導師
顕誉上人拝顔之砌度〻懇望仕直の御咄を深く耳の底にとゞむといへとも本より愚癡忘昧の身なればかく有難き現證不思議の事ともを日を經んまゝあとなく癈忘せんほいなさに詞のつたなきをかへりみず書記し置者也猶此外にも累と村中との問答には聞落したる事あるべきか。
- 顕誉上人助か灵魂を吊給ふ事
比は寛文十二年。飯沼寿龜山弘經寺にて。四月中旬
の結解より。大衆一同の法問。十七日に始り。三則目に當
て。十九日の算題は。發迹入源の説破なれば。各〻真宗
の利剱を提け。施化利生の陣頭におゐて。法戦場に
火花をちらし。右往左往に勝負をあらそひ。単刀直入の
はたらき。互に隙なき折から。祐天和尚も今朝より数度
かけ合に。勢力もつかれたまひ。しばらく息をやすめて。向
ひをきつと詠めたまへば。羽生村の庄右衛門。只今一大事
の出來し。咽にせまる風情にて。祐天和尚の御顔をあから
めもせず。守り居たり。和尚此よし御覧して。いかさま此者