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に非ず又其の意志が或他の事柄の爲めに役立つが故にあらずして全く其れ自身にあり、然れば其の目的は其れ自身の外にあらずといふべきなり。若し其の目的が其のもの以外の或事柄に存せば其の價値も亦件の事柄を成就する上に於いて懸からざるべからず。要するに、意志が倫理の大法に從ふことの目的は倫理の大法に從ふことの外に存せず、故にかゝる意志は其れ自身を目的とするものなりといふべし。斯かる意志を具有する者(即ち自らが自らの目的たる者)を名づけて人格(Person)といふ。人格の價値は其れ自身に在りて他のものを以て之れに代ふべきに非ず。カントは此の意を言ひ表はして人格は品位(Würde)を有すと云ひ而して之れを唯だ代價(Preis)を有する物件(Sache)と區別せり。物件は其れ自身に價値を有せずして他の或事柄の爲めに役立つ所に其の價値の存するものなれば其の事柄に同等に役立つものと相代へ得べき價値を有するのみ、即ち他の物を以て之れに換ふることを得るものなり。然れども人格の價値は他のものを以て換ふること能はず、其が存在の目的は其れ自身に在るを以て自らを除きて其の目的を成就すべき者なし、換言すれば、吾人が道德上の價値は各自が自己の人格に於いて現は