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其他大字山西縣道󠄁筯〔ママ〕字松󠄁江より山濱田に至るの間幅三尺乃至四尺長四間の石造󠄁の橋十一ヶ所あり
(ハ)郵便電信 三津濱郵便局の隔域内にして集配一日一度なり
(ニ)鐵 道󠄁 伊豫鐵道󠄁株式會社の私設線路あり明治廿一年十月の敷設にして長一哩あり
生業
(イ)農 業 農產物の種類は米麥雜穀其他菜類にして其狀况は小作七歩自作三歩にして穀類は重に三津濱に蔬菜は三津松󠄁山 兩處に販賣す但し穀類の輸出地は重に廣嶋地方にして其產額は
米 | 六千六十五石三斗一升八合 | 麥 | 二千六十六石七斗五合 |
雜 穀 | 三十二石二斗 |
別に農事試験塲と云ふが如き機關は備はらざれども村農會の事業として明治三十四年四月より1ヶ所󠄁の試作地(一反一畝十五歩)を設け農事改良の責に供せり
(ロ)水產業附製鹽 別に漁獲等の利なしと雖も大可賀付近󠄁に於て採藻をなすこと毎年數千貫干して自家の肥料に供す
製鹽は古三津村製塩所󠄁に於て合製するを以て其狀况數量等詳ならず
(ハ)商 業 織物仲買鹽野菜の行商を初めとし綛染業穀物商實菓子小賣等にして工業は大工左官石築業等にして別に記するに足るものなし
財政
本村は農村にして傍伊豫絣の製造󠄁を業とするもの多し而して本村は敢て豊富なるにはあらざれども貧民なく從て村經濟としても將個人としても郡内中位以上にあるべし而して稅源は農產物を主とす
名勝󠄁舊蹟
產砂森は大字別府字御產所福水大明神社 の境內最高の勝󠄁地にして靑松繁茂し風光明媚なり
大可賀新田は大字山西にあり埠頭長く海中に延び轡山其西陏に屹立し海岸は白砂連り干潮の際は老幼男女つどひ集り漁をなし其景色絶佳なり
味 生 村 誌