故に同じく陳、林姓を名乗っても拝する つてを異にするのである。故に祖廟には公田部ち廟に附いた 財産があつて氏族の食べ料は或程度保償されるのである。だから台灣ではこの廟の整理を行つてゐるが中々やかましく、 つまづけば大問題となるのである。 でもこのに意し目下慎重研究を進めてみると聞く。 現に汕頭でも本第一の正受者となった陳光烈氏一族の立派な祖廟であつたものを、皇軍 後或宗派に占有され ○○寺別院にされて終ひ、 主要建物は悉く本堂、 庫裡、客殿に編入されたのでその爲めに陳さんは同族の中心を失 ひ、非常に困つてゐるとの事である。 共へ戸川師の入油となったので、今は同氏は密教の絶大なる越となったとの事である、心すべき事である。」 午前の初夜も午後の後夜も、段々居士連も慣れて今日などは入壇者が七十七名あるといふに三時間位で終る。いくら 急いでも少しも型がくづれない、永い間の練習がものを云ふのである。食には入壇者中に極樂榮館の主人があつて | 供養にといつて立派な料理が選ばれる、絢爛目を奪う如きも念の入った料理である。 灌頂以來雨続き市民も驚いてゐる模様である。 米は日々三弗五弗と下って行き、全く灌頂のお蔭だといつて喜んでる る。餓死人もぐつと減じつて存心堂も閑散になったとのことである。 六月一日月が更つて六月となった、顧みれば相當永い旅である、だが灌頂の方は遅々として進まない。そんな事を考 へるだけでも心の何かに倦怠が出て来たのであらう、心の綱を引締める。 今日戶川師が領事館へ行って聞くと、他の観察と異り連日一行が汗だくになって熱心に灌頂をされてるのを観察 (館員が入して調査したのである) 世間の評判を聞いても、戸川師が前に言はれた通り灌頂に依つて日本文化の粋 を現するのだといふ事が認識されたとの事である。質は領事館でも始めは冷やかに見る人は管長代理などといつて金 儲けかなんかに来て、南の見物でもして行くのが謎の山だと思つてゐた人もある様であつたが、實際に一行のやつて ゐるのを見ると猊下を始め朝から晩まで汗水たらして道場内で働いて居られるのを見て感激してゐるそうである。 領事 館では戸川師の今の開方針を以て一帯の新宗教運動とし、これに依つて彼等中國人の日常生活に規律と統制とを 奥へんとさえ考えて居られるそうである。 戸川師はこの日、領事館で文化課が新設され、杉本勢東報社長帝大出身者で秀島技師等四名と共に托として推薦 任命されたそうである。 全てが順調である、共に慶び文化事業上に於ける戶川師の活躍を期して待つ事に仕様。 で灌頂の方だが入壇申込者が千五百數十名になり、雨も毎日申込みが増加する一方といふがとても用意もなし彼等 望を叶える事は出来ない。止むを得ず従来の会員と授戒を受けた者に限る事にしたと戶川師からの報告であつた。 今日は昨日七十名もやつたから五十名である、後を終つで三昧耶であり。(正受者は陳立恆社局長である)既 三回目であるから説解師王大依氏も慣れ板について来る。 職衆は女居士である。 昔の天才謝荷さんが二ヶ月間も熱心に指導した丈あつて散華對揚等賞にうまいもので、その所作、曲共に一糸乱れ 至殿に出来た。中にも日本でも珍らしい、愛らしい二小女が華籠を配する所作などは、 演練を積んだ物腰で、 儀正しく日本式に運ぶ姿は法會の華とも見られた。賞に立派なものであった。 六月二日 久し振りに天気になった。連日の雨で何から何まで濕けて腹の中までもへんになつて来た。 今日は七十名の入壇者 午前午後共になく終了、潮兵團長中村喜蔵閣下に便乘請求書三通を提出する。 90
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