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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/566

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のには非ず寧ろ唯だ其槪念を絕對的に用ゐたるものに外ならず。一言に云へば悟性の槪念を相待的統一を與ふるものとしてのみ用ゐる間は吾人の經驗の範圍內に在りて正當の意味にての智識の對境を超ゆること無けれど、其を超えて絕對的統一を與ふるものとして其の槪念を用ゐたるもの是れ卽ち理性の觀念なり。

《理性の觀念の三方面、靈魂、宇宙一體、神。三者の不正當。》〔二六〕カントはヺルフ學派の意見に從うて理性を形而上學の上に用ゐたるものに三方面を別かてり。而して此の三者の各〻に於いて用ゐらるゝ理性の觀念あり。其の一は靈魂といふ觀念にして是れ純理哲學的心理學(rationale Psychologie)の根本觀念となるもの、即ち吾人の內なる(精神的)經驗の全體に絕對的統一を與へむとする所のものなり。其の二は宇宙を全き一體と見たる觀念にして純理哲學的世界論(rationale Cosmologie)の根本觀念となるもの、是れ吾人の外なる經驗即ち吾人の心に對する世界の全體に絕對的統一を與へむとするものなり。其の三は森羅萬象の絕對的原因としての神といふ觀念にして純理哲學的神學(rationale Theologie)の根本觀念となるもの、即ち吾人の內なる及び外なる經驗の全體に窮極的統一を與へむとするものなり。カントは此等三個の理性の觀念の應用が皆正當なるもの