近時(きんじ)、靑年(せいねん)學生(がくせい)の手(て)に成(な)れる作文(さくぶん)や、世間(せけん)一般(ぱん)に行(おこな)はれて居(ゐ)る日用文(にちようぶん)や、其(そ)の他(た)廣告(くわうこく)引札(ひきふだ)類(るゐ)の文章(ぶんしやう)を見(み)ると、餘(あま)りに此(こ)の道具(だうぐ)しらべが疎(おろそ)かにされて居(ゐ)るのに驚(おどろ)くのである。敢(あへ)て大(おほ)きく文章(ぶんしやう)とは言(い)はない、せめて漢字(かんじ)の字畫(じくわく)の誤(あやまり)や、字義(じぎ)の間違(まちがひ)や、假名遣(かなづかひ)の亂雜(らんざつ)やに今(いま)少(すこ)し注意(ちゆうい)を拂(はら)つて疵(きず)の無(な)いやうにして貰(もは)ひたいのである。併(しか)し多種多樣(たしゆたやう)の知識(ちしき)技能(ぎのう)を習得(しふとく)せねばならぬ現代(げんだい)にあつては、專門家(せんもんか)以外(いぐわい)、文字(もじ)に多(おほ)くの苦勞(くらう)をする暇(いとま)は無(な)い。そこで、本書(ほんしよ)には、其(そ)の實際的(じつさいてき)方面(はうめん)の大要(たいえう)を纒(まと)めて、日用(にちよう)の便(べん)に供(きよう)することにした。
大正六年十二月 編者識す