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《德は理性に從ひて生活するにあり。》〔八〕ストア學派の道德論はキニク學派の脈を引ける所多し。以爲へらく、善しと云はるべきものは德のみ惡しと云はるべきものは不德のみ他のものは凡べて善ならず惡ならざるものなり而して德は理性に從ひて生活するに在り富貴、貧賤、快樂、苦痛、疾病、生死等は皆善くもなく惡しくもなき無記のもの(ἀδιάφορα)なり。此等無記のものに價値をおきて心を動かさるゝ是れ即ち不德の根元なり。故に理性に從へる生活即ち有德の生活は消極的に云へば煩惱を脫したる生活なり、而してストア學徒の有德の生活を說くやおもにこれを消極的方面より見たり。吾人の道德は些も外物及び外界の出來事に動かされざる狀態即ち不動心(ἀπάθεια)を得るに在り。

《理性、物欲、知見、意志。》〔九〕ストア學派の倫理說は理性と物欲とを相對せしむる二元論にして其が哲學上の一元論と相合し難し。若し理性が凡べてに通ずる自然の道ならば凡べての物はおのづからに理性に從ふ筈なり、吾人の性もまた理性ならば吾人はおのづから理性に從ふべき筈なれば、此の見地よりする時は何故に之れと相容れざる物欲の存するかは解し難し。かくの如くストアの學說には二個の思想の未だ十