コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/48

提供:Wikisource
このページは校正済みです

はいかでか」とて參りぬ。紀の守すき心にこの繼母の有樣をあたらしきものに思ひて追從し寄る心なれば、この子をももてかしづき率てありく。君召しよせて、「昨日待ち暮しゝを、猶あひ思ふまじきなめり」と怨じ給へば、顏うち赤めて居たり。「いづら」とのたまふに「しかじか」と申すに、「いふがひなのことや。あさまし」とてまたも給へり。「あごはしらじな。その伊豫のおきなよりは先に見し人ぞ。されど賴もしげなく頸細しとて、ふつゝかなる後見まうけてかくあなづり給ふなめり。さりともあごは我が子にてをあれよ。かの賴もし人は、行く先短かりなむ」とのたまへば、さもやありけむ、いみじかりけることかなと思へるををかしとおぼす。この子をまつはし給ひて、うちにも率て參りなどし給ふ。わが御櫛笥殿にのたまひて、さうぞくなどもせさせ給ふ。誠に親めきてあつかひ給ふ。御文はつねにあり。されどこの子もいとをさなし。心より外に散りもせば輕々しき名さへとりそへむ。身のおぼえをいとつきなかるべく思へば、めでたき事も我が身からこそと思ひてうちとけたる御いらへも聞えず、ほのかなりし御けはひありさまは實になべてにやはと思ひいで聞えぬにはあらねど、をかしきさまを見え奉りても覺し出づ。思へりし氣色などのいとほしさもはるけむ方なく覺し渡る。かるがるしくはひまぎれ立ち寄り給はむも人めしげからむ所にびんなきふるまひや顯れむ、人のためもいとほしくと覺しわづらふ。例のうちに日數經給ふ頃さるべき方の忌待ち出で給ひて俄にまかで給ふまねして道のほどよりおはしましたり。紀の守驚きて