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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/335

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見識出でず從ひてまた大理論的組織の見るべきなし又其の結果として學說の爭ひに於いて當時に重きをなせるは傑出せる個人よりは寧ろ學派なりき、而して學派の相對峙する差別も亦理論上よりは寧ろ倫理道德の實際的問題に關する意見にありき。而して又實踐哲學の方面に於いても主に社會國家の上に著眼せるプラトーン、アリストテレースの所說とは異なりて個人的道德を說くを主眼としき。

《ペリパテーティク學風の變遷。》〔七〕ストア學派を講述せむ前に一言ペリパテーティク學派と古アカデミーとに就いて述べおかむ。先きにペリパテーティク學派に於いてテオフラストスの流れ即ち內在論とオイデーモスの流れ即ち超越論との對峙は已にアリストテレースに親炙したる人々の中に起これることを述べたりき。ストラトーン(西紀前二百八十年より同二百六十九年までテオフラストスに次ぎてリュイカイオンの首座にありし人)に於いてはテオフラストスの內在論の傾向は更に著るくなりて遂に自然的思想に陷れり。ストラトーン以爲へらく、アリストテレースの所謂純なる相及び素は二者共に無用なるのみならず不都合なる者なりと、乃ち之れを捨てゝ神と世界とを一にし、思考と知覺とを一にし、天地萬物は凡べて自然の必然作用によ