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Page:Kokubun taikan 01.pdf/536

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の見ま欲しければ「年頃かくてはぐゝみ聞え給ひける御志をひがざまにこそ人は申すなれ。かのおとゞもさやうになむおもむけて大將のあなたざまの便りに氣色ばみたりけるにもいらへ給ひける」と聞え給へば、うち笑ひて「かたがたいと似げなき事かな。猶宮仕をも何事をも御心許して斯くなむと思されむさまにぞ從ふべき。女は三に從ふものにこそあなれど、序でをたがへておのが心に任せむことは有るまじき事なり」との給ふ。「內々にやんごとなき此れ彼れ年頃經てものし給へば、え其のすぢの人數には物し給はで、すてがてらに斯く讓りつけおほざうの宮仕のすぢにらうろうせむと覺し置きつる、いとかしこくかどある事なりとなむ喜び申されけると、たしかに人の語り申し侍りしなり」といとうるはしきさまに語り申し給へば、げにさは思ひ給ふらむかしとおぼすに、いとほしくて「いとまがまがしきすぢにも思ひより給ひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづからいづかたにつけてもあらはならむことありなむ。思ひくまなしや」と笑ひ給ふ。御氣色はけざやかなれど猶疑ひは多かる、おとゞも、さりや、かく人の推し量るあんにおつるともあらましかばいと口をしくねぢけたらまし、かのおとゞにいかでかく心淸きさまをしらせ奉らむとおぼすにぞ。げに宮仕のすぢにてけざやかなるまじくまぎれたるおぼえを、かしこくも思ひより給ひけるかなとむくつけくおぼさる。かくて御ぶくなど脫ぎ給ひて、月立たば猶參り給はむこといみあるべし、十月ばかりにとおぼしのたまふを、內にも心もとなく聞しめし聞え給ふ人々は、誰も誰もいと口惜しくてこの御まゐりのさきにと、心よせのよすがにせめ侘び給へど「吉野