Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/146

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とぞ覺えけらし。あり〈めイ〉いふ方なければ〈どイ〉さてあるまじければとかうたばかりて出でぬ。哀なる人の身にそひて見るぞ我が苦しさもまぎ〈さイ〉るばかり悲しう覺えける。からうじて歸りて、又の日いでゐの所より夜更けて歸り來て臥したる所より〈二字にイ〉〈渡イ〉りていふやう「殿なむきんぢが、司のかみのこぞよりいとせちこ〈にイ〉のたうぶ事のあるを、そこにあらむ子は、いかゞなりたる、大きなりや、心ちづきにたりやなどのたまひつるを、又かのかみも、殿は仰せられつることやあ〈りイ有〉つなどなむのたまひつれば、さりつとなむ申しつれば、あさてばかり、よき日なるを御文奉らむとなむのたまひつる」と語る。いとあやしきことかな、まだ思ひかくべきにもあらぬをと思ひつゝ寢ぬ。こ〈さイ〉てその日になりてまたあり。いと返りし〈こイ〉とうち解けしにくげなるさましたり。內は〈はイ無〉の詞は「月頃は思ふる〈如元〉事ありて殿に傅へ申さゝ〈如元〉せ侍りしかば、事のさまばかり聞し召しつ。今はやがて聞えさせよとなむ仰せ給ふと承りにしこと、いとおはけなき心の侍りけると思し咎めさせ給はむを、つゝみ侍りつるになむ。ついでなくてとさへ思ひ給へしに、つかさめし見給へしになむ、この佐の岩のかうおはしませば參り侍らむこと人見とがむまじう思ひ給ふるに」など、いとあるべかしうに〈一字かきイ〉なし、端に「武藏といひ侍る人の御曹司に、いかで侍はむ」とあり。返りごと聞ゆべきを「まづこれはいかなる事ぞと、物してこそは」とてあるに「物忌や何やと折惡しとて、え御覽ぜさせず」とて〈もてイ有〉歸る程に五六日になりぬ。覺束なうもやありけむ、すけ〈道綱〉の許に「せちに聞えさすべき事なむある」とて呼び給ふ。いよ〈まイ〉いよ〈まイ〉とてある程に、よろ〈ひイ〉こひ〈ろイ〉は歸しつ。その程に雨降ればいとほしと〈くイ〉て出づる程