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Page:NDL992519 千島アイヌ part1.pdf/23

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同書は其名の如く千島に於ける一般の事を記󠄂載せし者︀にして、其中に含まるゝ者︀は歷史、動、植、人類、地質、地理、氣候等あり、何事にあれ、苟くも千島に就て云はんとする者︀は是非本書を一讀すべきなり、本書中吾人の參考とすべきは第三章「千島の住民篇」「第六章諸︀島嶼海︀峽篇」の二なり、

「住民篇」記󠄂載中注目すべき點は左の如し、氏が一八七八年に千島群島に至りし際にはウルッブ、ウシシル、シユムシユ、ラシヤワに住民ありたり、而して尙ほシムシル、マタウ、カリモコタン、シヤシコタン、ヲ子[1]コタン、パラモジリに古村落の跡あり、亦ケトイ、エカルマ、アライドには土人漁獵の足留塲の跡あり、されど千島土人生活の中心は全く占守島なりき、一八八七年よりは盛に外國船の此所に漁獵をなし始めしを以て、土人の風俗の上には非常なる土俗學上の變化を來したるを述べ、其れより彼等の竪穴に住すること、風俗、言語等を記載せり、

「千島諸︀島嶼篇」には千島各島嶼の山川港灣等を記せしものなれども、其中に所々古村落即ち竪穴の遺跡あることを記せり、吾人はこの點に注目すべし、

スノフ氏が千島土人に就ての意見の大要を記せば左の如し、千島土人はアイヌ種族なるや明かなり、蝦夷及び擇捉のアイヌはアイヌとしては比較的固有の性質を有するものなれども、擇捉以北の千島アイヌは吾人を以て見れば彼等は純粹のものに非ずして、盖しカムチヤッカ人、若しくは露西亞人の曾て玆に移せしアリウトの雜種にあらずやと思はるゝなり、則ち其證は少鬚、小眼、出唇、肥頰等の如き是にして、殊に肥頰はカムチヤッカ土人に類似するが如し、尙ほ土俗上に於ても蝦夷アイヌと異なるものあり、則ち彼等の絕へて熊祭をせず、髭篦を用ひず、彫刻をなさゞる是れなりとす、而して彼等の言語は全くアイヌ語なれども、殊に唐太のアイヌ語に類似すと、著︀者︀は尙ほアイヌの口碑︀コロポツクルの遺せし竪穴と千島土人の竪穴との比較を述べたり、

本書は色丹󠄁移住以前の土人のことを調査するには最も有益︀なるものにして、殊に千島土人の色丹󠄁移住前の土俗生活の狀態を知るには必ず參考に供すべきものとす、

 (三)ヒチユコツク氏The Ancient Pit-dwellers of Yeso.

この論文󠄁はスミソニアン報告一八九一年、一七—四二七頁にあり、而して文󠄁中色丹󠄁土人、同居住の寫眞版六葉と他に根室の地形、北海︀道石器︀時代遺物圖 (遺物の中に僞物混ぜり、例せば其土偶の如きこれなり) を挿入せり

同書四二〇頁より四二二頁までにはミルン氏亞細亞協會報告第十卷第二册の一八八—一九〇頁に記󠄂せしものを重記したり、而して氏は北海︀道及び擇捉に存在せる堅穴、これより出づる土器︀、石器︀は抑も何人の手になりしものなる乎との疑問を起󠄁し、アイヌの口碑︀コロポツクル、日本人の古史󠄁の所謂土蜘蛛の事に移り、尙ほ參考としでミルン氏の占守の竪穴、アリウトの竪穴、及び曾て羽󠄀柴氏が東京人類學會雜誌に投ぜられたる庄內堅穴類似の小舍を引用せり、

  1. カタカナ「ネ」の異体