Page:Sangoku meisyo zue 1.pdf/119

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

れるといふ、然れば諸所に漂着して、遂に國分に止まりし歟、太平記劔巻曰、蛭子は、天石橡樟船に乗せ奉り、大海カ原ニ推出メ被流給シガ攝津國ニ流レ寄リテ、海ヲ領スル神ト成テ、夷三郎殿ト顯レ給テ西宮ニ御座スト、其海を領するといふを見れば、漁利を此神に祈るもの由あり、神社啓蒙曰、西宮蛭子御前者、蛭子神也、俗號夷三郎、非也、夷者別、一氣神、其在釣磯則號夷、相巖事八十神、大穴牟遅命、拾玉集、慈鎭の哥、西の海に、風こゝろせよ、西の宮、東にのみや、ゑひす三郎、廣田歌合、頼政の哥、れもへただ、神にもあらず、夷だに、見るなるものを、ものゝ哀れは、蛭兒をさして恵比須といへるもむかしよりのことなり、 △白山權現社 吉野村、大磯山下川の北岸にあり、祭神伊弉册尊、菊理媛、本社は加賀國石川郡にあり、當社は 浄國公此所に移して、再興し給ふといふ、初め鎭坐の地審ならず、此、他神廟無數にして、或は某の病を愈し給ひ、或は某の願に應ありと稱じ、世に仰信するの叢祠、殫く擧るに遑あらず、

三國名勝圖會巻之三