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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/337

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《古アカデミー學風の變遷。》〔八〕古アカデミーは曾て述べし如く大にピタゴラス學派と接近し彼れは此れに、此れは彼れに影響を及ぼして兩者殆んど相和せむとするに至れり。アカデミーの學徒はおもにピタゴラス派の數論に化せられたるプラトーンのイデア論及び其の晚年の思想なる自然哲學に心を注ぎまた分科的、局部的の穿鑿に心を傾けたりき。又其の道德論は通俗的修身講義の如くなり且つプラトーンに在りし經世的傾向漸くに失せて個人の修身說を主眼とするに至れり。是れ要するに當時の社會の大勢につれたる變遷なり。古アカデミーは後に至りて懷疑派に轉ずる迄は哲學上特に著るき事業を成せることなくまた其の及ぼせる影響は已に上にも述べたる如く當時の新精神によりて起こりまた其の新精神を代表せるストア、エピクーロス等の學派に比して遙かに其の下に在りき。


第十七章 ストア學派

《所謂ストア學徒。》〔一〕倫理時代に現はれたる諸學說の中、哲學として最も大なる組織を成せるはストア學派なり。此の學派はキプロス島人ヅェーノーン(西紀前三百四十二年よ