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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/292

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と思はむに、何の興ありてか朝夕君につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからむ。心は緣にひかれて移るものなれば、靜ならでは道は行じがたし。そのうつはものむかしの人に及ばず、山林に入りても飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世をむさぼるに似たることも、たよりにふればなどかなからむ。さればとて、そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てしなどいはむは、むげのことなり。さすがに一たび道に入りて、世をいとはむ人たとひ望ありとも、いきほひある人の貪欲多きに似るべからず。紙のふすま、麻の衣、一鉢のまうけ、藜のあつもの、いくばくか人のつひえをなさむ。もとむる所はやすく、その心はやく足りぬべし。かたちにはづる所もあれば、さはいへど惡にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世をのがれむ事こそあらまほしけれ。ひとへにむさぼることをつとめて、菩提におもむかざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。

大事をおもひたゝむ人は、さりがたく心にかゝらむことの本意をとげずして、さながら捨つべきなり。しばしこのことはてゝ、おなじくはかの事沙汰しおきて、しかじかの事、人のあざけりやあらむ、行く末難なくしたゝめまうけて、年ごろもあればこそあれ、その事待たむほどあらじ、物さわがしからぬやうになど思はむには、えさらぬことのみいとゞかさなりて、事の盡くるかぎりもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう人を見るに、すこし心あるきはは、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。近き火などに逃ぐる人は、しばしとやいふ。