理もなき所にて、すね廻り、多きはわやくなり、次第に上方へ行く程、忰悪く利発にて、小遣にならぬなり、又奥方は名の附かぬ所、重宝なりと、御笑ひなされ候事、
一、諸人に御用仰付けられ候に、如何様なる衆にも、夫々に慇懃に遊し候、尤も御返事申上げ候にも、誰人申上げ候とも、夫々に御挨拶遊され候、世間の主従とは格別なり、終に仰付けられ候にも、申上げ候にも、聊かも賤しげなく仰付けられ候、忰まで御慇懃を肝要と遊し、又下々より申上げ候言葉の内に、賤しげに御聞え【総別おの字を附けて申すものぞ】悪しき事抔は、則ち其品御教へ、左様には申さぬ物ぞと、柔かに御教へ、総じて物事におの字を附けて申すものなりと、常々仰付けられ、忘れてもおの字を附け申さず候へば、御叱り、苟且のもの申すとも、尋常を本となしたるぞよけれ、おの字を附くる事、主従高下の差別を知らせん為めなり、主人の物をも、何々にといひ、【 NDLJP:132】自分の事にも、何々というては、上下の隔はなし、唯一字なれども、肝要の言葉ぞ、能々嗜み候へは〔衍カ〕は心さへ知れて浅ましき事なりと、御諚なされ候事、
一、外より御帰城の刻は、御広間より段々に奥まで、御番所々々々に御休み、当番の面々一人宛、苗字を相尋ねられ候、面を聢と御存知なき者は召出され、委しく様子をも、直々尋ねさせられ候、其上一人宛面々に、御諚なされ候は、皆々生れ替り、又は大勢なれば、苗字を見覚えて、見忘れし事多し、皆々親・祖父代には、世間物騒しき折柄なれば、陣中の働に、何れ勝劣もなかりしぞと仰せられ、何方に【子弟の奮励を鼓舞す】て討死したる誰某は、斯様なる手柄致し、又何方にて討死、或は病死したり抔と、面々の親・祖父の事御くどき、此者共の子孫なれば、何れも頼もしく、用にも立つべき面々なり、明日に不慮の儀出で、我等世に有る内ならば、昔の覚には、方々に力を附け、一手柄致させ、父祖の名を弥〻揚げさせ、我等も老後の思出、面々親共の名をよごさせぬやうに、若者共心懸けよ、今世穏かなれば、汝等が心中は知らねども、昔の者共を思出せば、何れも愚なきぞ、されば其折は、身近き者は云ふに及ばず、親類中、其外又者の分にも、誰が家中には誰々と、大方知らぬはなかりしなり、定めて其者共の孫や子抔あらんとは思へば、是れ以て家中々々も頼もしく思ふ、今袴の上にての奉公は、安き事なり、只侍は奉公肝要なり、朝夕忠孝の道を励せば、天道に叶ひ、名をも揚ぐるものぞと仰せられ、御入りなされて、定めて遠路に屋敷持ちたる者あらんとて、寒き折は、寒夜一入大儀とありて、時の御小姓頭を代官として、御酒を暖め下さる、又暑気の折柄は、酒を冷し、御番中に一度宛必ず下され候故、皆思付き申し、如何様の御奉公かなと、命を
【旅中の作法】一、御作法いつも替らせられず、譬へば江戸・京御登は申すに及ばず、仮初の御野山、仮にも御
一、第一御心まめやかにおはしまし候故、聊かの間も、むさと御入りなされ候事も御座なく、朝より夕に及ぶまで、入替り〳〵御用申上げ、御自らも仰付けられ、其間には御硯を離させられず、色々遊し、或は御書物を御覧なされ、詩歌文字の御穿鑿か、又春雨のしづやかなるより、五月雨の哀を催し、秋の時雨に音さびし【竹を割るを好む】く、御徒然のつれ〴〵には、竹を伐り寄せ給ひ、御自身御割り、御前にて色々に御削りなされ、御心慰み遊され候、扨御意にも、雨中の折柄、心を晴れやらず、まして用もなき時は、竹を割りたる程の事なし、如何なる名医の薬にも増したり、唐の白楽天・晋の七賢が竹を愛したるには事替り、割りたる心地、能きなり、世間に労療など云ふ病者には、竹を割らせば、取直すべきとて、御笑なされ候、総じて人に替らせられ、御若き時より、終に横にならせらるゝ事、仮初にも御座なく候、此頃は我も拝し申し候が、稀に御昼寝遊され候にも、夜の如く、御床取らせられ、夜の御行儀に、御寝遊され候、若しくは柱や壁抔に御寄懸り遊され候外、覚え申さず候、御膳抔も朝夕の外、御菓子の類にても、昼程抔召上られ候例
一、第一には御用仰付けられ、又下々の申上ぐる事は、申すに及ばず、御国・他家の人によらず、御目見得申上げ、一度顔を御覧遊され候へば、御忘れ遊され候事は、十に一つのことにて、慥に名字御覚なされ候、御名誉の御事と感じ奉り候、又は下々にて、歴然の越度御座候に、定めて厳しく御穿鑿にて、糺明進退にも及ぶべしと、存ずる儀をも、誰ぞ御取成し、又誰を以て陳じ申せば、則ち其儀に任せられ、御疑の御心、少しも御座なく候様に見え申し候、是とても、人々怪我なき様に【諸氏の処罰を熟慮す】と、思召しての事なり、譬へば土民百姓等に至るまで、御自身仰付けられず、叶はざる御用なれば、諸奉行衆其座に差置かれ、御閑所へ入らせられ、はる〴〵御独言を仰せられ、以ての外に御苦労の御様子にて、御分別遊され、御自筆にて諸奉行衆へ、何れの道宜しからんと存ずる、吟味仕り候へと、仰下され候、其座にて御落居なく、御閑所へ入らせられ、御分別遊され候て、如何様にも申分立てさせら、れ、苦しからざる事と、諸人も存ずる儀は、身命相助けられ、科代に牢舎とあり、如何様にも憐を思召し、手をかざさせられ、能く大義なる事より外は、命抔御取りなされ候事御座なく候、何事にても、物の相済み申し候は、御閑所にて善悪落居仕り候事、
一、御在江戸は申すに及ばず、御国元にても、御下の衆に御茶下され候時も、前日より御掃除、万事御道具以下仰付けられ、夜の内より御寝所を出でさせられ、【饗応の法】御身の御装束なされ、御料理御直に仰付けらる、何れをも少しつゝ御試み遊され候、或時の御諚には、仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり、何にても、其主の勝手に入らず、悪しき料理など出して、差当り虫気抔あらば、気遣千万ならん、【 NDLJP:135】さもあらば、呼ばぬには劣りなり、古誰人を呼ぶにも、其人の好みける物を聞き、嫌なる物を去りてするにより、心安く候ひし、頃日左様の事取失ひ候故、一入心元なし、人は高下によらず、客馳走の為め、色々道具あまた出すは、無用の事なり、一種・二種調へ、夫に何ぞ品を附け、目の前の料理か、又は亭主自身料理して、盛物ならば、其儘座敷へ持出し、是れ一種の取成と申してこそよし、珍しき物、色々出したるより、遥々増なり、第一すゞやかに、物事綺麗にするは馳走なり、種種様々の百種・千種の取揃ひ、引立三度振舞ふより、さしともなき物、一種・二種宛にて、節々が増なり、五倫の道も、成程親しきものなり、引立一度にするは、わりなく思ひての儀なれば、多くは等閑の基なり、是れ万事心附くる儀なり、理もなき所に強み入れ、人毎に理を立てんといふつるも、皆奥義は別儀なく、臆病の致す所なりと仰せられし、
【幕府政宗に吉光の名刀を献ぜしめんとす】一、或時、相国様御成の時、酒井雅楽頭殿・土井大炊頭殿・酒井讚岐守殿を始めとして、御年寄衆残なく御出で候て、万事御相談なされ候、内藤外記殿・柳生但馬守殿御取持分の衆故、御相談過ぎ候て、外記殿仰せられしは、此度御祝儀として御進上物は、如何様物に御座候哉、迚も各々へ見せ御申し、御相談然るべき由、御申し候に付、内々支度申し候迚、貞宗の御腰物・来国俊の御脇差、袋の儘見せ御申し候へば、外記殿、是は此度の御進上には如何、尤も始めての御成にては御座なく候へども、是よりも一際能き物になされ、如何と御申し候へば、夫こそ安き事なれ、如何程も御覧候て、似合はしきを進上申したしとて、名物の御道具共、其外、種々様様大中小百余、見せ御申し候へども、是も如何あらんと御断故、貞山様御諚には、此度始めての御成にも之なく、譬ひ始めての御成と申すとも、此道具の内に、我等進上に似合はぬ物なからんや、扨如何あるべしと、仰せられ候へば、そこにて外記殿、御老中の顔を御覧じて、仰せられ候は、尤も此度、始めての御成にも、御座なく候へども、日取相定めてより此方、公方様今や〳〵と待たせられ、御機嫌其感もなく候間、迚もの御饗応に、貴様には天下に隠なき名作のしのき藤四郎吉光の小脇差、持たせられ候間、夫を御進上候て然るべき由、外記殿進み出で、仰せられ候へば、貞山様、俄に御気色以ての外に替らせられ、やあ外記、扨も〳〵其方の意地に、似合ひたる御申分かな、能々案じて見給へ、大御所様より以来、御三代【 NDLJP:136】の御主人、二つなき命をだに、露程も惜み奉らず、上ぐべしと存ずる身にて、道具の惜しきとて、上ぐまじき謂れやある、今にてもあれ、天下に御大事あらば、先づ我ならで、城の埋草に誰かあらん、余人に先をせさせんとは、日本国中の仏神も上覧あれ、命は塵芥よりも軽く思ふ我等、夫に其方の意地に較べては、差出でたるきたなき申分かな、尤もあの脇差、首尾なくば、今まで上様へ進上せで置くべくや、此藤四郎は、太閤様より至つての首尾にて、拝領の物なり、其品は天下に隠なし、二つなき命は上ぐるとも、いかに事過ぎ代替り、追従を思ふとも、一言の御恩、申合せ候事は云ひ難く、今翻す事、ゆめ〳〵なし、此儀に以て、今に至つて、公方様へも進上致さず、秘蔵申し候、譬ひ明日に我等果て候とも、是までは進上申す物に、ゆめ〳〵之なく候、子供にさへ、其事包みて申聞かせざる脇差にて候、いかに外記殿、明日の御祝儀に、是程百余の内に、上ぐべき道具之なきにや、下作裏折れたる道具にても、百余の道具、各の御腰に差されたる脇差にも、余り劣る物はあるまじ、上ぐべき道具なくば、上ぐまじきまで、斯様の祝儀、彼是慾得は入るまじ、武士の存寄りたる儀こそ、千金にも替ふまじき儀なり、外記日頃の懇意、今日見下げたり、左様の意地にては、公方の御用にも立ち兼ぬべし、各御老中も、今日は万事御相談申入れ候に、此儀外記に手を廻し、御言はせなされ候は、譬ひ公方様御内意なりとも、不出来なり、我等家の苗字ある内は、進上申すまじく候、御相談も大方済み申し候間、我等は座敷罷立ち候、各明日の御供あれとて、御座の間へ御入りなされ、以ての外の御腹立にて候、外記殿は申すに及ばず、御年寄中、御尤至極に候、何しに我など心得にての事、外記に言はせ申すべくや、如何様にも御腹入る様にと、種々仰分けられ、御機嫌直らぬ内は、帰るも成るまじきとて、彼方此方御掃除抔、御馳走以下の儀、各走り廻り、暮に及ぶまて御座候て、漸く御申し宥められ、各にも御会ひ、色々御咄し候て、何れにても、御腰物・御脇差御上げ候へと仰せられ、各御帰りなされ候、諸人汗を握り申し候、後に伝へ承れば、御内意の由、申唱ひ申し候事、
【秀忠正宗の邸に臨む】一、次の日、早々御成、御数寄屋へ入らせられ候、御相伴衆は道三法印・立花飛騨守殿・丹羽五郎左衛門なり、既に御膳を貞山様御上げなされ候時、内藤外記殿、土器に箸を一膳持ちて、貞山様へ追懸け御申し、御前のをにをなされ御上げ候へと、【 NDLJP:137】御申し候、貞山様、其儘御数寄屋口に置かせられ、外記いはれぬ事を御申し候、政宗程の者が御成申し、自身御膳を上ぐる上、おに所にてはなきぞ、御膳に毒を入るゝは、十年前の事なり、十年前にも、日本の神祖、毒抔にて殺し奉るべしとは、曽て思はぬぞ、一度乗寄せてこそとは思ひ候と、仰せられ候所へ、御数寄屋の内より、通り口を明けて、立花飛騨守殿御出で、一段似合ひたる御挨拶かな、上様にても御感にて候、御膳遅くなり申し候、早々と申され候時、御膳を御上げ候へば、扨々頼もしき御挨拶と、公方様夫々の御礼にて、御落涙遊され候由にて、諸人扨も扨もと感じ奉り候、御数寄屋過ぎ候て、御書院へ出御なされ、御能御見物、暮に及びて、還御遊ばされ候事、
一、相国様五十三の御年の、前の年より御病気にて、次第に重らせ給ふ、正月半末には、今を限りと思召され候御時、貞山様を呼び御申し仰せられ候は、年の内より、病気次第に重く覚え候、兎角快気成り難く覚え候、少しも本心のある内に、貴所へ御目に懸り申し度き事は、昔より今日に至るまで、御志一つとして忘るゝ事なし先つ長き事ながら、大御所様駿河の御殿にて、御病気重き折柄、悪しき者の申入れ候て、已に貴所
【紀州頼宣の招請に赴く】一、或時紀伊大納言様へ、御振舞に御出でなされ候、御相伴衆御相客には、板倉【 NDLJP:138】内膳殿・柳生但馬守殿・内藤外記殿、其外数多御座候、形の如く御酒過ぎ候て、御帰の時、紀州様、御玄関迄送り御申し候に、御広間の事なれば、老少ひしと膝を組み、歴々伺候申され候、御覧じて、扨も〳〵申すは愚なれども、歴々の御家中衆、目を驚し申し候、是程の御内衆持たせられ、唯今の若上様へ、少しも御如在あるまじく候、此人数にては、譬ひ大国へ御取懸け候ても、御手柄の御勝利、疑あるまじく候、御序にて御座候間申上げ候、若し紀州に於て、御国の境論抔御座候に付いては、早々我等に御聞かせなさるべく候、手勢二千も三千も召連れ罷越し、少しも費公様には、懸け申すまじく候、年寄参り候て、如何様にも扱ひ申し候はむ、斯様申す内、若し上様へ御等閑遊され候に於ては、斯様に申す年寄、日頃国許に秘蔵仕り、差置き候郎等共召連れ、真先に紀州へ参るべく候間、左様に御心得候へと、仰せられ候、諸人承り、恐れ感じ奉り候、板倉殿、其後上様御前にて、御夜咄の御序に、上聞に達し奉りければ、殊の外将軍様御機嫌能く、後に板倉殿御咄なされ候事、
一、或年御上洛時分、近衛様・八条之宮様、御申請けられ候事あり、御装束の儀御座候故に、御辞退遊され候へども叶はず、ならせられ候、終日、御能御座候に、京童貴賤群集をなし、御庭前に畏る、御酒次第々々に廻り、近衛様御同座に御座なされ、【公家程ぬるき者はなし】後は御烏帽子御取らせ、公家程ぬるき者はなきとて、彼方此方振廻しなされ候を、諸人拝見奉りて、胆を潰し、有難き事かなと、感じ奉るとなり、
【政宗秘蔵の名刀】一、毎年元日に、白き綾の御小袖、桐菊の御紋の御座候を召させられ、御長袴の上に、かのしのき藤四郎の御小脇差、名作の御腰の物差させられ候、或年の元日、御座の間にて、越前守様御一礼仰上げられ、御本座の時、何の御序もなきに、御意なされ候には、此吉光の脇差は、元日に計り差し候、綾小袖は、御代相渡され候て、著させ御申しなさるべく候、所詮人は死後に計り、譲ると申すげに候、我は元日幸に候間、譲り進じ申すべく候、先は此藤四郎を相渡し申し候、是は天下に隠れなき名作、太閤様より、分けて御首尾を以て拝領申す事、諸人隠なきぞ、公方様より内々御望あれども、是までは進上申す物に之なく候間、伊達の家あらん限りは、段々譲り秘蔵、返す〴〵他に渡す事なかれ、其外多き中にも、此年まで身を離れぬやうに、秘蔵の物は、亘理来の刀・景秀・はゞき国行、是三腰なり、我命なれば、【 NDLJP:139】死後に能く秘蔵せらるべし、亘理来は亘理代々の刀、大役疑なし、又はゞき国行は、昔共はゞきなり、本阿弥心にてたいこん仕り候、是とても勝る刀はなし、景秀は高麗御陣の時、日本の諸大名共出で候て、ためし物する時、牛程の男、総人数切余し、捨て置き候を、此刀にて切るべき由申し候へば、加藤肥後・浅野但馬、兼ねて中悪しき故、何れも余し申し候に付、いよ〳〵と思ひ、此刀を抜いて肥後に渡し、是は我等小姓の刀なり、是にて切り給へと言ひければ、肥後斟酌の様子に見え候間、以前の異見には似合はぬと思ひ、無理に切れとて、切らせけるに、一の胴を切落し、上段より下へ五六寸打込む、流石の肥後も胆を潰し、中々只は抜かれ申すまじく、鍬にて掘出させらるべき由にて、鍬にて掘出し候、斯様の手柄、夫のみならず、手前にて数度試み候間、弥〻秘蔵尤なり、只今渡し候はむが、先々死後迄は、今日よりして預り分と仰せられ候事、
一、仮初の野山狩にも、御出てなされ候ても、諸人召出され、御酒下され、心進み御供申す様にと、仰せらるゝ儀にて、尤も御鷹野・御山追にも、少し心能く仕る者には、御自身金子を夫々に下され候、仕合能き者は、一日に二度も三度も拝領仕り候、諸人猶以て火水の中へも弁へず、御奉公と心懸け申し候、何事に寄らず、其時を延べず、御心附け遊され候、外様衆抔、知行も取る人にも成らせられ候へば、少しなりとも、御加増下され候、御前近き衆は、連々御取立て遊され候、或時の御意に、目近き衆取立て候は、言ふに及ばず、朝夕少し宛なりとも、外様衆に夫々に奉公を言附け、心付する事本意なり、外様程身の及びなければ、直目安より外の便りなし、然らば代々の者、不便至極なり、主従の思ふ儘には、拝領の地少ければならず、少分の物にても、節々心付肝要なりと、仰せられし事、
【政宗裁判に与かる】一、或時御座の間に於て、朝より諸奉行衆・出頭衆・穿鑿の御使申さるゝ衆、余多召出され、終日御前御さばき御座候処、少しもくつろがせ給はず、種々様々の仰付けられ、御さばき最中に、諸奉行衆へ仰出され候は、我等に少し暇を呉れよ、皆皆今の間休息して参られ候へと有りて、次の御座敷へ立たせられ、四方の御障子抔立てさせられ、十二三計りの奥小姓・御
一、或時御親類衆、御一家御一族衆、其外大身衆、御西曲輪にて御振舞下され、一日御能御見物遊ばされ候、尤も御前にて、御長袴御召し候故、諸人も長袴にて伺候申され候、ほの〴〵明けに、御座へ御出で遊され候とひとしく、年寄衆一人、御座敷より舞台へ参り、片手を突き、御能始め候へと申され候、則ち幕を揚げさせ、太夫罷出で、【実盛の能を観て感泣す】其日二番目の御能、実盛を仕り候に、師手語りの内に、実盛常に申せしは、六十に余り、軍せば、若殿原に争ひて、人々に先を懸けんも、おとなげなし、又老武者とて、人々に侮られんも口惜かるべし、髪・髭を墨に染め、若やぎ討死せんずる由、常々申し候ひしが、誠に染めて候ひけると、さも勇々しく謡ひし時、御声を揚げさせ、ひたすら御落涙遊され候、左の御脇に、伊達安房殿御座候が、是も御同前に、御座敷にたまられぬ程、落涙なされ候、諸人御様子を拝し奉り、落涙仕らざる者は、御座なく候、誠に実盛に年増の御人様達、御身の程へ思召合せられ候事と、皆々感じ奉り、落涙仕り候、総別人に替らせ給ひて、人は哀なる事には、落涙大方仕り候が、左様の事には、さのみ御落涙遊されず、何にても義理の深き事には、御声を立てさせられ、御落涙遊され候、或時の御能に、定家を仰付けられ候に、是は【時雨の陣に哀を催す】時雨の陣とて、由ある所なり、都の内とは申しながら、心すごく時雨物哀なればとて、此陣を立て置き、年々歌ども詠じさせ給ひしとなり、古跡といひ、折柄といひ、逆縁の法をも説き給ひて、御菩提をも御弔あれと、太夫謡ひ申す時抔は、何れの御心にて、御落涙遊さるとは知らねども、御座敷にたまらせられぬ御有様にて、御声を揚げ、御鼻紙にて御顔を押へさせられ候、物の味存じたるも存ぜざるも、感じ奉り候は、歌道に付いて、聞召合せられ候事あらんと、存じ奉り候、誠に善にも悪にも、御強き御事かなと、皆々取沙汰仕り候事、
一、されば詠歌の道に長じ給ひ、花鳥風月の方、いとかしこく渡らせ給ひ、折にふれたる御口ずさみ、中々申すも愚かなり、或時仰せられし古歌に、
武蔵野は月の入るべき山もなし草より出でゝ草にこそ入れ
いづるより入る山の端はいづくぞと月にとはまし武蔵野の月
いつみても始めてむかふ心かなたび〳〵かはる富士の景色は
と詠みし歌をこそ、類なく思召せと、御褒美斜ならざりしと、御意なされ候事、
一、或時伊達安房殿、悉く作事出来し、日柄を以て、貞山様入御申す朝は、御数寄屋、扨夫よりは御書院に、何れも御利親来夫方小具音々長裙なり、御主様も御長襠召させられ、万事御作法正しく見えさせられ、御能御見物、終日遊せられ、其日兵部大夫殿鶴をなされ候、総別御咄御挨拶の為めとて、御相伴衆をも御座敷縁側【相伴衆宗壁を斬る】へ差置かれ候、御相伴衆の内、宗壁とて、京方の者にて御座候へども、別して御取立て、知行百貫、役なしになし下され、年も寄りたる者なれば、弥〻不便の事に思召す事斜ならず候、其日も宗壁御相伴仕り、御書院にても、御親類衆内に連り、御縁側御座近く差置かれ候、兵部大夫殿、御能なされ候に、諸人感を催しけり、誠にいたいけなる御事にて、音曲拍子に叶ふ様に見え給へば、御前にても、御機嫌一入に見えさせ、見物の上下、感涙胆に銘じけり、折節彼の宗壁、感に絶えて、異狂の心やきざしけん、又は御機嫌に入らんとや存じけん、御座近く踊り出し、
一、或時江戸浅草に於て、金剛太夫、天下の御諚を以て、勧進能仕り候、折節西国・東国の諸大名、大身衆の分まて、在江戸の御事なれば、何れもへ公儀より御座敷渡り、御見物なされ候、尤も貞山様御桟敷は、正面に御座候故、一入物事きら〳〵
しく遊され候、御右の方は島津殿、御左は毛利殿、其続段々大身・小身残らず御出て候へば、桟敷の結構、花龍の翠簾、理珞・錦繡・幔幕、珍の食事飽満ちて、見物の諸人、目を驚かす、大名・小名より太夫の方へ下され物は、金銀の類・綾・錦・金襴・緞子・太刀・刀、我も〳〵と引出す、七宝の宝物、山の如く積重ね、夥しき事、譬ひ様もなし、さる程に、毎日の能打続き、太夫も草臥れたるやらん、五日目の能は、朝より七番仕り候が、不出来致し候故に、見物の諸人も、心にしまぬ有様なり、太夫も何とやらん、心進みなきやうに御座候故、祝言仕り候前に、貞山様より一番御所望【政宗金剛太夫の能一番を所望す】遊され候、諸大名衆は申すに及ばず、桟敷中の者共、立ち顔に御座候を、御自身翠簾御揚げ、仰せられ候は、今日の能、何とやらん残念に存じ候故、一番所望申し候問、各々立騒がぬ様に、見物然るべしと、仰せられ候へば、皆々ひしと罷り在りぬ、斯くて太夫御返事には、冥加に叶ひたる仕合に御座候へども、罷成るまじき由、御返事仕り候故に、いとゞ御立腹、抑〻今日我等所望、成るまじくとや、推参中中口惜しき事なり、ならぬ事といへば、無理にもならず、是非成らぬと云へば、足軽共に楽屋を取巻かせ、太夫を始め、一々切殺させよ、返事の悪しきに、たゞな殺しそ、成程痛しめ殺させむ、政宗程の者が、望をなして叶へずして、除くべくや、一々に首を切り、其後言上申すべし、上様にても、聊か兆なりと思召さん、政宗よきとこそあらんとて、折懸け〳〵御使立つ、御家中の上下、御言葉を聞き、襠の括り高く取り、すはといはゞ、我先に討つて入らんと思へる気色にて、勇み進みて【 NDLJP:144】控へし有様、あはや事こそ出でたると、皆々色めいて見えにけり、時に天下の御町奉行申され候は、陸奥守殿の御意至極せり、今日の内にて、誰やの者が、御心に背くべき者、一人も有るまじく、それに太夫御返事、言語道断、曲事なり、御所望違背申すならば、御前へは懸け申すまじく、某共計らひ申すべし、町同心の者ども、其旨心得よと、物騒がしく下知をなす、然るに太夫申上ぐるは、罷成るまじくと申上ぐる儀は、勧進能は、其身々々の役さへ勤め申し候へば、役者共罷帰り候、皆々罷帰り、祝言謡ひ申す者計り罷在り候間、罷成るまじき由、申上げ候へば、其儀ならば、始めより申さぬ、くせ事なり、又役者共悪しき事なり、上様より似合はせ知行下され、差置かれ候事も、斯様の為めなり、我等も未だ帰らぬ先に、手前の役過ぎたるとて、帰る事奇怪なり、其者共引返せ、道にて追附かずば、宿よりも引出せとて、馬乗・歩衆、我先にと大勢にて追懸くる、此時能の間延びて、総芝居の者共、少し退屈して見えしを御覧じて、御自身仰せ出されけるは、所望の能、少し支度に暇を取り候へば、待遠に有りとも、今少し待ち候へと有りて、小姓頭を召させられ、総芝居の者共に酒振舞度きが、俄の事なれば、なるまじけれども、成り次第に出せと、仰付けられ候、何事に寄らず、思召の闕けぬやうに、兼ねて仰付け置かれ候故、諸人其志二六時中、油断申さず候故、御諚にて有るぞ、振舞へと申渡す程こそあれ、南都の大樽共、数も知らず、芝居中へ取出し、大桶半切取出し、樽の蓋を此処彼処にて打砕き、樽のまゝかたげ行くもあり、桶半切の酒引
【将軍家光の饗応】一、寛永十二年正月廿八日、上様へ御二の丸に於て、御膳上げさせられ候、尤も朝は御数寄屋にて、
御国の土器一酒ひて鯛、金柑、真鰹、栗御杉木具浅き御椀一御汁だん〳〵すし
青竹のこつゝ皿に一このわた 一御飯
御二杉にて枝折桃を曲げ候木具、
かく皿に一石鰈御焼盛
染付皿に一酒すし生薑細く切りて一御汁
一香の物瓜漬 茄子漬 大根漬
杉にて沢潟曲の重箱一御引さい塩鱒焼物 鰤焼きて 鰈・蒲鉾
御肴
一、鳥ひしほ 一小鮒吸物 一たいらき小串 一
御引肴二種
御茶漬唐団扇 曲げたる重箱に
【能楽を催す】御膳過ぎ、常の如く、御飾り遊され、御茶立てさせられ、進上御申しなされ候、御数寄屋に於て、上様仰立を以て、わびすけと申す、天下に名物の御茶入、御拝領なされ、則ち其茶入にて、御茶立てさせられ候、御数寄屋過ぎ、一御書院に於て、上様【 NDLJP:146】へ久国の御小脇差・長光の御腰物、御献上なされ候、御慰とて御能御付けられ候、今日の御亭主にも、一番と御諚にて、実盛の大鼓仰付けられ候、上様御装束は、下には白小袖、薄柿底紋の染物、染の御紋所、赤裏・黒き緞子の御袴・肩衣にて、御中脇差、御腰物は御床に差置かれ候、大名・小名思ひ〳〵に出立ち、或は金銀箔の小袖・肩衣に、色々の縫箔召され候、土井大炊殿、大夜著の如くなる練地大紋の染物赤裏、上下には蔦を摺箔になされ、三尺程の金鞘張の大脇差横たへ、御行きなされ候、御舞台正面より御左の御白砂に氈を敷き、大名・小名ひしと伺候御申し、御酒など上げられ候為め、御土器・御銚子・御肴など差置かれ候、御右の方に酒井讚岐守殿、熨斗目・長上下・小さ刀にて、器量さもゆゝしくして、石の上に跪きなされ候、其日色々様々の御慰の為め、右の通りにて御座候、大身・小身に寄らず、其日の御能仰付けられ候、
御能組
翁 内田平左衛門 千歳三番叟 東田太左衛門 小畑勘兵衛
高砂 柳生但馬守殿 伊藤 大 三助小 清次郎 大 惣右衛門笛 市右衛門
実盛 桜井八右衛門 権右門 大 三右衛門小 十兵衛 大 政宗公笛 三四郎
江口 毛利甲斐守殿 九郎右門 大 三助小 清次郎 笛 市右衛門
玉葛 加藤式部殿 近藤 大 三助小 五右衛門 笛 長治郎
道成寺 高安 大 三右衛門小 長右衛門 大 佐吉笛 市右衛門
東岸居士 春藤 大 六右衛門小 多ケ谷左近殿 笛 勘七
大会 作間将監殿 近藤 大 三助小 清次郎 大 新助笛 勘七
善知鳥 童慶 権右衛門 大 六右衛門小 正右衛門 笛 又三郎
鵜飼 春藤 大 三右衛門小 十兵衛 大 左吉笛 勘七
羅生門 観世太夫 保々石見殿 大 樋口小 長右衛門 大 彦九郎笛 三四郎
笛 平岩勘七 青木〔春日イ〕又三郎 長命長次郎
小鼓 大窪〔倉イ〕長右衛門 幸清三郎 大森九右衛門
大鼓 観世左吉 桑名作右衛門
【 NDLJP:148】鐘打 上村吉左衛門 新発意大窪弥右衛門 森村茂三郎
鷺 伝右衛門
踊子 二十人
鈴木九十郎 庄子作十郎 遠藤市十郎 平田権作
橋本左太夫 木村百助 柳生権右衛門 多川半四郎
鴇田門弥 野田蔵人之丞 島津大蔵 横田与平次
熊田小平治 菅野八十郎 富沢大吉 横尾金次
蘆沢伝七 高野弥太郎 木村源太 只野長十郎
先づ一番目の衣装、色々伊達なる染物赤裏繻子、金扇〈脱字アルカ〉・鞘黒塗・金蛭巻したるにて舟躍り、三番に地白綸子、枝垂柳に桐の葉、金摺箔帯・白繻子白鉢巻・金銀丸の団扇、四番に、下に白地に銀にて、菊水摺りたるに赤裏、上には黄地に金にて菊水、五番黒繻子、金ののたりの小袖紅裏、銀にて扇流の小袖二色なり、金扇流にて入乱れ立ち申し候、上様にても斜ならず誉めさせらる、斯様の踊、近代には聞くも稀なりと仰せられ、御機嫌能く、踊過ぎ候て、皆々召出され、御小袖一重づゝ拝領、酒井讚岐守殿承りにて引渡す、扨又、御咄以後、御酒召上られ、御立ちなされ候事、
一、右の御茶上らせられ候御祝儀、又踊など打揃ひ、正月廿五日に遊され候、上下さゝめき渡り、目出たしと申す所へ、上様より御内書を、福阿弥と申す御坊主衆御使に遣され、総別心安き御方へは、御内々にて、同朋衆遣さるゝ由にて候、其御書には、此廿八日の御茶御待ち兼ねなされ、並に名物の伽羅余多、御満足の由にて、内々御祝の御座敷半なれば、弥〻御祝ひなされ候、御使の福阿弥にも御酒下され、其日は殊更風もなく、空晴渡り長閑なるに、御前の庭へ、四尺余りの鯉の魚飛落ち、御庭中刎ね躍り申し候、伺候の面々、周章飛下り、其鯉を捕へ、折柄と云ひ、扨も斯様の目出たき事、あるべからずと、勇み合へり、則ち御前にて、御料理仰付けられ、弥〻御祝斜ならず、是程目出たき鯉を、相詰め候程の諸侍に、振舞へと仰出され、誠に末々の者まで御酒下され、彼福阿弥には御引出物下され、罷帰るなり、扨御咄に、斯様の目出たき座敷などには、折柄魚などの来ると見えたり、漢朝にも、遊の舟に魚飛入る事有りと云ひ、又我朝にも、余多
【新邸の類焼】一、其年の春も過ぎて、夏の初めに、御暇出て、御国へ御下りなされ候、其年、江戸御屋敷の大広間を始め、誠に金銀を鏤め、或は泉水色々の名木の数々、大小の屋形数を尽し、
【政宗医術に熟す】一、奥方などにて、召仕はれ候衆など、病気なれば、御自身脈御試し、御書付を以て、医者衆へ、脈体是の如きの心持と思ひ候、分別して薬加減候へと仰せられ、則ち調合して上げ申し候、悪しき事、終には御座なく候、安からぬ事と、医者衆感じ申し候、扨医者衆呼ばせられ、品々御尋ね心持をも聞かせられ、御挨拶には、流石に一段と面白き加減なり、宜しからん、弥〻嗜まれなば、第一我が為め、諸人の命を助くれば、天道の道にもよからんと、誉めさせられ、御立なされ候、然る故に、御身の御養生、常々御油断なく、御自身御脈御取り、寒熱の内、御心に合はぬ御脈出で候へば、医者衆御集め、昨日今日御取立の、しどけなき
【狩猟の殊功を賞す】一、仮初の野山狩にも、其日御供に参る物頭衆・諸侍衆・御鷹匠衆まてに、御酒下され、高下心勇み、御供仕り候、尤も何にても、御勝負なされ候に、手柄の事致し候へば、金子御直に、達者致したるとか、手柄致したるとか有りて、御勝負の御祝儀とか、御誉めなされ、御金下され、仕合能き者は、過分の仕合に、妻子をも心安く扶持仕り、有難く存じ奉り候、能き事など仕り候へば、其場に於て、則ち御褒美下され候故、幾度も抽で御奉公仕らんと存ず、其折しも手を空しくせし者は、重ねては人に先はせじものをと、
【一日中の起居】一、常の御行儀、見申し聞き申し仕り候通りは、先づ宵に明朝御昼なり候時差先づ宵に明朝御昼なり候時差【 NDLJP:151】を、御寝ず仕る坊主衆へ仰付けられ、六つと仰出され候夜、八つ七つ時抔、御目覚御座候ても、明六つと申上げず候へば、起きさせられず、御床に待たせられ、御時差申上げ候時、漸く明六つを待付けたりと仰せられて、御昼なり遊され候、又七つ時と御時差仰付けられ候を申上げ候へば、百夜に一度も、御睡く思召し候折柄は、余り睡きに、今半時過ぎて、申し来り候へと、相返され、其時も御睡き時は、明六つまで寝せよとか、明六つ半に参れと、御時差遣され候、扨は御昼なりては、御床の上にて、御髪を御手自ら鼻紙引裂き、一束に遊され、御手水所へ立たせられ、御手水遊し、例もの御床へ御直り、御長命草呼ばせられ候、御長命草附き申す者、奥表定り申し候、尤も御前御畳の上に、唐革を一枚数き、其上に御長命草入・灰吹入・御火取置き申し候、御長命草は三ぶく、時により五ふくか、数定りて召上られ候、扨御烟管は、内外御掃除遊され、右の御道具共、御仕廻はせ、夫より御小袖召し、御脇差差させられ、御腰物は御持たせ、表へ御出しなされ置き、直に御閑所へ御入りなされ、御閑所は二畳敷、如何にも綺麗になされ、御棚三楷に釣り申し候て、御硯・御料紙、色々の御書物に、御手本・御腰物県・御かんばん・御
【政宗の風流】一、折に触れたる優しき御慰には、春は花の遅きを待佗びさせ給ひ、御花壇に御殿を立てさせられ、鳥の声々の春めきたるに、御心を伸べ給ひ、漸々花盛になりぬれば、
【山野の御膳場】一、御野山川狩にて、朝の御膳場は、宵より何方々々と仰付けられ、晩の御膳場は、朝より御定め、御幕奉行衆役にて、御殿の御相伴衆罷在り候所より取置く御仮屋を、人馬に附け、何方にても相建て、雨雪には上に桐油を懸け、間々仕切を附け、御膳の時は、御相伴衆、常の如く、一人宛罷出づ、十徳・肩衣は、野山にては御免しなされ候、御膳は御内外共に、御膳番の外、構ひ申さず候、御茶の時も、坊主一人宛罷出でられ候、御台所にも、年の寄りたる御譜代衆、御膳所に罷在り、おにを仕り、御膳番衆総べて野山にても、誰申渡あるとも見えぬに、出頭衆・小姓衆・諸侍衆・御徒衆・御鷹匠衆・小人下々迄、一所々々に罷在り、高声も仕らず、馬を一度蹈合せたる事も御座なく候、
【文武の嗜】一、第一の御心懸は武具なり、朝夕珍しきを相添へられ、古きを捨て給はず、御家中も上を学ぶ習なれば、叶はぬ迄も、武具・馬具の嗜仕り候、能々叶はぬ者には、仕立て下さる、男の道昼夜心懸けよ、忠孝油断すれば、天道に背くものぞ、又老若共に、成らざる迄も、文を心懸けよ、文は理を明かにし、忠孝の道なれば、人々学【 NDLJP:156】び候はで叶はぬ道なり、文武の道は、総べて専ら嗜むべしと仰せられ候、御前にて不断の御翫には、御物書衆・儒者衆を召しては、其道々を御尋ね、仏法・王法には、僧・儒も言葉を失ひ、詩・連句を遊しては、名を得たる和尚達へ遣さるゝに、一字の直しもなし、御手跡又宜しくして、他家の方にても、懸物にするなり、歌の道も達し給ひ、折節の御詠を集め、近衛院へ遣され候へば、たま〳〵一字・二字御直しなり、公家方にも多くあらじと御感有り、御馬は申すも愚なり、御鉄炮は一夢が、秘事を相伝奉り、下げ針・懸け鳥も難からず、其外御物数寄の道、乱舞は世間の上手、表を馳す、花を立て香を焚き、茶の会・揚弓の道・料理の道も暗からず、御細工も又比類なし、されば野山村老の翫ぶ事、一つとして御存なき事なし、明暮文字を嗜み、占の方の道は、軍法の用たりとて、諸人舌を振ひ申す程なり、雨の夜雪の朝には、御
曇りなき心の月を先だてゝ浮世の闇を晴れてこそ行け
斯くの如きは、如何あるべきと仰せられし時、御相伴衆の内にて、病の先に薬を用ふと申せば、兼ねて斯様の御心懸は、御長久の至と存じ奉り候、何事も千年の後の御言葉と、祝し申されければ、一段面白し、去り乍ら命は限り有るものぞ、何に【老の思出】付けても、徒に年を重ねて、無下に死せんは、口惜しき事なり、今に死すとも、残多き事少しも之なし、老の思出に一合戦、若様をも習し申し、若き子供や孫共に、至るまで、軍の様子をも取飼ひ、死せんものをと、是れのみ心に懸るなり、天下皆【 NDLJP:158】生れ替り、年の寄りたる者は、高下皆死失する、譬へば明日に、如何様の事出来るとも、敵・味方若ければ、死ぬまじき処にて、あたら武士共死せん事、無下なる事なり、天下泰平にて、御為には目出たく能く、年寄には、こざかしき若者共、弟子になりて、聞かせたしとて、実に思召入りたる御様子にて、御涙を浮べさせ給ふ、扨其次の日、御帰城遊ばされ候が、後に存合すれば、白き鹿などの事、不思議なる由、各申合へり、
一、同年二三月の頃より、何とやらん、御気も重々と、御慰みも興ぜさせ給はず、何はに付けて、御心も進まぬ御様子、怪み奉るに、万の事、此夏計り〳〵と、絶えず仰せらる、或は当座の儀に寄らず、忠宗公御為めと計り、御意遊され候へば、下下も勇む心なくなりぬ、去に付、方々御作事をなされ、御取立の者にも、作事なし下され、後は知れぬ事なれども、今度計りと思ひ、供をも致さずとありて、御遊山のみ計りに、朝夕懸らせられ候、或時俄に、袋原へ御出で遊され、能き所御見立て、縄張など遊され、爰に蓮池を掘らせ、大崎名物の鮒を放し、若し命あらば、来年は小船に棹さし、老の慰せん、若し又此度登りて下らずば、忠宗公の慰にも然るべしとて、縄張遊され候へども、余日なき故、池は御掘らせ之なく候、古川へ御泊り、野に御出で遊され候が、夫より御御気色勝れ遊されず候とて、日夜御薬師衆に御【養生の心懸】脈を御見せ、御薬召上られ候、常々御養生深く遊され候故、御自身御脈御覧遊され、少しの御気色にも、薬など召上られ候、或時の御意には、病など少しとて、油断する事、不覚悟なり、物事小事より大事は起る物なるに、少しの時、養生第一なり、養生せぬとて、時節来らずば、死はせじなどいはんが、身を捨て有らんは、天道に背く事ならん、然れば少しの煩重くて悪しからん、我抔は若き時より、風抔引き、煩はしき事、余り覚えず、少し風の心地抔有る時も、具足著て馬に打乗り出づれば、則ち本復せし、医者の薬にも勝りしなり、頃日の若き者共を見るに、代に随ふと云ひながら、小袖幾つとなく重ね著て、其上朝より晩まで、焚火や炬燵を離れず、薄膚に具足著て、野山の住居せば、敵に会はずとも、凍え死ぬべしとて、御笑ひ遊され候、中一日の御逗留有りて、四月十四日に御帰城遊され候、彼方此方と御慰み遊され候へども、御気の晴るゝ御気色なく、一円御心の御進みなし、薬師衆も彼方此方御出の時、御酒抔の続ぐにてもやと計り申し候、朝夕の御膳も、御心能【 NDLJP:159】く召上られず、尤も御酒抔も召上られず、総べて斯様の御煩出づべくにや、一両年前より、時々御膳召上られ候に、御むせ遊され候事御座候を、常々仰せられ候は、此膳の上にむせる事、以ての外悪しき事なり、然りと雖も、之を取立つる養生の元なし、されども油断する儀なしとて、御薬抔御用ひ遊され候、さる程に日に随ひて、何とやらん、御気色重らせて、総別江戸登りの事、五月始めに発足しても、常なれば苦しからず候へども、何とやらん、次第に不快重く覚ゆるなれば、少しも気色衰へざる内、江戸へも登り、御目見をも申し、諸大名衆へも寄合ひたく思ふと有りて、二十日に御発駕と仰せ出さる、其頃、世間流行り皮癬にても候や、御身に少少出で申し候を、秋保より湯を御汲寄せ、日夜御行水遊され候、又思召立ち、若林の前の池狭くして、後々も見苦しかるべしとて、御掘らせ遊され候、其外、様々物車に御念を入れさせられ、
【上府の途に就く】一、程なく四月二十日になれば、御供の衆は、夜の中より御城へ相詰め申し候、朝の御膳は、岩沼にて召上る筈にて、夜明けなば、御立と仰付けらる、七つ時より御昼成り、旅の御出立遊され、御座の間に御出で遊され候へどもつく〴〵と遊さるゝ御意もなく、脇より申上ぐる事もなく、御座敷冴え返り、其事兎角物佗しき御様子に、見えさせ候故、伺候の衆も、如何様に今朝の御気色悪しくと覚えたりと、諸人心進みもなく、既に夜明けぬれば、御座敷立たせられ候が、彼方此方に御目留る御有様にて、懇に御覧遊され、御名残惜しげにおはしまし候、後に思合すれば、斯様にあらせらるべき御前表にてやあらん、扨御乗物に召されし度に、御騎馬の御供・御歩衆・御見送りの衆続きたり、常々江戸御登り、又近きあたりの御出の御供にも、勇み進みてさゞめきしが、此度は上一人より下々迄、ひそめきたる有様にて、御供する心もなく、仮初にて今帰る心持にて、冴え返りたる看様にて、物【 NDLJP:160】すご〳〵と見えし、御供の我人寄合ひて、一つ心に語りしこそ不思議なれ、総じて時鳥を、御閑所にて聞かせらるゝ事を、忌はしく思召せば、年毎に其節には、時鳥音信るゝ由申せば、彼方此方に人を附け、所々へ御出で聞かせられ候ては、目出度し〳〵と、御悦び遊され候、頃日彼方此方にて、【途に杜鵑を聞く】時鳥承り候由聞召して、まで、山辺にて御膳抔召上られ、聞かせられたく思召しけれども、終に御聞なく候が、二十日の朝、御乗物増田と申す在家を過ぎさせ給ふに、いづくとなく、時鳥一つ飛来り、路次の柳に近々と羽を休め、声のを止まず啼き御乗物の先に随ひ、一町計りが間啼続き、東を指して飛び去りぬ、諸人之を見て、此程待たせられしが、御門出目出度しと悦びけり、扨岩沼の御殿にて御諚には、今朝の時鳥聞かぬ者はあるまじ、我れ今七旬迄、今朝のやうなる儀覚えずぞ、始め一声聞くだに珍しかりしに、乗物の内より、鳥の姿、而も一町程見えたる事、終になし、江戸への門出よし、江戸にての仕合、思ふ様なるべし、但し身の為めは悪しき事もあらんと、御意遊【片倉小十郎の居城白石に入る】され候、諸人も是れ不思議なりと申合へりぬ、其夜は、白石に御寓遊され候へば、片倉小十郎居城へ御成申す、種々の珍物調へ御馳走、申すも愚なり、然るに悪しき者の有りて、小十郎が悪を言立て、目安に調ひ上ぐる、色々忍の御穿鑿なされ候へども、皆偽なれば、却て讒人の心をさげしみ、国に讒人有れば、其国治り難き事を、深く御悲み遊され候、次の日小十郎御膳を上げ申され、御機嫌一入よく、御酒聞召し、彼是御盃下さるゝ時に、小十郎孫を子に致し、三之助と申せしが、御目見得仕り度く、御騎馬に畏りしを、南次郎吉、御機嫌を伺ひて、冥加の為めに、御盃三之助に下し置かれ候へかしと申上ぐるを、聞かせられぬ様にて、四方の御咄遊され候、やゝ有りて、御序を見合せ、三之助には如何と、又申上げ候へば、其時御諚には、以前云ひ又云ふ、左様には申さぬ物ぞ、其身抔に、気を附けらるゝ我等にてはなきぞ、さらばとくにも呑まする筈なれども、態と控へる子細有りて、差さぬぞ、子細は、小十郎、子は持たず、あの孫を取立て、実に如何様にやと、不便に思ひ、下々の者迄も、掌の上の玉の如く、労はり育つと見えたり、四つ五つなれば道理なり、以前我前にて、
一、廿二日は、郡山へ著かせられしが、御病気以ての外悪しくならせられ、御薬の外、朝の御膳も召上られず、晩方少し召上られ候へば、御供上下驚き、共に力を落し、夢の如くに成行くとなり、されども御脈は、悪しき御事と御座なき由、医師衆申されし、廿三日は矢吹と申す所の原にて、御心も慰むと、鶉鷹御遣ひ遊され候に、もろなる鶉を総馬上衆取廻し追立て、既に御合せ遊され候へば、其内より烏二羽出て、御鷹を摺立て、雲井遥かに
【日光社参】一、廿五日に、日光御社参遊され候、権現様御年忌も御座候故、古よりの堂塔、残らず御建立遊され候に付、諸大名衆も御参詣なされ候、又公家衆御下り、其日社参、殊更御仏前に於て、猿楽御法楽の能仕り候故、大僧正へ入らせられ候、事終つて御参りなされ候、僧正は御仏前に御座候、日光総奉行伊丹播磨殿、御案内なされ候、御登山遊され候へば、宮つ子は神楽を奏して、きねが鈴振る袖の音、物淋し【 NDLJP:162】く、貴さも胆に命じ、目を驚かす計りなり、御拝殿にして、神子再拝の礼を遊され候へば、宮人御幣を持参し、御髪の上にて、三度礼し奉る、其後、
【殉死の風を非とす】一、同廿六日に、梅の宮と申す所にて、朝の御膳召上らる、何の御序もなきに、追腹の御咄遊され、夫より古へ今まで、国々方々の追腹仕たる由、悪しくのみ、しみじみと御意遊され候、同廿八日に江戸へ御著、御屋敷は前の年皆火事致し、御新宅なれば、其日を御移りと遊され候故、忠宗様、御屋敷に於て、御膳御振舞遊され、上下御供の者迄下され候、皆々旅の休息に宿々へ帰れば、知りたる人は見舞に来り、打寄り〳〵さゞめき合へり、翌廿九日には、松平伊豆守殿、上使として御【家光松平信綱を以て病を訪ふ】諚には、炎天の時分と云ひ、殊更国元より常ならぬ病気の由、呉々心元なく思召され候、緩々御休息の上、御登城御尤に候、病気の体を、伊豆に能く見て参れとの御事なり、御請には久しく御面顔を拝し奉らず、国元に有る心地もなく候に依つて、罷登り候、明日は朔日と申し、御目見申上ぐべく候、御取合へぬ御上使、面目是に過ぎざる由仰上げらる、次の日御登城遊され、昼時迄に御帰り遊され候へば、押付御鷹の鳥を、阿部豊後守殿上使にて御拝領、御諚には、東西の諸大名衆、毎年四月替りと仰出され候儀を違へず、夫程の病気を押して御登り、驚入り思召す、去り乍ら会はせられて、御満足の儀、尽くるに之なく、御気色以ての外宜しからず見え申し候間、油断なく養生なされ候へ、炉庵〔きやうあんイ、下同〕法印に直々申付け候、明日脈見せ、取詰め養生専一の由、御上使なり、さるに依つて、五月二日より炉庵法印の御薬上られ候、御脈は替らぬに、御食物抔は、朝に御
一、上様より江戸中諸寺・諸社へ仰付けられ候て、御祈念中々夥しく、此人失せなば、日本の武威も絶えなんと、思を悩まし給へば、貴僧高僧も肝胆を砕き、本尊を攻伏せ〳〵祈る声は、如何なる閻魔の使、無常の敵も近付き難く、鈴の声雲に響きて、如何なる悪霊も死霊も立去りぬらんと、夥しき御領の寺々にも、御祈仰付けられければ、有験の尊僧、大法秘法の壇を飾り、香の煙ふすぼり返つて、一度は怒り、一度は恨み、本尊に向ひて、敬白の鐘を鳴し、汗をも拭はずに、息をも乱さず、揉に揉うで祈る有様は、天神・地祇もなどか納受なからんと、頼もしくこそ覚えけれ、其外名有る者は、申すに及ばず、町人・百姓に至る迄、心を惑はし、神社・仏閣・山野の祠にも、夜籠・日詣、引きも切らず、懸けぬ立願もなし、御国の騒動斜ならず、されば及ばぬ者迄も、御守札調へて、我も〳〵と差上ぐるを、御苦しげなる【 NDLJP:165】御気色にて、諸人の存寄こそやさしけれ、此度の病気若し取直し、国に置きし者共に、二度会うて、此悦を報ぜんものをとて、御自身一つ宛戴き給ひければ、諸人も弥〻有難き感涙を流さぬはなかりけり、是はせめての御家中なれば、さもあらん、国々所々にも、御祈念遊されけるにや、御守札限りなく、参通すること有難し、
一、御病気日に随ひて、重らせ給ふと聞えぬれば、御国中より、忍び〳〵に馳登り、町屋々々に隙もなく宿を借り、其外、飛脚昼夜行通うて、道中・江戸中、手足を空にする事、以ての外なり、或時内藤外記殿・柳生但馬守殿御出で、家老衆中へ仰せられ候は、此度御煩に、御国元より諸侍中馳登り候由、尤もなれども、上様を始め奉り、江戸中ひし〳〵と仕るに、多人数走り集り騒しく、又多き中にて、物云抔も出来なんは、穏便ならぬ事なり、今よりは此由御国元へ申下し候へとて、扨利根川に人留を差置かれ、走登る衆を御留め候へども、忍び〳〵に集りぬ、されば少しも御心持能く、御食・御薬も御心能く召上らると有れば、上様にも御悦、御家中は申すに及ばず、江戸中色を直し申せしとなり、
一、東西の諸大名衆中、朝は寅の刻より御出て、又は御使者は子の刻まで御座候て御帰り、入替り〳〵御入り候へば、馬乗物共、御門前より四五町は行続きて、行通ふ人も通り得ず、御家の老衆・下々は、昼夜まどろむ事もなく、如何せむと、呆れたる有様にて、夢現とも分は兼ねたり、御病気弥〻御強くして、二三人にて押へて、御衣装・御襠召させ申し候へども、或は上使又御見舞衆と申せば、一度も闕かせ給はず、常の如くに、御出会なされ候、扨御意遊され候は、誠に我等年にも不足なき身なるを、色々有難き上意共、生々世々忘れ難く覚え候、今に死しても、思置く事之なきなり、誠にいんしをば咎めずと云ふ、未練とやらん、人は思ふべき、只一世の内に、若殿の御用にも立たぬこそ口惜しけれと、御涙ぐませ給ひて、又斯様に大名・小名に至る迄、昼夜の御出こそ、返す〴〵も忝き事なり、斯くまで老い衰へたる者に、何時のよしみ深く有るやと、胆に銘じ候、是れ然し乍ら、上様よりの御願故なり、成るべき程は、皆々へ御目に懸り、幾許ならぬ命の内に、直に御礼申し、又使札の所も有るべし、国元より軍用の為め、飼ひ置きたる馬共、見苦しくとも、思ふ方々へ進ずべしとて、御自身夫々に遣さる、其後、御花壇御路地御覧じ、御成を申上げんと思ひしに、最早成るまじく、命程無念なる物はなしとて、奥【 NDLJP:166】へ御成なされ候、
一、十八日、御名残とや思召しけん、朝の御膳、御自ら御献立遊され、御相伴衆、常の如く差置かる、如何にも緩々と、皆々御酒下され候、
【病中の政宗】一、御腹を押へ申すに、指立ち兼ね、彼方此方へ滑り申す計りに張り申し候、御肩より上、御腰より下は、肉落ち衰へさせ給ひ、御座敷に御座遊され候事、御成り兼ね、蒲団厚く遊され、其上に御座なされ候、是程強き御病気にも、一日に二度の御行水・御髪、外れ申さず候、御寝所より御昼なり候て、横に成らせられ候事は御他界迄も、一度も御座なく候、御蒲団の上にも、御膝付かせられ、若し休息とて、御片膝立てさせられ候外、御行儀常の如くなり、御薬抔召上られ候にも、御口へは、思ふ様に召上られ候様なれども、御喉へ入り兼ね申す故、夫より蘆の
【家光其邸に往いて政宗の病を問ふ】一、二十日夜に入り、土井大炊殿・酒井讚岐殿御出で、忠宗様へ御内意有り、如何なる事やらんと、皆々不審立て申す所に、次の日、御両人御出て、柳生但馬殿・内藤外記殿も御出でなされ、御隠密に上様御成なされ候間、御家中衆も、一円誰やらんと存じ候様にと、有る事にて候、此事夕より聞召し、一段御機嫌能く、其夜は夜と共に御待ち明し、其朝早々表へ御出で遊され、御行水・御月髪遊され、御苦しげなる御有様、目も当てられず、されば今や〳〵と、夕より御待ち兼ね候へば、弥〻御草臥強く御座候、八つ時御成と、御内意故、昼時又御行水遊され候が、御這ひ遊され候様にて御入り、御行水遊され候、斯様の御病中に、勿体なき御事と、医師衆申し候へば、尤も其程は御用ひなきにはあらねども、是程の病気、見極めての事なりとて、御髪抔一入能く仕れと有りて、御衣装は御肌に御袷、上に御帷子、御上下召し候、程なく上様成らせられ候て、御座の間へ御通り、常の畳の上に御座なされ候、御寝所より御前まで、右の御手を土井大炊殿、左の御手をば、柳生但馬殿御引きなされ候、御後より酒井讚岐殿、御腰を抱き立て御出で候て、御座敷へ御直り遊され候と、上意には、御病体音に聞き候よりは、今見申して満足に候、一段能く候、能々只今が、養生の第一の時にて候間、如在有るまじく仰せらる、家中の者ども召せ、小十郎はなきかと、御諚なされ候により、小十郎を始め、石母田大膳・石田監物・佐々若狭など、御前へ罷出で候へば、陸奥守病体、只今養生の時、夢夢々油断無く、養生仕るべしと、御諚なされ、皆々御前罷立ち候、其後何やらん、良久しく御物語遊され候へども、低く物遠にて、誰も聞き得ず、扨又御諚には、色色養生肝要なり、定めて押付快気あるべし、すきと本復の砌、目出度く、頓て参り、一ぷく給はるべし、何にても、用あらば承るべしとて、立たせられ候、遥かの縁側にて御座なされ候、忠宗様へ御諚には、政宗の病気、聞きしより、見参らせ、胆を潰し候、あの分ならば、近日たるべし、今政宗へは力を添へ候ひしが、最早養生成るまじく、何とも〳〵其方心中察入り候、是非に及ばず、歎くにあらず、早や政宗は、なき人と思はれ候へ、夫に付いては、明日に果てられ候とも、我等あらん内【 NDLJP:168】は、其方の事、疎畧に存ぜず、其程は心安かるべし、余りは延ぶまじとて、御帰城遊され候、扨柳生但馬守殿・内藤外記殿、御座の間へ御出て候て、古今稀なる御仕合、目出度く存じ候、斯様の御仕合にては、押付御本復疑なしと、祝し申され候へば、御手を合せ、有難き次第なりとて、御心には、御声をも立てさせらるゝ程の御気色なれども、御涙さへ出でず、斯様の御様子拝し申す人々の、歎かぬはなし、さる程に、夕よりの御草臥とて、奥へ御入り遊され、表奥両御寝所の間は、杉縁の御廊下五十余間の所を、御竹杖突かせられ、御手を引かれ、日々に御行き遊され候内、幾度も御休み遊され、御苦しげなる御有様、目も当てられず、皆々申上ぐるは、斯様の御草臥増し候砌なれば、御乗物御車にて然るべき由、申上げ候へば、死ぬとても、人に弱げ見する事、口惜しき次第なり、足叶はざれば是非なしとて、御行き遊され候ひしかども、廿二日より表へ御使立ちて、最早表に御用無く、草臥も増し候間、表へは出づまじく、時々は医師衆は、奥へ召すべしとて、御出なければ、皆人人力を落して歎き合へり、されば始より御他界迄、御大病の御事なれども、終に弱気を見せ給はず、たま〳〵の仰には、昨日より今日、今朝より今は、草臥増す計りなりと、仰せられし、
一、廿二日朝より、御手前の御薬師衆奥へ召し、御脈抔御見せなされ、御腹の張、聢と張詰め申す時、御乳より少し下を、紙の捻にて廻し、御覧なされ候へば、三尺八寸五分廻り申し候、引き申すとても、三分四分ならではなし、御食事とては少しもなさせられず、御薬さへ蘆の髄にて上られ候へば、何はに付けても頼少し、今はの時を待つ計り、詮方なき御有様なり、
一、されば日に添へ時に増りて、五更の灯火、光を失ふ如くに、弱らせ給ふと聞召し、二世迄と誓ひし人々、面々に状を認め、上げ申し候へば、之を御覧じ、御目に当て、暫し御落涙の御様子見えさせ、扨筆叶はねばとて、御口上有るは、存入の段、神妙の至有難く、いつか本復の上、方々へ礼をいはんと、面々御使下され、彼状共御側に置かせられ候て、幾度も〳〵御覧候て、御落涙の御風情見奉り、扨御供と志す人々は、本より思ひ切り、未来とても離れ奉るべきにあらず、暫しの別を争か歎くべきとて、寄合ひ〳〵語り慰むるも有りて、上下総べて悲しき有様なり、【 NDLJP:169】一、廿二日、夜に入り、御気色以ての外悪しきとて、諸人魂を冷す、斯かる折節、日光にて死狂せし鹿栗毛の御馬二つ三つ
【夫人の対面を許さず】一、廿三日、一段と御気色能く成らせられ給ふとて、諸人少し色を直し申し候、さても奥様の御歎、申すに絶えたり、御病気の内、一度も会はせられず、最早御命も危く見えさせ給ふと聞召し、色々に御申し候へども、叶はず、御思の余りに、廿三日に、御使して申させ給ふには、御病気の善悪、人伝にのみ承りて、誠の色を見奉らねば、女の身にて、如何計り悲しく、堪へ忍ぶべき様も候はず、余り御心許なき折柄は、御目を忍び、物の隙より見奉るに、日に添へて変らせ給ふに付いて、いとゞ詮方もなう存じ候、境を隔て、住家遠くば力なし、御姿を見、御声を聞きながら、生を隔てたる如くなるこそ悲しけれ、何か苦しく候ふべき、御許されを蒙りて、見もし見え申して、我等が心晴し候はんとこそ、二世迄の御恩たるべけれと、申させ給ふにこそ、弥〻御心地迷ふ計りなり、暫し御顔に御袖を御翳し、やゝありて仰せられしは、病気少しもよく候はゞ、それへ参りて、御目に懸け候はんと存じ候へども、昨日に今日、以前に今は、草臥増し、此有様にては、如何にも叶ひ候まじ、やがて本復申し候てこそ、御目に懸り候はん、然れば斯かる見苦しき所、曽て御対面あるまじくと、御返事なさる、扨仰には、恩愛夫婦の中にこそ、未練も有れば、且つは人聞然るべからず、譬ひ此儘にて会はずとも、是非なしと有りければ、此由奥へ申上ぐるに、奥様にも、此上は力及ばず、実にや親しき中にこそ、名の立つ事もあらん、御尤の御返事かな、哀れ貴きも賤しきも、女程口惜しき事はなしと、打萎れさせ給ふにこそ、実に理と覚えて、御前御末の女房達、袂を絞らぬはなし、
一、其夜は宵より明くるまで、御寝所の屋根に、烏幾つともなく、数知れず飛来りて、ばつと立ちては、中にて組合ひ〳〵、御寝所へ落懸り〳〵仕り候を聞召して、烏は奇特の物かな、去り乍ら今宵と、烏飛来るべきは、今宵にてはなきぞ、汝等には劣るまじき物をと、幾度も仰せられし、不思議なる次第なり、
一、廿三日、御機嫌能く候て、年寄りたる上臈衆抔、召寄せられ、色々当座の御咄、遊されながら、奥に差置かれし御秘蔵の箱とて、御取寄せ御覧じて、苦しからざる物は差置かれ、其中にて抜出し、御引裂かせ、火中なされ、物事綺麗に拭はせ【 NDLJP:170】抔、仰付けられ候、其時侍従殿と申す年寄女房衆あり、此人御前よく候まゝ、申上げられ候は、何とやらん、申上げ兼ね候へども、人は高きも賤しきも、斯様の御病中には、思召す事、御心を残さず、仰せらるゝ物とこそ、承り候へ、今日は御機嫌もよく見えさせられ候、左様に御心深きも罪深く候、仰せ置かれ候事も候はゞ、仰せられ候へ、斯様に申せばとて、君の御病気危くて、申上ぐるには御座なく候、且は御祈念ともなる物とぞ申し候由、涙を押へ申上ぐれば、いしうもよく申したるかな、先づは聞き候へ、一昨日、上様へ御暇乞は能く申上ぐる、越前殿と云ふ子【後事は総べて忠宗次第】は持ちて、跡に何思ひ置く事あらん、何事も皆忠宗殿次第なり、去り乍ら、一つ其方に聞かせ置き度き事有り、我数多召仕ひ候女房共の儀は、我より後は、親類・
一、廿三日八つ時、京極山城守殿に御座す御姫様より、御文遣され候、是は大坂牢人村上と申す者の姉の腹に、御座候姫君なり、今年十歳に成らせられ候が、御煩御強く御座候由御聞き、詮方もなく、悲み思召し、遥々会ひ奉らず候へば、如何計り見参らせ度く、御病気御大切と申せば、君の如何にも成らせられ給はば、さこそ便なく候はん、されば親子は一世と承り候へば、此世の中に会ひ奉り度く候、若しさも候はゞ、夫へ参り候はんと、遊され候を御覧じ、未だ幼なけれども、文章のよき事よ、心の程思ひやられて、一入不便なり、月日に随ひ、おとなしやかに成るを聞きても、如何程嬉しく思ひ、取分け末の子なれば、なつかしさ限りなし、されども是程になりて、会ふ事はあらじ、いで返事せん、御硯と召さる、如何にも御苦しげなる御有様にて、御側まり抱き立てられ、御筆を取らせらる、御料紙は常の如く押畳み、上げよと仰せらる、御請取り、御文忝しと遊ざれ、又御筆を御染め遊されしが、御筆を捨てさせられて、如何思へども書かれぬ、草臥れ【末女への返事】果て、一字さへ漸くに覚ゆる、無念なり、如何見苦しき筆の跡に侍らんずれども、今の折柄は一入なり、父が返事是なりとて、其儘、くる〳〵と巻かれながら、後の形見とも思ふべし、幼子の如何計り悲しく、会ひ度く思ふらん、幾度云ふとも、会はぬは子細有り、妻子も恨むべからずと仰せられて、又心をよそに移させられ、【 NDLJP:171】色々の御物語遊されければ、何れも哀れを催さぬはなかりし、
一、同日も御命の内、暮れ果てゝ、夜も更方に、御行水と仰せられて、何時よりも、緩々と遊され、御仕舞ひ、御静かに御寝所へ入らせられて、御側近き女房衆をば、皆々局へ御返し、蔭々にも、若き衆一人も、今宵は無用なりとて、年頃の御女房衆、名差にて差置かれ、仰せられ候は、一段と心も長閑に覚えたり、皆々永々しき病中に、嘸や苦労なしつらん、我病気も、天明けば、すきと本復すべし、夜の内計りぞ、間近く附添ひて、看病せよ、明日よりは、皆々苦労止むべしとて、如何にもゆるやかに、御寝遊され、御目を覚させられ、夜は何時ぞ、常々の百夜を明すより、今宵は永く覚ゆるぞ、されば若き時、具足を肩に懸け、野に臥し、山を家とし、敵陣間近く攻寄せては、敵をたばかりて、夜討にせんと、心を尽し、まどろむ間もなき折節は、五月の短夜も、明くるを待ち兼ね、昼は終日心遣ひして、片時の命もあれば危き様にて明し暮し、戦場に骸を晒さんとのみ思ひしに、其期来らねば、今迄延びぬ、徒に月日を送り、病に冒され、床の上にて、死なん命の口惜し、今頃世間無事なりとも、禍は時を知らず、今に一騒も発り、天下 をも起りなば、誰か之を鎮むべき、君をも子をも取替へて、能き軍の作法をも見させ申し、其後死すならば、如何計り嬉しかるべし、思へば力叶はぬ命なりと、御腰の物に御手を懸けさせられ、御落涙の色見えて、又とろ〳〵と御寝なさる、暫くして御目を覚させられ、何時と御尋あるに、明方近しと申上げ候に、夏の夜の短きを、漸々待ち明しぬると、仰せらる、さらば押立て申せと仰せられ、一一人に御手を引かれ、如何にも御機嫌よく、御小便所へ御出で、遊さる、其間十余間有りし、扨御帰りに御脇に立ちたる者に仰せらるゝは、睡きか、此程は骨折なりとて、少し御歩み遊され候ひしが、御膝より下は
一、御死骸江戸を立たせられ候迄は、十人計りにして御乗物を舁ぎ奉りしが、日に随ひて重くなり、後は三十余人にて、漸く舁ぎ奉りしなり、夫に何より不思議なりしは、御死骸の御先に、御鷹拳を強くしがみ付き、羽を少し出すよと見えて、其儘、拳より転び落ちて死にけり、是はと云ひて、先なる御鷹匠衆、跡を見るに、跡なる御鷹も、少しも違はず、先なる鷹の如くにして転び落ち、二居共に死にけり、不思議なりし事共なり、
【遺骸の埋葬】一、さる程に、御死骸覚範寺にて御忌中、三十余日なり、是は松島所狭く候故なり、其内高野、其外国々の出家衆も、ふきんの為め参られけり、扨御死骸著かせられ、三日過ぎて、束帯の装束、御冠召され、革緒の太刀御帯かせ申し、本の御乗物に入れ奉り、御側に御具足・甲・御太刀・御腰物・御脇差入れ、人静りて後、御城より南、愛宕の脇に、堅固の地を見立て、御乗物を石の
【葬礼の執行】御供申上ぐる衆下りしが、御妻子・親類歎き悲む事哀れなり、御葬礼三日前に、宿にて腹切る人も有り、寺にて腹切るも有り、皆々死骸は烟となしぬ、御葬礼の御時は、諸侍上下色を著し、其数を知らず、前後に御供せんの綱に取付きぬ、覚範寺を御棺出し申す時は、八十余人にてかたげ申せしが、門前より俄に重く成りて、百余人にて漸く替る〴〵舁ぎ申しぬ、一町余御棺舁ぎ出して、其後に御供衆、又供の者共の棺引続く、唐は知らず、我朝に於ては、未だ聞かずと、他家の人も胆を潰しけり、御位牌は石田民部大夫殿、御代官として持ち給ふ、其外の行列、筆にも及び難し、御棺かせん堂に入る、棺の仏事は東昌寺、夫より御棺火屋に入れ申【 NDLJP:175】す、保春院松明取りて、下火の砌、機に風烈しく吹出て、空の気色替り、未の方より��の如く渦巻いて、黒雲一村立出で、風に随ひて、見る内に、以ての外掻曇り、雨はら〳〵と降りければ、皆人の気色も替り、すはや如何なる事やらんと、胆を消し魂を失ひ、汗を握るに、黒雲一村御棺の上に舞下り舞上り、辻風渦巻き、我人の顔慎に〔慥カ〕ならず、御領内の諸宗、御棺に近付き、秘術の勤様々にて、爰を大事とぞ見えし、暫く有りて、此雲風と共に西へ靡きぬ、天も緑になり、人々色を直し、是は偏に天の憐み給ふと有難き余りに、手を合せ拝み合へり、斯くて御導師過ぎしかば、御棺に火を懸け、無常の風に任せて、一片の煙と天上す、諸人是にも名残を惜みて、今一入の涙なり、誠にや遠からぬ卯月末つ方、仮初の御風気例ならで、御登り遊され候へば、左大臣公深く御労はり、国々の名医数を尽し、此人失せなば、鳥の片羽の如く、一輪車にあらめと、大切の事に思召し、諸太将も執し給ひ、天下の騒と成り、如何にもして此度と、万民までも惜み申せども、生者必滅の諚をば、神仏も救ひ給ふ事叶はず、御齢七旬と申す、寛永十三年五月廿四日の暁、終に黄泉の旅に赴かせ給ふに、忠臣の面々、義を重んじ恩を感じして、御霊魂の御跡を【殉死者廿四人】慕ふ武士共廿四人、腹搔切つて失せしこそ、比類なき例なり、是も何故、若君の恩情、類なかりし故、受け難き身を請け、百年の命をあやまりしこそ悲しけれ、
【政宗の法名及辞世】従三位行権中納言兼陸奥守藤原朝臣政宗新捐館瑞厳寺殿前黄門貞山利公大居士神儀
御辞世
照㆓一眼㆒迎㆓閻王㆒ 我是陸奥守 | |
曇なき心の月を先立てゝうき世の闇を晴れてこそ行け | 石田将監 |
【殉死者の辞世】くもりなき月のあととふ山の端の道も涼しき松風の音 | 茂庭采女 |
つひに行く旅に道立つ武士の照さずもあれ弥陀の光は | 佐藤内膳 |
地水火風己々に返し果て有無の中道ひよつと抜けけり | 青木忠五郎 |
よしさらば曇らば曇れ曇るとも心の月や道しるべせん | 南次郎吉 |
おそくとも心は早く法の駒鞭打つたちは弥陀の光りぞ | 菅野正左衛門 |
出づより行衛も知らぬ旅の道てらし給へや弥陀の来光 | 加藤十三郎 |
曇なき月の入るさをしたひつゝ影諸共に西へこそ行け | 矢目伊兵衛 |
【 NDLJP:176】 晴れて行く月影慕ふ道なれば迷はぬ末ぞ思ひ知らるゝ | 入間田三右衛門 |
古郷へかへると見れば霧晴れて君諸共に行くもとの道 | 桑折豊後 |
情にはつゆの命も惜しからじ君もろともに雲の上まで | 小野仁左衛門 |
影高き松に嵐の吹きあれて散りそふつゆは小野の下草 | 小平次郎左衛門 |
数ふれば六十余の夢覚めてまよはでぞ行く本の住家に | 渡辺権之丞 |
皆人は暮るゝ月日と思ふらん光あまねき末知らずして | 大槻喜右衛門 |
将監家中 | 青柳伝右衛門 |
同 | 加藤三右衛門 |
采女家中 | 庄子茂伝治 |
同 | 横山覚兵衛 |
同 | 杉山理兵衛 |
扨又御死骸に付添ひ下る時、那須の原にて | |
身をつゆになすのゝ原の草枕夢をむすばぬ夏の夜の月 白川にて松川と云ふも近し |
茂庭采女 |
白川の旅もいまはた限りとて関の戸ざしを明けて松川 国見峠にて |
同人 |
国見ぞと聞けど心もとゞまらず歎もあらじ明日の別は 浅香山にて |
佐藤内膳 |
おもかげも今日ばかりぞと陸奥の浅香の山の波を涙に 白川にて |
茂庭采女 |
つひに行く浮世の中の旅の道とめぬものかは白川の関 国見峠にて |
青木忠五郎 |
思ひきや五十日の内に国見坂下るべしとは夢の世の中 同所にて |
同人 |
朽ちんとはかねて思ひし若草の露の命も近付きにけり 白川にて |
南次郎吉 |
限りぞと我白川の関の戸を浮世と共に明けてこそ行け 浅香山にて |
加藤十三郎 |
【 NDLJP:177】 今日計り浅香の山を陸奥の面影うつる山の井の水 | 菅野正左衛門 |
此外所々にての口ずさみ、数々記すに及ばず、皆々朝露と消え、身を灰になすと雖も、名は残りて朽ちもせず、類なき忠義なれば、命を露塵とも思はず、君が一日の恩を感じて、唯一筋に思ひ切り、此世の妄想を切払つて死し、行先は曇なく仏の国へ生るらん、
一、卯月十日余りの頃、御暇乞ありて、奥方にて、御西館様、朝より御振舞、終日の御酒宴にて、七つ時御寝所へ御入有りて、御転寝遊され候へば、年の頃十三計りの、さもいつくしやかなる童子、御前の御枕元に畏り、時能く御座候、急ぎ御出て候へと申上ぐる、貞山様にては、御西館様召仕はれ候忰なるか、御座敷へ御出で候へと申すぞと思召し、心得たるぞ、只今御出あるべし、先づ御先へ参れと、仰せられ候へども、御枕元に畏る道や忘れけんと思召し、御手を打たせられ候へば、おとなしき女房衆二三人参り候、其れなる忰、其方へ道しるべして、連れて参れと、仰せられけれども、女房達見付け申さず候、夫々と仰せられ候へども、如何なる事とも知らず、不思議の思をなすに、此忰御枕の脇より、明り障子の方に行くと、見えしが失せぬ、其時、見付け兼ねたるこそ理よ、今の者は、聞ゆるいたづら者なり、夫と知らで、逃しぬる、無念や、重ねて来らば捕へて、二度は返すまじき物をとて、さらぬ体にて、御寝遊され候、後に御咄遊され候となり、
一、輪王寺の咄に、四月二十日、江戸へ御立遊され候、宵更けて、子の刻計りに、俄に家騒ぎ打驚く、何とやらん、四方物凄くなりし故、床の内より起きて有りし所に、門あら〳〵と打ちぬ、出合ひて尋ねければ、御歩衆提灯高く差上げ、只今是へ御成と申す、間もなく客殿の前に、御馬を立てさせられ、此寺に大事の巻物有りと聞く、望の為め参りたり、密に伝へ給へと、御意有りしを、是は御意に御座候へども、此寺の巻物、卒爾になるまじと申上げ候へば、一段夫こそ殊勝なれ、志有難し、さらば罷帰るとて、夫れよりも覚範寺へ御馬入れ、御供衆・馬上衆・歩侍、際限なし、其人も皆長旅の出立なり、不思議に思ひ、小僧共を起し、覚範寺にての様子、聞きて来れと遣せば、早や覚範寺をも御出て、西へ御通り候と申す、其時輪王寺小僧、其外出家衆同道して、門前迄出で見れば、御供衆夥しく、二行に歩み列ねたり、是は宵に御花壇へ、時鳥聞召に御出で遊され候由聞きしが、そこにて聞かせられず【 NDLJP:178】して、北山辺へ聞くに出でさせられ候やと、思ひ見しに、田の中・畑の中に、総御供衆ひし〳〵と並居候て、灯したる提灯共、御前の提灯と覚しき所へ持寄りぬ、何事やらんと思ひしに、提灯共段々に重ねたる如くになりて、一度にはつと燃え立ち、跡もなくなりぬ、御供衆多かりしと見えしも失せぬ、是は不思議なりと、胆を潰し、口を堅め、沙汰致さず候、御他界の後こそ、斯くとは申されし、提灯の所、則ち此度御葬礼場となりしと云はれしぞ、
一、二十日朝、江戸へ御立ち遊され候、今は岩沼辺まで御出遊さるべしと思ひしに、折節奥の御寝所にて、高々と御一人事、暫しが程、正しく御声したり、女房達は如何と不思議に思ひ、忍び寄りて見しかども、何の行衛もなかりしと、後に聞きし、
一、同暁、御座の間、御床の上に、御長命草常に召上られ候程、五ふく捻りて、五所に有りし御長命草入は、暮に服紗にて能く包み、御床の上に置きしが、少しも乱さず、いつもの如く有り、不審に思ひ、あたりを見るに、其近所いくらも小き足跡有り、是も互に其折は隠しぬとぞ、
一、江戸にて御病中の御祈念夥しき内に、不思議なる事は、御屋敷にて、愛宕円福寺、大般若を行はせらる、僧衆、経を一同に読誦し、声さながら歎き立てしと、皆人胆を消し、あわて騒ぐ程に御座候、誠に斯かる折柄には、何はの事も思合せられ、彼是心に懸かる事多かりし、
一、又わうよくと申す唐人、祭り事仕り候に、長刀にて白き犬を切る事有りしに、少しも切れずして、長刀忽ち太刀打より折れたり、余りの長刀にて、切つて祭り事せり、皆人気味悪しき事に思ひし、
一、御位牌は、松島瑞巌寺に建て、雲居和尚下りて住持す、高野山にも御石塔、御供衆迄建てぬ、誠に開闢より此方、二十余人の御供、聞かざる事と申合へり、
一、五月廿四日、夜に入り、忠宗公へ御跡式進ぜられ候により、次の日頓て御屋敷へ御移り遊され候、方々目出度き由、祝し合へり、誠に歎の中の祝とや、是れならん、
【勅諚に依りて京都市中謹慎を表す】一、同日卯の刻の御他界に、江戸より京へ早馬にて、同廿八日未の刻上著し、奏聞有りければ、其時の諸司代板倉殿へ勅諚有り、今日より三日、都の内、魚類の店【 NDLJP:179】停止、見物の事、高声売買の儀も、三日の内は、密々に仕るべき由、仰付けられ候、政宗の他界、日本の武士道もなきが如しと、公家・諸門跡達も、三日は表の門を閉ぢて、裏の門より出入ありし由、有難く思ひ、胆に銘じしとなり、
一、上様へ御形見には、しのき藤四郎吉光の御小脇差・政宗の御腰物・山の井の御茶入・きとう三幅一対、差上げられ候事、
一、奥様にも御髪下させ給ひ、瑞鳳寺より陽徳院様と御法名を進じ奉り、御隠居所にて、朝夕の御仏供を供へ、御焼香なされ、類なき御志かなと、みな人威じ奉りき、
一、さる程に、彼是の騒しき怪しには、皆人左程になかりしが、御仏事、事故なく過行くまゝに、何となく世間閑やかに、大火を打消したる如く、隙明けたる様に、又あらぬ家騒して、如何成行く身の果ぞと、日に随ひ夜に増して、御悲しさは、君の御面影、古の友達一人・二人、寄合ひて語り暮し、歎さ明しぬ、普天の下、王土にあらずと云ふ事なし、御領中の者、何れか忠宗公の者ならざるや、然れども御小座より御奉公の衆とて、肱を立て、目を大きにするを見ては、いつとなく物悲しく、哀れ此心までは、斯くはなかりし物と思ひ出し、君の御恵普くして、悦身に過ぎ、楽心に余り、我人御奉公忠をなし行けば、御思賞にも預り、似合はぬ身の栄華をもせんと、心を勇めし、或時は、野山狩に家を忘れ、又は花の盛咲散り、秋は木々の葉落つる、夕は歌を連ね詩を吟じて、年の楽も、時移り世替りし習、楽尽きて悲来り、諸人新参となり、いつしか引替へて、時の出頭人の草の露・水の泡、消え残るを見ながらも、秋の野の女郎花の、一時をくねる心ぞ甲斐なきぞ、昨日は栄え、今日は衰へ、世を過す有様なれば、親しきも疎く成り行く身は、呉竹のうきふしを人に語り、蘆の葉を引きて、世の中を惜み、人の交りもたまさかなれば、身すはりて見苦しき人々、後は賤めり、是に付け彼に付けても、御跡悲み奉る事は限りなし、夢にも君を見奉りては、楚国の湯日山にて、邯鄲の枕の栄華覚えて、明し暮し、扨又古へ住み馴れ給ふ若林の有様、見るに御物数寄世に越えて、作り琢かせ給ふ御屋形も、一年の内に荒れ果てゝ、庭には草茫々と、露しげく成行くも、誰打払ふ者もなく、日頃水を楽みし思召ありて、水の便面白き所々に懸入れ給ふも流絶え、池には真菰生ひ茂り、払ふ人も之なく、島の廻りも崩れ果て、うるくづも住みうく、水【 NDLJP:180】鳥も羽を休め得ず、折に触れ時に叶ひ、四季の御殿も彼方此方崩れ果て、虎狼・野干の住家と成るこそうたてけれ、其外、夫々の奉行・頭人・侍の屋敷々々も、形計りに荒れ果て、草深き野辺とぞなりぬ、一人世を去り給ひ、万人の歎となり、目も当てられぬ次第なり、年月遠く立行くも、露忘れぬ御面影なり、忠宗公御恩も浅からず、大慈大悲の君にて御座せば、押並べて忝き御志、昔に替らぬ事なれども、身の衰は月に増し、万づ心に任せねば、今更驚く計りなり、我は斯様の愚痴無知事のはかなき心に、神や仏を怨み妬みて、つれなき命を召されよと、有増事を申すにぞ、思の程は知られたり、誠に取集めたる筆の跡、賤しき我身に似合せ書きて、前後も更にふつゝかに、口に任せて書付くれば、物狂はしき心やと、見る人は覚すらん、是れ全く人の為めならず、君の御別悲みて、せん方なく候まゝにこそ、昔語も程を経ば、忘れやせんと、秋の夜の長き寝覚の独言、春の夕の暮方に、つれづれ慰む便にもと、正しく見聞きし事なれば、所々を書き置きて、言葉の足らぬ所をば、我心にて差加へ、気をも延べん為め計りにて、一々に書き集めぬ、筆も及ばぬ事なれば、心に有りても、口に出す言葉続き、片言にして、わからぬ事どもなれば、終に書き止みぬ、誠に君の御言葉の種、我身筋なき故、却て書きよごし侍りぬ、あなかしこ、
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