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の都巴里に於て眉を蹙めらるゝは當然の事にして恰も木曾義仲が飛驒の荒武者を引連れて京都に攻入り優雅なる大宮人に嫌はれしと好一對なるべし、然れども一面より見れば是れ彼等の賴母しき所也、彼等は身裝等には少しも頓着せず人を人とも思はずに大道を濶步しつゝあり、余は彼等の所謂リフアインメントを有せざる所に彼等の偉大なる將來が橫はりつゝあるを信ぜざるを得ず、又米國の自動車は巴里市中丈にても實に數千臺の多きに上るべく何れも米國兵によりて操縱せられ去五月一日巴里市全勞働者の同盟罷業ありし際の如き電車は動かず自動車も凡て影を潜めし時に獨り米國の自動車のみは悠々として街道を疾驅し居たりき、其他講和事務の爲に大小幾つとな