Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/294

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ゑぬれば、やがてひとりうちくひて、かへりたければ、ひとりつひたちて行きけれ。ときひじも人にひとしく定めてくはず。我がくひたきとき、夜なかにも曉にもくひて、ねぶたければ晝もかけこもりて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば幾夜もいねず。心をすましてうそぶきありきなど、よのつねならぬさまなれば、人にいとはれず、よろづゆるされけり。德のいたれりけるにや。

御產のときこしきおとすことは、定まれることにはあらず。御胞衣とゞこほるときのまじなひなり。とゞこほらせ給はねばこのことなし。下ざまより事おこりて、させる本說なし。大原の里のこしきをめすなり。ふるき實藏の繪に、いやしき人の子產みたる所に、こしきおとしたるをかきたり。

延政門院〈悅子〉いときなくおはしましける時、院へまゐる人に、ことづてとて申させ給ひける御歌、

 「ふたつもじ牛の角もじすぐなもじゆがみもじとぞ君はおぼゆる」。

こひしく思ひまゐらせ給ふとなり。

後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや盜人に逢ひにけり。とのゐ人とてかくことごとしくなりにけり。一とせの相はこの修中のありさまにこそ見ゆなれば、つはものを用ゐむことおだやかならぬことなり。

「車の五緖はかならず人によらず。ほどにつけて、きはむるつかさ位にいたりぬれば、のるも