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リンドン・ジョンソンの大統領就任演説

提供:Wikisource


我が同胞たる国民諸君よ。今回、私が諸君や神の面前で行った宣誓は私だけのものではなく、我々全員のものである。我々は1つの国であり、1人の国民である。1つの国家としての我々の宿命や、1人の国民としての我々の将来は、1人の市民ではなく、全市民に懸かっている。

これこそ、この瞬間というものの荘厳さであり、意義なのである。

如何なる世代にも、運命というものがある。世代によっては、歴史がそれを決してきた。当代においては、選択は我々が自ら行わねばならない。

今ですら、ロケット火星に向かって飛んでいる。このことからも判るであろう。我々の子らにとって、否、ほんの数年も経てば我々自身にとってさえ、世界は違ったものになるであろうということが。次にここに立つ者は、我々とは異なる光景を目の当たりにすることとなろう。何故ならば、我々の時代は変化の――自然の神秘を解き明かし、国家を増加させ、支配と破壊をもたらす新兵器を気紛れな手に取らせ、古い価値観を揺さぶり、古いやり方を根絶するような、急速で途方もない変化の――時代だからである。

変化の只中にある我々の運命は、変わらぬ国民性や、信念に懸かっているのである。

我々の祖先は――亡命者や来訪者として、勇敢ながらも恐怖を抱きつつ――自分らしく生きられる場所を探してここに来た。彼らはこの地に誓いを立てた。その誓いは正義を示し、自由が書かれ、共に団結し、あらゆる人々の希望を喚起するものであり、今も我々を拘束している。その文言を遵守するならば、我々は繁栄するであろう。

第1に、正義とは、旅をしてきたあらゆる者[1]が大地の実りを分け合うという約束のことである。

大いなる富の国で、家庭が絶望的な貧困の中で暮らすようなことがあってはならない。収穫の豊かな国で、子らが飢えるようなことがあってはならない。癒しの奇跡の国で、隣人が手当てもされぬまま苦しみ、死ぬようなことがあってはならない。学問と学者の国では、若者は読み書きを教わらねばならない。

この国に仕えてきた30余年間、私はずっと信じてきた。このような、人民に対する不正や資源の浪費こそが、我々の真の敵なのだと。私は30余年に亙り、全力で、絶えずそれと戦ってきた。それが容易には屈しないであろうことは、これまでに学んできたし、承知している。

だが、変化は我々に新たな武器を与えてくれた。米国民のこの世代が終わる前に、この敵を駆逐するのみならず、征服せねばならない。

正義は我々に、次のことを忘れぬよう求めている。如何なる市民であれども「彼の肌の色は私とは違う」「彼の信仰は、奇妙で変わっている」などと言って同胞を否定しようものなら、その瞬間に祖先が築き上げてきた米国を裏切っているのだということを。

自由は、我々の誓約における第2項目であった。それは自治であり、我々の権利章典であった。だが、それだけではなかった。米国は、各人が己に誇りを持てるような地でなければならない。己の才能を伸ばし、己の仕事に喜びを与え、隣人の生活や国家にとって重要な存在とならねばならない。

変化と成長が人間による制御を超え、判断力すら超えて伸びゆくと思しき世界にあっては、こうしたことはより困難になってきている。我々は、あらゆる市民の可能性を拡大できるような知識と環境を提供すべく、取り組まねばならない。

米国の誓約は、人間解放の方法を示すよう我々に求めた。それが今日の我々の目標である。だから、たとえ国家としては管理の埒外の部分が多くあろうとも、国民としては希望の埒外に追いやられる者はいない。

変化は、この古き使命に新たな意義をもたらした。我々は、2度と孤高を誇って傍観する訳にはゆかない。かつて「外国の」と呼んでいた恐るべき危険や問題が、今や絶えず国内に存在する。たとえ我々のほとんど知らない国々で米国民の命が失われ、米国の財が投じられねばならないとしても、それは変化が信念に対して、あるいは我々の永続的誓約に対して要求する代償なのである。

火星に向かうロケットから見える我々の世界を考えてみよ。それは子供の地球儀の如く宇宙空間に吊り下がり、大陸は着色された地図の如く表面に張り付いている。我々は皆、地球という点の上に立つ旅人同士である。そして、それぞれが実際に仲間と共にいる時間は、ほんの一瞬に過ぎないのである。

斯様に儚い存在でありながら、我々は互いに憎しみ合い、滅ぼし合っている。何と信じ難いことであろうか。他者を支配するのをやめる者は皆、自然を支配する可能性を充分に有する。己の方法で己の幸福を追求する全ての者にとっては、世界は充分に広がっているのである。

我が国の進路は極めて明確である。我々は他者のものを欲しない。我々が求めるのは同胞に対する支配ではなく、暴虐や苦難に対する人類の支配である。

だが、それ以上のことが求められている。人々は共同の事業――己よりも偉大な大義――の一翼を担うことを欲している。我々各自が国家の目的を進める方法、そして己の新たな目的を見付けねばならない。さもなくば、我々は見知らぬ者たちの国家となってしまうであろう。

第3の項目は、団結である。荒ぶる自然に比べて小規模かつ少数であった人々にとって、自由を獲得するには団結の力が必要であった。2世紀に及ぶ変化を経てもなお、このことは真理であり続けた。

もはや資本家労働者も、農家も事務員も、都市も地方も、我が国の富を分断しようとするようなものは、もはや必要ない。肩を並べて働くことで、我々は共に全ての者への富を増すことができる。我々は知っている。あらゆる学童、あらゆる勤労者、健康を取り戻したあらゆる病人が――あたかも祭壇に追加された1本の蠟燭の如く――あらゆる敬虔な者の希望を照らすということを。

だから、古い傷を再び開き古い憎悪を再び燃やそうと図る者が我々の中にいたら、如何なる者であっても退けよう。彼らは、理想を追い求める国家の行く手を阻んでいるのである[2]

今こそ理性と信念を、行動と経験を結合させ、もって関心を同じくする集団を、目的を同じくする集団へと変えていこう。この時間、この日、この時に、対立なしに進歩を成し遂げ、憎悪なしに変化を成し遂げるのである。ここでいう憎悪とは見解の相違のことではなく、幾世代にも亙って団結を損なうような、深く永続的な分裂のことである。

正義、自由、団結を奉ずるこの誓約のもとで、我が国は繁栄した、偉大な、強力な国家となった。そして我々は自由を守ってきた。だが、我々の偉大さが永続するとの神からの約束がある訳ではない。我々は、己が手の汗と精神の力をもって偉大さを追求することを、神から許されてきたのである。

統制され、代わり映えがせず、面白みもないの大群。斯様なものが偉大な社会だなどとは、私は信じない。偉大な社会とは、変化するという――絶えず変化し、努力し、模索し、倒れ、休み、再び努力するという――興奮である。絶えず努力し、絶えず成果を得るのである。

いずれの世代も、伝統を築き上げるには苦難に耐えねばならなかった。

もしも今失敗すれば、我々は苦難の時代に学んだ多くのことを忘れてしまったことになる。民主主義は信頼に基づいているということを。自由はそれが与える以上のものを要求するということを。そして、神の審判は最も恵まれた者に対して最も厳しいということを。

もしも成功するならば、それは我々が持つものの故ではなく、我々のあり方の故であろう。我々が所有するものの故ではなく、むしろ我々が信ずるものの故であろう。

何故ならば、我が国は信ずる者の国だからである。建設工事の騒音や日常業務の洪水の中にあっても、我々は正義と自由と団結を信じており、己の国を信じている。我々は、全ての者がいつの日か自由になるべきだと信じている。そして我々は、己を信じているのである。

我々の敵は、常に同じ過ちを犯してきた。我が人生において――恐慌の際にも戦争の際にも――彼らは我々の失敗を待ち構えてきた。いずれの時も、彼らには見ることもできず、想像すらできないような信念が、米国民の心の奥底から生じてきた。それは我々に勝利をもたらしてきた。今後も同様であろう。

これこそ、米国の何たるかである。未踏の砂漠であり、未登頂の山なのである。手の届かぬ星であり、未耕地に眠る作物なのである。我々の世界は去ったのであろうか? もしもそうなら、「さらば」と言おう。新たな世界が来るのであろうか? もしもそうなら、歓迎しよう。そして、世界を人類の希望に向かって引き寄せよう。

信頼に足る公職者諸君や、紆余曲折を共にしてくれた家族や親しき友、そしてこの国や世界の全人民に対し、本日私は1963年11月の悲しき日[3]に言ったことを繰り返したい。「指導者として最善を尽くす」と。

だが諸君は、己の心の内にある古き約束と古き夢に目を向けねばならない。それらは、何よりも諸君を導いてくれるであろう。

私はといえば、太古の指導者[4]の言葉を借りて、こう願うばかりである。「我に叡智と知識を与え、もって民を導かしめよ。さもなくば、かくも偉大なる汝の民を裁くことなど誰ができよう」[5]と。

訳註

[編集]
  1. 旅の果てに米国へ辿り着いた者、即ち米国民を指す。
  2. 原文は「They stand in the way of a seeking nation」。逐語訳をするならば、「彼らは、探求する国家の途上に立ちはだかっている」。
  3. 1963年11月22日を指す。この日、ケネディ大統領暗殺事件が発生した。
  4. ソロモンを指す。
  5. 旧約聖書』の「歴代誌 下第1章10節を引用。原文中に「汝の (thy)」とあるが、ここでいう汝とはヤハウェを指す。


  • 底本
    • 『アメリカ大統領の英語――就任演説 第3巻 ケネディ/ジョンソン』 アルク、1993年。ISBN 4872342658
  • 訳者

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