コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/98

提供:Wikisource
このページは校正済みです

や」とたどるを聞き給ひて「佛の御しるべは暗きに入りても更に違ふまじかなるものを」との給ふ。御聲のいと若うあてなるにうち出でむこわづかひも恥しければ「いかなる方の御しるべにかは。おぼつかなく」と聞ゆ。「實にうちつけなりとおぼめき給はむもことわりなれど、

  はつ草の若葉のうへを見つるより旅ねのそでも露ぞかわかぬと聞え給ひてむや」との給ふ。「更にかやうの御消そこうけたまはり分くべき人も物し給はぬさまはしろしめしたりげなるを誰にかは」と聞ゆ。「おのづからさるやうありて聞ゆるならむと思ひなし給へかし」との給へば、入りて聞ゆ。あないまめかし、この君や、世づいたる程におはするとぞおぼすらむ、さるにてはかの若草をいかで聞い給へることぞと、さまざまあやしきに心も亂れて久しうなればなさけなしとて、

 「まくらゆふ今宵ばかりの露けさをみ山の苔にくらべざらなむ、ひがたう侍るものを」と聞え給ふ。「かやうの人づてなる御消そこはまだ更に聞え知らず。ならはぬことになむ。かたじけなくともかゝるついでにまめまめしう聞えさすべき事なむ」と聞え給へれば、尼君、ひがごと聞き給へるならむと「いと恥かしき御けはひに何事をかはいらへ聞えむ」との給まへば、「はしたなうもこそ覺せ」と人々聞ゆ。「げに若やかなる人こそうたてもあらめまめやかにの給ふ忝し」とてゐざりより給へり。「うちつけにあさはかなりと御覽ぜられぬべき序なれど〈ばイ〉心にはさも覺え侍らねば、佛はおのづから」とて、おとなおとなしう恥しげなるにつゝまれ