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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/452

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上の軌範も要するに人間の性情に基づきて立つべきものにして、而して其の軌範は利己に非ずして一般の安寧を來たすことにあらざるべからずと。彼れはかくの如く說きたりしが其の說の向かふ所、終には德行も不德行も其の起こり來たる所以を尋ぬれば其の基づく所畢竟各人の氣質にありとし、而して所謂氣質は種々の事情に從うて一人には幸に德を爲す樣に形づくられ、他人には不幸にも不德を行ふ樣に形づくられたるものなりと考ふるに至れり。

宗敎に對しても彼れは後に至りては專ら其の弊害に著目することとなれり。以爲へらく、禮拜、儀式及び神學上の敎義が吾人の自然の道德に取りて代はるに至るは是れ宗敎の害ある所以なり、宗敎に於いて吾人の自然の道德以外の事をいふは是れ皆僧侶の造り設けたるものなりと。

かくの如くディデローの思想は其の初年の立場より大に變遷し行きたれども猶ほ其の道德論に於いてエルヹシユスの見地にまで至り世界論に於いてラ、メトリーの唯物論にまで進むことは彼れの敢てせざる所なりき。吾人はディデローに於いてヺルテールが出立したるデイスト風の立場よりして當時の啓蒙的思想の