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て與ふる判定は遍通的又必然的のものなりとはいふものから其の判定は詮ずるところ同言的判定(即ち甲は甲なりといふ如きもの)又は分析的判定の外に出でずして能く綜合的判定を與へ得るものに非ざればなり。件の分析的判定と綜合的判定との區別は、其の名稱を異にしながら、已にロックの所說に於いて認め得る所のものなるが、此の區別はカントに取りては甚だしく肝要なるものとなり又彼れの之れを說きし後は論理及び知識の論に於いて特に學者の注意を引くものとなれり。カントに從へば、分析的判定は唯だ其の主語なる觀念の中に含まれ居るものを其の客語に於いて分析し出だすに過ぎざるものなり、例へば物體は廣がれりといふは分析的判定なり、何となれば廣がりを有するといふことを引き離して物體といふ槪念なく物體といふ槪念は空間に廣がれるものといふほどの意味なればなり。故に此等の分析的判定は先天的に遍通必然なるものと云ひて可なれども、而かも其は唯だ觀念の分析たるに止まりて實在に關する知識を開くものに非ず。綜合的判定は主語なる槪念の中に含まれざる別なるものを客語にて言ひ現はすものなり、例へば物體は重しといふ判定の如き是れなり、そは唯だ空間に廣がれる