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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/655

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の苦痛の甚だしくして堪へ難き所より終に世を厭ふ心を生じ、吾人は如何に煩惱を燃やすとも到底滿足を得べきものにあらざるを悟り、此の世を以て誠に厭はしきものとし、他に何等かの解脫の途を求めずんば長へに苦艱を脫する道なきことを知るに至るべし。是に於いてか元來意欲の婢僕として生じたる知慧は却つて吾人をして解脫の道を求めしむる因となる。解脫の道如何。事物の不變化なる類想を觀ずることに存する觀美的狀態に於いて吾人が暫らく休むことなき煩惱を忘れ恍惚として美に見とれ忘我の境涯に入るは是れ一時の解脫に入りたるものなり。更に進みては利己心を離れて只管他の苦痛を憫れみ、慈悲の眼を以て一切衆生を視ることに於いて、即ち道德的生活に於いて更に髙等なる解脫に入ることを得べく、尙ほ進みては此の世の謂はゆる歡樂てふものの一切假樂なることを悟り、全く名利を求むる念を消し吾人の意欲を根柢より斷滅して恰も心身の枯死せるが如き狀態に入ることによりて最も高等なる解脫に入ることを得。是れ即ち意志が自らを滅したる狀態にして、此の境涯を指して涅槃に入るといふ。寂滅は吾人の最も希ふべきものなり。ショペンハウェルの哲學が寂滅爲樂と說く佛