Page:TōjōKōichi-Father-Voice-1941.djvu/2

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に二道󠄁みち往復わうふくはじめ、寒󠄁寒󠄁さむほし耀󠄁かゞやしやとうしもこほりついたつち兩手りやうてをつかへ、斑紋󠄁はんもん快癒くわいゆいてきぐわんしたのであつた。が高等かうとう小學校󠄁せうがくかう卒業そつげふしたときわたしらい宣吿せんこくされたのである。

 そのころ父󠄁ちゝは五十何歲なんさいかの職工しよくこうであつた。わたし高等かうとう小學せうがく修了しうれうさせるのは並大抵なみたいていことではなかつたに違󠄁ちがいない。縣立病院けんりつびやうゐん診斷しんだんませてかへると、父󠄁ちゝこゑふるはせて慟哭どうこくした。わたしはゝいた。父󠄁ちゝわたしつて自分じぶんはらるとつてきかなかつた。はゝあね居合ゐあはせてくれなかつたら、どういふはめになつてゐたであらうか。

   ふたりめのらいとわれのりしときこゑにいだしてきしひとはも

   父󠄁ちゝてしかたなつめたく返󠄁かへともしび小暗をぐらたゝみうへ


 次男じなんあに發病はつびやうしたのは、わたしがまだ幼少ようせうころであつたらしい。わたしが七八さいの頃には、あに病勢びやうせい大分󠄁だいぶ進󠄁行しんかうして、頭髮とうはつ眉毛まゆげほとん脫落だつらくし、そのうへ潰瘍くわいやうしきつたかほは、どすぐろひかつてゐた。手足てあしにも繃帶ほうたいいてゐた。終󠄁日しうじつかくれてんでゐたやうである。それも長屋ながや住居ずまゐ二間ふたましかないいへのことである。あにはいつも三疊間でふまほうた。いたに、うすべりいたきりの細長ほそながへやで、父󠄁ちゝあにためまうけたちひさなつてあつた。おくに一けん戶棚とだながあり、きやくのある場合ばあひには、眞夏まなつでもあに溲甁しゆびんかはりの德利とくり抱󠄁かゝ込󠄁んで、この戶棚とだななかにひそんでゐた。長居ながゐきやくや、めしどきになつてもかへらないきやくがあると、あにはよく戶棚とだななかせきばらひをしたり、目板はめいたをどんあしつたりした。はゝはおろして、わざとせきふたつ三つしては、もうすこ辛棒しんぼうママしてくれと合圖あひづをするのであつた。ときには、どうもねずみさわいでこまるんですよと、などゝ立上たちあがり、戶棚とだなあに小聲こごえなだめすかすのであつた。

 はゝが一ばんをつかふのはあにべんことであつた。所󠄁べんじよ隣家りんか共同きようどうなので、はゝがまづさきつて、ひとないのをたしか所󠄁べんじよ入口いりぐちはゝ見張みはりにつ。それでもはゝ留守るすあひだ所󠄁べんじよつて、うつかり隣家りんか子供こどもに見つかつたこともあつたのであらう、或時あるとき隣家りんか子供こどもわたしに、おめえンちにはへんひとるんだなア、あれやだれだい? とくのであつた。そのときわたし眞赤まつかになつて否定ひていしたことだけはおぼえてゐる。當時たうじわたしあにがどんなわけかくれてゐるのか判󠄁わからなかつた。勿論もちろんらいなど判󠄁わからうはずもない。あには十に一くらひ行水ぎやうずゐをした。裏庭うらにはいたむしろかこつた小屋こややうなかで、はゝあね人眼ひとめはゞかりながら、あにたらひれてあらつてやるのを折々おりかけた。あに身體からだ異樣いやうしうきがし、からだにはいつもしらみがわいてゐた。うつかりあねほか兄達󠄁あにたちが、うちなかくさくてやりきれないなどゝ愚痴ぐちをこぼさうものなら、あにはすさまじい權幕けんまく怒鳴どならした。そんなときはゝいてあににあやまるのであつた。またあにはよくわたし內密ないみつ買物かひものたのんだ。わたしはこのあにあはれおもつてゐたらしく、あにことなんでもよくいてやつた。わたし菓子くわしつてると、あにうちいくつかを、にやわらひながらわたしれた。わたし平󠄁氣へいきでそれらの菓子くわしひ、またあに相手あひてにもなつて遊󠄁あそんだ。そのころいへでは泥棒どろぼうつてやうなもんだ、其處そこいらにうつかりものけやしないと、あねちいさい兄達󠄁あにたちさわいだ。わたしは、やうあにとの交󠄁涉かうせふのうちに、あに病氣びやうき感染かんせんしてゐたのであらう。

 そのころ父󠄁ちゝはよくさけんだ。仕事しごとかへりにきまつて居酒屋ゐざかやんでる。あにあね仕事しごとからかへつてても、みんながゆふはんませても、父󠄁ちゝぜんだけがいつもそばゑられてあつた。七になり、八になつても父󠄁ちゝ姿すがたえないと、はゝはぶつなが門口かどぐちまで何度なんどつたりたりする。兄達󠄁あにたちはさつさと遊󠄁あそびに出掛でかけてしまひ、のこるのははゝあねわたし、それにちひさいいもうとかくれてゐるあにの五にんだけである。こんなばんわたしはゝ父󠄁ちゝむかへに出掛でかけると、父󠄁ちゝりつけの居酒屋ゐざかやにゐるか、路傍みちばたんだくれてたふれてゐるか、だれかに連󠄁れられて途󠄁中とちうであつたりして、ちひさいわたしはゝ兩脇りやうわきから五たい自由じいううしなつてゐる父󠄁ちゝ背負せおふやうにしてかへつてるのである。父󠄁ちゝいへかへると、ぐまたさけ所󠄁望󠄂しよもうするので、はゝがたしなめると、父󠄁ちゝはげしい語氣ごきおこりだすのである。はてはつかひとなり、わかころから苦勞くらうばかりのはゝは、逆上ぎやくじやうしてヒイヒイとさわぎに、ちひさいわたしいもうとが、きながら必死ひつしになつて、父󠄁ちゝあしはゝそでとりすがつて、みぎにもまれ、ひだりころがされながら、なんとかして二人ふたりあらそひをやめさせやうとする。これはほとん每夜まいよのやうにつゞいた。隣同志となりどうし人達󠄁ひとたちも、はじめのうちこそ、んで仲裁ちうさいもしたが・・・・。こんなさわぎのあとで、父󠄁ちゝきまつて三疊間でふのまあに毒舌どくぜついた。

「おまへみたいなごふさらしがるから、家中うちぢうしてこんな苦勞くらうをせにやならん、さつさとはやんでしまはんかい」


 あにだまつてあたまれてゐるだけであつた。


 あるとしあき淸潔法せいけつはふ施行しかうんでもないころことであつた。大掃除おほさうぢには、あにいへひそんではゐられないので、むすびつてまだけぬうちに、四五おく深山みやまかくれる。そして掃除さうぢみ、とつぷりれてからかへつてくるのである。或日あるひ學校󠄁がくかうからかへつてると、父󠄁ちゝちひさな裏庭うらにはにせつせと穴󠄁あなつてゐる。穴󠄁あなはかなりおほきくふかいもので、スコツプでつちげてゐる父󠄁ちゝあたまが、地面ぢめんとすれのところにうごいてゐる。こんなおほきな穴󠄁あなつてどうするの? とわたし穴󠄁あなふちからのぞ込󠄁んで尋󠄁たづねると、父󠄁ちゝわたし見上みあげ、一しゆんおそろしいをしてにらんだ。

「がきのつたこつちやない。あつちへつてゐろ!」

 わたしおどろいてこそはなれた。この穴󠄁あなは四五にちあひだそのまゝにしてあつた。

 或夜あるよ物音󠄁ものおとわたしはふつとをさました。周圍しうゐなんとなくさわがしい。布團ふとんなかからそつとのぞくと、ほの暗󠄁ぐらい十燭燈しよくとうひかりなかに、父󠄁ちゝ爐端ろばた拳󠄁こぶしをつくつて默坐もくざしてゐる。そばはゝをまるめ、そでんで忍󠄁しのいてゐる。そしてそのむかがはの三でふはうではちひさいはうあにあねが、病氣びやうきあにのどすぐろうで繃帶ほうたいいてやつてゐる。わたしすぢがぞくして布團ふとんなかにそつともぐり込󠄁んだ。

 翌󠄁日よくじつわたし學校󠄁がくかうからかへつてくると、うら穴󠄁あなはきれいにうづめられ、あたらしいつちにほひがしてゐた。のちになつて父󠄁母ふぼはなしぬすきしたところから想像さうざうすると、あの父󠄁ちゝあに合意がふいうへ金棒かなぼうあに殺害さつがいし、死體したいうら穴󠄁あなにこつ