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夜ばかりにて、硯がめの人にのみ離るゝこともなくぞありける。その女も大臣家の宮仕へ人なりけるが、母の筑紫に下りて菅原の氏寺の別當に具したりけるが、法師みまかりにければ、都へのぼるべきよすがもなくてをりけるを、そのむすめは、朝夕にこれを歎きけるほどに、大臣殿五節たてまつり給ひけるにや、わらはにいだすべき女、外のかたがた見給ひけれど、こればかりなる見えざりければ「思ふやう有りていふぞ。いはむこと聞きてむや」とありければ、「いかでか仰せごとにしたがはず侍らむ」と申しけるに、「五節のわらはに出ださむと思ふ」とのたまひければ、「いかなることもうけ給はり候ふべきを、それはえなむ侍るまじき」と申しければ、「あながちに思ふことにてあるに、構へて聞きたらばいかなる大事をも叶へむ」とありければ、かくまでのたまはせむことさのみもえいなび申さで出でたりけるに、かの大臣殿のわらはいかばかりなるらむとて、殿上人われもわれもとゆかしがりあへりける中に、さかりに物などいひける何の少將などいひける人も見むなどしけるを、ある殿上人の、「珍しげなし。いつも御覽ぜよ」と云ひければ、怪しと思ひて見るに、わがえさらず物いふ人なりければ、恨み耻ぢしめけれど、さほど思ひたちて出でにけり。のちに大臣殿、「此の喜びにいかなる大事かある」と問ひ給ひければ、「熊野にまうでむの志ぞ深く侍る」と申すに、やすき事とて夫さを〈如元〉などあまた召して、淸きころも何かと出だしたてさせ給ひて、參りて筑紫の母迎へよせむことを心ざし申してかへるに、淀のわたりにや、みゆきなどのよそひのやうに道もえさりあへぬことのありけるが、けふ政所の京に出でたまふといひて、よそに