正(日人)先大導師弘公大阿闍黎修持追善法會、以報該會恩師、是日十時爲興亞中日陣亡將士墍殉難民衆修持大護魔供 慰靈法會、昨該會經通告各該會員屆時前赴参加云。(粵東報六月十日記事ヨリ)
(この日平岡さんから送り屆けられたる呼寄狀寫し)
香港憲兵隊經由 呼寄許可願 | ||
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本籍 | 東京市世田谷區三軒茶屋町九十六番地 | |
住所 | 香港湊加連威考道五拾壹號 | |
自分 | 戶主 | |
職業 | 輸出入業 | |
氏名 | 平岡 貞 | |
生年月日 | 明治貳拾年四月一日 | |
被呼寄人 | 本籍 | |
住所 | 東京市小石川區音羽護國寺 | |
身份 | ||
職業 | 眞言宗大本山護國寺貫首(大僧正) | |
氏名 | 佐佐木敎純(外隨員六名別添附) | |
生年月日 | ||
呼寄人トノ續柄 | 友人 | |
呼寄事由 |
眞言宗管長代理トシテ香港眞言宗居士林 (華人信徒)ニ於テ傳法灌頂ヲナシ華人ヲ 敎化シ日華親善ヲ計ルタメ(隨員六名) | |
右ノ通リ香港ニ呼寄致度ニ付御許可相成度 及願出候也 昭和十八年六月四日右呼出人 平岡 貞㊞ 香港占領地總督 磯谷廉介殿 香督呼證第三一一五號 右願出通リ許可ス 昭和十八年六月四日香港占領地總督部㊞ |
同時呼寄家族 | |||
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氏名 | 生年月日(年齡) | 呼寄人トノ續柄 | 男女別 |
山田鏡阿 | 同 | 友人 | |
田中恭盛 | 同 | 同 | |
中 義乘 | 同 | 同 | |
篠山明信 | 同 | 同 | |
杉本良智 | 同 | 同 | |
岡村儀雄 | 同 | 同 |
潮州に就て(紹介)
一 槪觀
土人は通稱
市街の東邊には韓江が蜒蛇として繞り、韓山金山の小丘が四邊に散在し頗る風致に富み、日本の京都のやうな感じの する所である。此地はまた韓公流謫の地として有名であるが、公は潮州に留ること僅か八個月である。然し潮州人の公 を敬慕するものは今に到るも益々多く四時祭祀が絶えない
韓公 名は愈、字は退之。河南省鄧州南陽の人であつて、七歳にして書を読み、日に数千字を記すと。長ずるに及び 博く六經百家の學に通じ、唐の德宗の代、監察御史となり、事を以て陽山の令に却けられ、次に憲宗の朝に佛骨の表を 上り遂に貶ぜられて潮州の刺史となつた。(元和十四年西暦八一九年、日本の嵯峨天皇時代弘法大師空海上人が高野山 を開いて後三年)程なく江西省袁州に移され幾許もなくして再び朝廷に歸り史部侍郎となり、その歿するや禮部尙書を 贈られ文公と諡された。公は宏才卓識力を古文の研究に致し八代の陋習を破り努めて周漢に追蹤し、又孟子を敬慕し異 端を排し熱心に儒學を唱導した。
潮州の起源は正確な文献がないから判然しないが、城內開元寺の創始が唐玄宗皇帝開元元年といふから、今から一千 二、三百年前頃には立派な市城であつたことは想像に難くない。