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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/486

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と異ならしむる所以のもの(haecceitas)なり。斯くの如く通性に一物をして此の物たらしむるところ加はり而して始めてそれが實物たるなり、故に個物は缺けたるものにあらずして寧ろ全きものなり、個物是れ卽ち自然界の目的なりと。故にスコートスは未だ固より唯名論者ならざれども彼れが個物論に傾けるは明らかなり卽ち彼れは實在論風の萬有神敎的思想に反對して有差別の個物を實在と見ることに立脚せむとせるなり。

《其の知性意志關係論、絕對的自由說。》〔五〕心理說上スコートスは知性と意志との關係を論ずる點に於いてトマスと反對の地に立てり。トマスは主張すらく、一般にいへば意志は吾人の理性が認めて善となす所のものを選ぶと。スコートスは之れに反して曰はく、斯くては吾人の意志は眞正の自由を缺くものとなるべし何となれば知性の作用そのものには自由性ありと云ふ可からざるを以て若し意志が窮極の決斷力を有せずして却りて知性によりて定めらるゝものならば吾人は實際に云爲することの反對に出づる力を有せざる可ければ也。而して若し實行せることの反對に出づる力なくば眞實に吾人を自由なる者とは謂ふべからず、眞實の自由を缺かばまた行爲に對