コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/180

提供:Wikisource
このページは校正済みです

而上學的組織を建てたるとは大に其の學相を異にせるや明らかなり。此の點に於いてライブニッツの哲學はデカルト及びスピノーザの大組織に並ぶべきもの、而してホッブスの唯物論的組織も亦其の列に加へらるべきもの也。吾人はロックに始まれる實驗哲學の發達を叙するに先きだちて先づライブニッツの哲學及び其の流派を叙述せむ。

《ライブニッツの生涯及び著述。》〔二〕ゴッドフリード、ヸルヘルム、ライブニッツ(Gottfried Wilhelm Leibnitz)は一千六百四十六年六月二十一日獨逸國ライプツィヒ府に生まる。父は其處の大學に在りて道義學の敎授たりき。彼れ幼より父の書齋に在りて讀書を事とし文學、歷史を初めとして後には廣く中世紀哲學者等の著作にも涉獵しき。其の後彼れは其の生地の大學に入りて更に哲學を初めとして其の他の諸種の學科に心を傾けり。其の頃彼れはライプツィヒに近き森林に散策を試みし時在來のスコラ哲學を守らむか、はた當時の新流の學說に就かむかとの問題を想ひ浮かべて深く思ひを凝らしゝことありと言へり。彼れは更に見聞を廣くし特に自然科學上の知識を廣く得むが爲めに益〻諸種の書籍を涉獵し、ベーコン、ホッブス等を初めとしてケ