Page:Kokubun taikan 07.pdf/203

提供:Wikisource
このページは校正済みです

   廿七武烈天皇

   廿八繼體天皇

   廿九安閑天皇

   三十宣化天皇

   卅一欽明天皇

つゝしむべき年にて過ぎにし二月の初午の日、龍盖寺へまうで侍りて、やがてそれより泊瀨にたそがれの程に參りつきたりしに、年のつもりにはいたく苦しう覺えて師のもとにしばし休み侍りしほどにうちまどろまれにけり。初夜の鐘の聲におどろかれて御前に參りて通夜し侍りしに、世の中うちしづまるほどに修行者の三十四五などにやなるらむと見えしが經をいとたふとく讀むあり。傍近くゐたれば「「「いかなる人のいづこより參り給へるぞ。御經などの承らまほしからむにはたづね奉らむ」」」といふにこの修行者いふやう、「「「いづこと定めたる所も侍らず。すこしものゝ心つきてのちこの十餘年世のなりまかるさまの心とゞむべくも見え侍らねば、人まねにもし後世やたすかるとて、かやうにまどひありき侍るなり」」」といへば「「「誠にかしこくおぼしとりたる事にこそ。誰もさすがにこのことわりは思へどもまことしく思ひたゝぬこそおろかに侍るめれ。この尼今まで世に侍るは希有の事なり。けふあすともしらず今年七十三になむなり侍る。三十三を過ぎがたく、相人なども申しあひたりしかば岡寺は厄を轉じ給ふと承りてまうでそめしよりつゝしみの年ごとに二月の初午の日參りつるしるしにこそ今まで世にはべれば、今年つゝしむべき年にて參りつる身ながらもをかしく、今はなにの命かはをしかるべきと思ひながら、年比參り習ひて侍るにあはせてやが