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Page:Kokubun taikan 01.pdf/491

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ゐざりよりて、「いかなる風の吹き添ひてかうは響き侍るぞ」とて打ち傾き給へるさま、ほかげにいと美しげなり。笑ひ給ひて「耳がたからぬ人のためには、身にしむ風も吹き添ふかし」とておしやり給ふいと心やまし。人々ちかう侍へば例のたはぶれごともえ聞え給はで「なでしこをあかでもこの人々のたち去りぬるかな。いかでおとゞにもこの花園見せ奉らむ。世もいと常なきをと思ふに、いにしへも物の序に語り出で給へりしも只今のことゝぞ覺ゆる」とて、少しのたまひ出でたるにもいと哀れなり。

 「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ。この事の煩はしさにこそ、まゆごもりも心苦しう思ひ聞ゆれ」とのたまふ。君うちなきて、

 「山がつの垣根におひしなでしこのもとの根ざしをたれか尋ねむ」。はかなげに聞えない給へるさまげにいと懷しう若やかなり。「こざらましかば」と打ちずんじ給ひていとゞしき御心は苦しきまで猶え忍びはつまじうおぼさる。渡り給ふこともあまりうちしきり人の見奉り咎めつべき程は心のおにゝおぼしとゞめて、さるべきことをし出でつゝ御文の通はぬをりなし。唯この御ことのみ明暮御心にかゝりたり。なぞかくあいなきわざをして安からぬ物思ひをすらむ、さ思はじとて心のまゝにもあらば、世の人の謗りいはむことのかろがろしさを我がためはさるものにて人の御ためいとほしかるべし、限なき御志といふとも春の上の御おぼえにならぶばかりは我が心ながらえあるまじく覺し知りたり。さてそのおとりのつらにては何ばかりかはあらむ、我が身一つこそ人よりはことなれ、見む人のあまたが中