Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/313

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なさよ。ほどほどにつけてはずりやうもさこそはあめれ、あまた國に行きて大貳や四位などになりて上達部になりぬればおもおもし。されどさりとてほど過ぎ何ばかりの事かはある。また多くやはある。ず領の北の方にてくだるこそよろしき人のさいはひには思ひてあめれ。たゞ人の上達部のむすめにて后になり給ふこそめでたけれ。されど猶男は我が身のなり出づるこそめでたくうち仰ぎたるけしきよ。法師のなにがし供奉などいひてありくなどは何とかは見ゆる。經たふとく讀み、みめ淸げなるにつけても女にあなづられてなりかゝりこそすれ、僧都僧正になりぬれば佛の現れ給へるにこそとおぼし惑ひて、かしこまるさまは何にかは似たる。

     風は

嵐、木枯。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる花風いとあはれなり。八九月ばかりに雨にまじりて吹きたる風いとあはれなり。雨のあし橫さまに騷がしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の汗の香などかわき、すゞしのひとへに引き重ねて着たるもをかし。このすゞしだにいとあつかはしう捨てまほしかりしかば、いつのまにかうなりぬらむと思ふもをかし。あかつき格子妻戶など押しあけたるに、嵐のさと吹き渡りて顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。九月つごもり、十月一日のほどの空うち曇りたるに、風のいたう吹くに黃なる木の葉どものほろほろとこぼれ落つるいとあはれなり。櫻の葉椋の葉などこそ落つれ。十月ばかりに木立多かる所の庭はいとめでたし。野分の又の日こそいみじうあはれにおぼゆれ。たてじとみす