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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/357

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向に於いてはヺルフ學派と相似たり。而して彼等は漸々に其の唯理的傾向を進め行きて奇蹟にも自然的說明を與へ、又宗敎上說かるゝ凡べての奇怪不可思議なる事柄は皆後世の揑造に出でたるものと斷言するに至りき。但し彼等の宗敎論は一つには深き宗敎的感情を缺きたるを以て彼等の說く所によりては宗敎が如何なる力を以て人心の根祗を動かすかの邊を十分に了解すること能はず又一つには彼等は全く歷史的眼光を缺きたるを以て從ひて原初より存在せし眞正の宗敎ならぬものは皆僧侶或は有司の揑造せるものと見たるのみにて眞に自然の歷史的發達といふものを了解せず。彼等の謂ふところ自然は萬人に通じて原初より在りしものといふこと以外の意義を容れず。件の歷史上の見解に於いてはヒュームの說く所能くデイストが所論の弱點を指摘して其が立脚地以上に出でたるものと謂ひつべし、即ちヒュームは宗敎が吾人の心理的作用に從うて歷史上の變遷發達を爲せる次第を硏究せむと試みたるなり。

ヒューム論じて曰へらく、道理上宗敎の根本を探究して其れが吾人の理性を以て承認せらるべきものなるか否かを見ると、其れが自然に起こり來たれる次第を見