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ゝみあへ給はず。程ふれどいさゝかうちとけたる御氣色もなく、思はずにうき宿世なりけりと思ひ入り給へるさまのたゆみなきをいみじうつらしと思へど、おぼろげならぬ契の程哀にうれしく思ひ見るまゝに、めでたく思ふさまなる御かたちありさまをよそのものに見はてゝ止みなましよと思ふだに胸つぶれて、石山の佛をも辨のおもとをもならべていたゞかまほしく思へど、女君の深くものしとおぼし疎みにければえ交らはで籠りゐにけり。げにそこら心苦しげなる事どもをとりどりに見しかど心淺き人のためにぞ寺のげんも顯れけむ。おとゞも心ゆかず口惜しうおぼせど、いふかひなきことにて誰も誰もかく許しそめ給へることなれば、引き返し許さぬ氣色を見せむも人のためいとほしうあいなしとおぼして、儀式いとになくもてかしづき給ふ。いつしかとわが殿に渡し奉らむことを思ひ急ぎ給へど、かるがるしくふとうちとけ渡り給はむにかしこにまちとりてよくしも思ふまじき人のものし給ふなるがいとほしさにことつけ給ひて「猶心のどかになだらかなるさまにておとなく、いづ方にも人のそしり恨なかるべくをもてなし給へ」とぞ聞え給ふ。父おとゞはなかなかめやすかめり。「殊にこまかなる後見なき人のなまほのすいたる宮仕に出で立ちて苦しげにやあらむとぞ後めたかりし。志はありながら女御かくて物し給ふをおきて、いかゞもてなさまし」など忍びての給ひけり。げにみかどゝ聞ゆとも人におぼしおとしはかなき程に見え奉り給ひて、ものものしくももてなし給はずはあはつけきやうにもあべかりけり。三日の夜の御せ