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響を受けずして獨立自存するもの、即ち他によりて變化せられざるもの也。此等の點に於いてライブニッツの所謂實在の單元はアトム論者の所謂アトムに似たり。されど彼れの謂ふ所のものはアトムの如く廣袤を有せず、アトムは廣袤を有するが故に思想上尙ほ分かたれ得べきものにして眞に單一なるものと謂ふべからず、ライブニッツの謂ふ所は眞に單一なるもの即ち思想上に於いても分かつ可からざる形而上的の點と名づく可きものなり。されど其等多くの單元の各〻はスピノーザの所謂本體の如く凡べての存在を含む、而してこゝに各單元が凡べての存在を含むと云ふは凡べての存在が想念上にて各單元に縮寫せらるゝを謂ふ。之れを譬ふれば猶ほ一圓形の周圍より引ける凡べての線が其の中心に集まり其等の線を以て成す所の凡べての角度が其の一中心點に保たるゝが如く各單元は皆凡べての存在を包含する小宇宙と見らるべきもの也。此等の單元をモナド(monad)と名づく。
以上述べたる所によりて知らるゝ如く、ライブニッツはデカルト派の學說を批評し又アトム論をも批評して遂に其の所謂モナド論に到達したるなり。彼れ自ら