Page:Onishihakushizenshu04.djvu/389

提供:Wikisource
このページは校正済みです

位置に立ちて自己の心情を是非する心に外ならず。道德上の根本的規律は自ら其の爲さむとする所を顧みて公平なる傍觀者の之れに同情し得るか否かを認め而して同情し得と認むるを得ばこゝに始めて其の行爲を爲すべしといふことに在るなり。

斯くしてアダム、スミスは同情を以て凡べて吾人の道德心の根據となし、良心とせらるゝものも其を基として作り上げられたるものに外ならずと見たり。彼れは其の道德論に於いて同情を以て吾人の性に本具せる者と見たると共に其の經濟論に於いては吾人各自の性として各〻が自己の生活を善くせむとする心を基礎として其の說を立てたり、簡に云へば、自利心を以て一切の經濟的現象の動機と見たり。されど彼れは其の經濟論に於いて云へる所と道德論に於いて云へる所との如何に相關係すべきものなるかに就きては明瞭なる說明を與へ居らず。

《直覺說と功利說、リチャード、プライスの道德說。》〔九〕さきにバトラーの說を述べたるところに於いて已に直覺說と功利說との對峙の胚胎したることを述べたりき。直覺說の唱ふる所は行爲が社會の利福