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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/531

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こととなるなり。〈カントが吾人の知識の成り立ちを說いて多なるものの統一さるゝに在りと云へるはライブニッツがモナドを說ける所を想ひ出ださしむ〉

《綜合的判定論。》〔九〕斯くカントは吾人の知識を成す所の綜合的判定を取りて其れが如何にして形づくられ得るかを問ふことに其が知的理性の硏究を起こし、而してかゝる綜合的判定は世に謂ふ數學、物理及び純理哲學に少なからず存在するものなりと見たり。例へば、彼れは算術上五と七との和は十二なりといふが如き判定をも唯だ分析的のものにあらずと考へたり、何となれば、五と七との和を言ふ時に於いて唯だ槪念としては未だ十二といふものは成り立ち居らず、十二といふ數を考へむには五と七とを思ふ外に之れに數を綜合する作用を加へざるべからざればなり。又幾何學に於いて謂ふ所の公理を初めとし又其れに基づきたる證明は凡べて綜合的のものなり、例へば、二點の間の直線は其の間に引き得べき最も短き線なりといふ命題に於いて其の主語なる直線といふ槪念に於いては最も短しといふ分量上の觀念を含み居らざるが故に唯だ其の槪念を分析したるのみにては此の命題を作ること能はず。又物理的自然科學に於いては物體の變動するにも拘らず全物界に於ける物質の量は少しも增減せずといふこと及び惰性の法則等を初めと