コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/430

提供:Wikisource
このページは校正済みです

エルヹシユス(Helvetius 一七一五―一七七一)

とす。彼れに從へば吾人の精神は本來唯だ感覺を感ずる力及び自愛の性のみを具有するものなり。自愛の性とは自己の快樂を求むる心の謂ひにして、此の心實に是れ吾人の一切の擧動を左右する唯一の動力なり。道德界に於いて各人が凡べて自己の利益を求むといふ法則の行はるゝは譬へば猶ほ物理界に於いて遍く運動の法則の行はるゝが如し、吾人が種々の事物に注意するも畢竟無聊の不快を脫せむが爲めにして學問といふこと究竟するに是れ亦快苦の感を以て其が動力となすものなり。吾人を生來の怠惰に傾く狀態より驅り動かすものは是れ唯だ快樂苦痛の感なり、德行も不德行も均しく同一の動力によりて出で來たるものにして德を行ふものと不德を行ふ者とは唯だ其が快樂を覺ゆる事柄を異にするのみ。友誼といふも是れまた吾人が友を得て交際の快味と利益とを得むが爲めなり、志士仁人が從容として死に就くも是れ亦自己が最も多くの快樂を覺ゆる所に從ふものに外ならず、盖し義人は義を爲すことに於いて最も多く快感を覺ゆれば