大分あった。 彼等は閑と物に恵まれた人々(上流特権階級) である。 俺の足車!は少くとも上層階級の人々の外出には無くてはならぬものである。外に交通機關とてないこの町には車は 用くべからざる交通機闘である。然し何年間使ひ古した車は汚れ傷み、挽く人間も疲れ凡そ似つかはしいものであ る。どこでも、何時行っても弊をかければ居ない事はない位車は何にも居る。 だが車夫が痩せ何時倒れるかも知れぬので、乗ってみても程を付けねばならぬ。その車が我々が密に来た當 時は食から灌頂道場へ (五、六丁位) 行くのに始めは一回(日本の十八錢)だったが段々せり上って二回でなければ行 かぬやうになった。これは支那人の性格を良く現はしてある。 今日は受明灌頂としては最後のもので、三味耶戒には幽冥灌頂と移して心に念ずる人の位牌を抱いて入してある人 | 亡き人に代って灌頂を受けるなどは中国の良き一面を現はして居る。 說誡師王大依氏 王さんはドロンワーク組合の理事長で日頃戸川師に従つて修行する最も熱心な最も優秀な居士の一人である。 現在密 会の理事長をして居る。 殆んど戸川師渡油以来生業をつての爲め盡力して来た人である、今度も正覺壇の教授及び三昧耶の説誠師を勤 め一代の役を勤めた人である。昔と言ひ態度といひ堂々たるもので我等の感激の的となつて居る人である。王さん は灌頂が終ってから戸川師に対して涙を流して 「今回の灌頂によつて、灌頂の精神を掴む事が出来た様に思ふ。 今迄の王弘願先生當時は日本にあったものを模倣 し、形を移したに過ぎなかったが今度始めて大規模に行はれて灌頂といふ崇高なる大行事が密教の極致である事を知り 得た。 それと共に灌頂が本来中国のものである事をも知った。よくもかる立派なものが日本に保存されて居たもので ある」と感激に震えて語って居られた。 尊い体験者の實感である。 六月四日の日我等の宿舎を訪ねた領事館某巡査部長の話に伐れば、戦後の經營に従事してゐる邦人は概してその心 | 構えに続けるものが多く、日本人としての誇りを傷付け非國民的なものがあるそうである。心にたえない事である。 最近中國人と結び 中國人は品物が入出来ないから日本人名義で輸入しを數十倍の値段で敵地につて暴利を貪り | 利敵行爲をして、それが登覺して退去命令を受けたものが○人もあるそうである。 二十年前の邦人と現邦人とはまるで心持が違つてゐる。戦時下の日本人として何うした事か。我々には何としても理 解出来ない。単に戦争に依る人心の荒びとのみ葬り去ってよい問題とは考へられない。 二十年前の邦人は全体が一家族であると云ふい愛で結ばれてゐたが今日では日本人同志が到る歳でいがみ合って 居るのは見るに超えない 許少榮市長の招待會
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