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めたるウヰルヘルムが此室に於て始めて獨逸皇帝の帝冠を載き、聯邦帝國の成立を宣したりし時の得意はいかなりしぞ。即ち鏡の間は佛蘭西にとりては憤恨遣る瀨なき屈辱の記念なると共に獨逸に取りては赫々たる戰勝の光榮を誇るべき塲所たりし也、然るに爾來僅五十年を隔てゝこゝに榮辱全く其地位を顚倒し、獨逸は今やその自ら呱々の聲を揚げし誕生の塲所に於て破滅の宣吿を受けざる可らざる運命となれるなり。然して此度の調印は其塲所に於て此の如き因緣あるのみならず、其日に於ても亦偶然かの墺國皇太子遭難の日と契合するに至りしは奇と謂ふべし。即ち千九百十四年六月二十八日に於けるサラエボーの凶變が端なくも導火線となりて捲き起したる歐洲