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て自然界に於ける吾人の知識の範圍內なる事柄の相對的なるとは異なり。知的理性の方面より云ふ時は吾人は一步も現象界以外に出づること能はず、されど道德上の要求としては眞實體界に觸るゝことを得、蓋し道德上の要求は絕對的のものなればなり。

上に述べたるが如くカントに從へば、凡べて吾人の爲す所は現象界に於ける方面より見れば皆必然的鏈鎖に從ふものにして眞實體に於ける方面より見れば自由なるものなり。彼れはこゝに於いて經驗上に現はれたる吾人の品性(empirische Character)と經驗上の事相を超脫せる根本的品性(intelligible Character)とを別かてり。前者は現象界なる一切の事柄と共に必然的因果律に從うて發展するもの、而して其處にしかく發展する根本的のものは即ち後者にしてこは自由なるものなり、換言すれば、吾人が眞實體界のものとして自由に取りたる品性が經驗界に於いては吾人の經驗上の品性として必然的に發展するものなり。

《未來の存在の恢復。》〔三六〕斯くしてカントは自由といふ觀念を恢復したるが、彼れは尙ほ其の知識論に於いては抛棄したる他の二つの觀念即ち未來の存在及び神の存在をも同