Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/159

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〈ひイ〉とのめを盜みとりてなむあるとそ〈こイ〉ろに隱れゐ給へる。いみじうをこなる事になむ世にもいひ騷ぐなる」と聞きつれば、我は限なくめやすい事をも聞くかな、月の過ぐるにいかにいひやらむと思ひつるにと思ふものから、怪しの心やとは思ひなむかし。さて又文あり。見れば人しも問ひたらむやうに「いであなあさましや。心にもあらぬ事を聞えさせはつべきにもす〈さイ有〉まじ。かゝらぬすぢにてもとり聞えさする事侍りしかば、さりとも」などぞある。かへりごと「心にもあらぬことのたまはせたるは、何にかあらむ。かゝらぬさまにて、とりもの忘れをせさせ給はざりけると見給ふるなむいとうしろやすき」とものしけり。』八月になりぬ。この世のなかはもがさおこりてのゝしる。二十日のほどに、このわたりにも來にたり。佐いふかたなく重く煩ふ。いかゞはせむとて事絕えたる人〈兼家〉にもつぐばかりあるに、我が〈心のイ有〉うちは、まいてせむかた知らず。さいひてやはとてふも〈みイ〉して吿げたれば、かへりごといとあらゝかにてあり。さては詞にてぞいかにといはせたる。さるまじき人だにぞきとぶらふめると見る心ちぞそへてたゞならざりける。うまの頭〈おもイ有〉もなくしばしばとひ給ふ。九月ついたちにをこたりぬ。八月二十よ日よりふけ〈りイ〉そめにし雨、この月もやまず降りくらがりて、この中河も大路も、一つに行きあひぬべく見ゆれば、今や流るゝとさへおぼゆ。世の中いとあはれなり。かどのわさだもいまだ刈り集めず。たまさかなるあまゝに、やいごめばかりぞわか〈ざイ〉にしたる。もがさせり〈二字世の中イ〉いかにもさかりにて、この一條の大政の大とのゝ子〈擧賢義孝〉二人ながら、その月の十六日になくなりぬといひ騷ぐ。思ひやるもいみじき事限なし。これを聞くもをこたりに