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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/190

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相は其の自性に從うて出で來たるものなれば也。斯くの如く各モナドの狀態は其の生具せる所のものがおのづから開發するなれば其の旣に開發したるものは其の現在の狀態に含まれ、また其の將に開發せむとする狀態も其の現狀態に於いて豫想せらる。故に明知を以て見る時は各モナドの現狀態に於いて其のモナドの過去と未來とを讀むことを得。尙ほ語を換へて云はば、各モナドの現狀態が其の凡べての發達の段階を表現するなり。之れを譬ふれば猶ほ樫の實が其の當さに成るべき樫の樹を表現するが如し。

かくの如く各モナドの現狀態に於いて其の凡べての過去と未來との讀まるゝのみならず、其はまた他の凡べてのモナドの狀態を表現す、故に各モナドは宇宙の活きたる鏡(miroir vivant de l'univers)とも云ふべし。されど其の宇宙をうつすといふも其の狀態の他によりて起こさるゝに非ず、各〻之れを自發するなればライブニッツはモナドは窓を有せずと云へり。各モナドの宇宙を映すは他に影響せらるゝには非ざれど尙ほ其の狀態おのづから相一致して各〻同一宇宙の縮圖たり。而して何故に然るぞと云ふにライブニッツ以爲へらく、各モナドが本來其の如く相一致す