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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/278

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在ることを看るを得べし。アリストテレースは此の點に於いて大に其の師と面目を異にせり。彼れは自然界に關する夥多の事を採集し科學的硏究に於いて一大步を進め後世更に硏究せらるゝに至りたる諸種の科學は槪ね彼れの手によりて其の地盤を置かれ、其が原初の形を與へられきと云ふも過言にあらじ。プラトーンとアリストテレースとは其の學相に於いて趣を異にし其の長ずる所亦一ならざれど、兎に角希臘學術に於ける大綜合は後者に在りて更に一步を進めたりといふを得べく、又彼れの哲學を以て希臘學術の頂上と云はむも失當ならざるべし。

今云へる如くプラトーンとアリストテレースとは事物を思索する趣に於いて相異なる所あり。プラトーンは理想の高地に居て經驗界なる個々の事物を看下ろすが如く、アリストテレースは經驗界の個々物より出立し漸次に步を進めて理想の高きに上らむとするが如き趣あり。其の學風に於いてかゝる差別はあれど其が根本思想に於いては二者共に一なる所あり、盖し其の思想は共にソークラテースの敎學より湧出せしものなればなり。プラトーンもアリストテレースも共に目的說の立塲にあり。故にデーモクリトス等が物理的硏究の結果はアリストテ