Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/307

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侍りしかば、「軸につけ表紙につくること兩說なれば、いづれも難なし。文の箱はおほくは右につく、手箱には軸につくるも常のことなり」と仰せられき。

めなもみといふ草あり。くちばみにさゝれたる人、かの草をもみてつけぬれば、すなはち癒ゆとなむ、見知りておくべし。

そのものにつきて、そのものを費しそこなふもの數を知らずあり。身に虱あり、家に鼠あり。國に賊あり、小人に財あり。君子に仁義あり、僧に法あり。

たふとき聖のいひおきけることを書きつけて、一言芳談とかや名づけたる草紙を思侍りしに、心にあひて覺えしことゞも、

一しやせまし、せずやあらましと思ふことは、おほやうせぬはよきなり。

一後世を思はむものは、糂汰甁ひとつももつまじきことなり。持經本尊にいたるまで、よきものをもつ、よしなきことなり。

一遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

一上臈は下臈になり、智者は愚者になり、德人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。

一佛道をねがふといふは別のことなし。いとまある身になりて、世のこと心にかけぬを策一の道とす。

この外もありし事どもおぼえず。